今日、現実と非現実についてかんがえることがあったので、
その内容をメモしておこうとおもう
最初にわかりやすい例をあげておけば、
俗に言う「二次元」=非現実、
そして「三次元」=現実、として一般的に受け止められている
そのことに関しては疑いはない。
でも、その境界を混同すると、すぐさま批判の対象になる。
僕たちは、漫画やアニメが、「現実だったらいいのに」と願ったはずなのに。
つくりものに魅せられた誰もが例外なく、そう思ったはずなのに。
いや、当然、ゴムゴムの実なんてこの世には存在しないし、
生物は一度死んだら生き返らない。
そんなのはわかりきったことで、むしろだから憧れるのだろう。
その矛盾とひずみこそが、この現実と非現実の境界における、
感情的なやりとりの原因だろう。
さて、ここで表題に書いた「セカイ系」について、この文脈で書いてみよう。
セカイ系とは、主人公とヒロインの関係が世界の危機に(どうつながっているのかをすっとばして)つながっている作品の総称、といって差し支えないと思う。
ここでは、虚構(キャラクター)はその世界における現実に直結している。
つまり、非現実は現実の延長線として描かれ、現実は非現実の延長として描かれている。
意識的に非現実と現実の境を曖昧に描いている。
それはつまり願望の実現である。
まぁそれがいいかどうかはさておき。
ちなみに僕は好きです。
というわけで。
きょうはこのへんで。
その内容をメモしておこうとおもう
最初にわかりやすい例をあげておけば、
俗に言う「二次元」=非現実、
そして「三次元」=現実、として一般的に受け止められている
そのことに関しては疑いはない。
でも、その境界を混同すると、すぐさま批判の対象になる。
僕たちは、漫画やアニメが、「現実だったらいいのに」と願ったはずなのに。
つくりものに魅せられた誰もが例外なく、そう思ったはずなのに。
いや、当然、ゴムゴムの実なんてこの世には存在しないし、
生物は一度死んだら生き返らない。
そんなのはわかりきったことで、むしろだから憧れるのだろう。
その矛盾とひずみこそが、この現実と非現実の境界における、
感情的なやりとりの原因だろう。
さて、ここで表題に書いた「セカイ系」について、この文脈で書いてみよう。
セカイ系とは、主人公とヒロインの関係が世界の危機に(どうつながっているのかをすっとばして)つながっている作品の総称、といって差し支えないと思う。
ここでは、虚構(キャラクター)はその世界における現実に直結している。
つまり、非現実は現実の延長線として描かれ、現実は非現実の延長として描かれている。
意識的に非現実と現実の境を曖昧に描いている。
それはつまり願望の実現である。
まぁそれがいいかどうかはさておき。
ちなみに僕は好きです。
というわけで。
きょうはこのへんで。