仕事に復帰してから通勤も辛くて仕方がなかったです。
バス停や電車の駅が息子も通勤に利用していましたので思い出がいっぱいなんです。
時間が合えば一緒に出かけたり、帰ってきたりもしました。
もう、それも出来なくなってしまいましたが‥
当時はバス、電車に乗るだけで涙が止まらなくて大変でした。
これは今でも変わらず感じる事なんですが、乗車していて、まわりの乗客の人達を見たり、窓の景色を見たりしても「息子がいなくなっても何も変わりなく世の中や日常は進んでいくんだ‥」とか「これだけ大勢の人がいる中で私の様に子供を亡くした人はいるのだろうか?いや、きっと私だけなんだろうな‥」と自分だけが取り残されているみたいでした。
当たり前なんですけどね。息子を亡くす前までは私もそちら側でしたから‥あの日から全てが止まり、変わってしまいましたから。
息子と同じカバンを持っている人や同じスニーカーを履いてる人、背格好、雰囲気が似ている人を目で追ったりもしてました。
よく似た年代の母息子の親子連れを見るのも羨ましく辛いです。
特に職場の最寄り駅は息子とご飯を食べに行ったり、買い物したり本当にあちこちの場所に思い出があって‥
改札を出たところに息子と待ち合わせした柱があるのですがそこを見ると息子が立ってスマホを見ている姿がはっきりと思い出され、本当に辛かったです。
今でもその柱を見ると人が立っていても、ポツンと柱だけでも、鼻がツーンとして泣きそうになります。
人が溢れかえっているのを見て、「お願いですから皆さんの寿命を少しでいいので分けて下さい‥そうしたら息子は長生き出来るんです‥」なんて出来るはずもない、とんでもない事も思ったりもしました。
また、仕事が終われば思い出の場所に足を運び、息子の面影を求めてました。
余計に悲しく、辛くなるのはわかっていてもついつい足が思い出の場所に向いていました。
去年の母の日に連れて行ってくれたお店の前に立った時は息子のいない現実に絶望するばかりでした。
あの3ヶ月後に息子が、いなくなるなんて思いもしなかった‥写真も撮っておけばよかった‥こんな事になるなんて‥後悔ばかりです
CDショップに足を運んだ時、息子の好きなバンドの新作が発売されていて購入したのですが「もう、この曲は息子の知らない曲なんだ‥もう、聞く事が出来ないんだこれからもずっと‥」なんて思うと息子が可哀想でしかたがなく胸が張り裂けそうでした。
愛用している息子からの2年前の誕生日プレゼントのWALKMANに息子が遺したCDや今回購入したCDの曲を入れ、聞いてみても、葬儀で流した曲が再生された時は流石に涙でボロボロで大変な事になり通勤中は聞くのをやめました。
とにかく毎日通勤の度に泣いていて周りから見て変な人になっていたかと思います。まだ、マスクがあってよかったです
いつも読んで下さりありがとうございます。