
1年以上も前になりますか、通りを歩いていたら、懐かしい音楽が流れてきました。
「あっ、これ♪ ママがレギュラーで出ていたドラマのテーマソング!」
思わず、一緒に歩いていた娘に向かって叫んでいました。
当時から、一緒に出演していた 山田パンダがオープニングテーマのこの曲を歌っていたことは
毎週、聞いたいた訳で、承知していました。
とにかく懐かしい・・・
その曲が「風の街」というタイトルだというのも、検索で探してずっと後でわかったことです。
それまでは ドラマのタイトル「あこがれ共同隊」のオープニング曲としか認識していなかったし
後年になってこんなに懐かしく思い返すなどとは、若かったから考えてもいなかったです。
1975年6月6日から9月26日まで TBSのドラマ「あこがれ共同隊」は放映されていたらしい。
これも最近ネットで知ったこと。
この1975年にかぐや姫が解散したということも。
それで、山田パンダはこのドラマに単独で出演された訳なんだ・・・すべて今になって知りました。
初めて顔を合わせたときは、だれだろう?って思ったもの。
常田富士雄さんと親子の役で当時流行っていたヒッピー姿。
ドラマの要所要所にひょっこり二人で登場する なかなか面白い味付けの役でした。
出演者から、そっくりでまるで本当の親子みたい・・・って言われてましたっけ。
それに、この二人、仲がよくて とってもいい感じでした。
しばらくしてから、アマゾンでこのアルバムを見つけ、used を買いました。
この曲は、吉田拓郎の作詞・作曲・・・今考えれば、まさに拓郎に決まっているという独特さ。
それすらも、当時は知らなかったなぁ~
我が青春の時、この曲を聴くと思い出せる、そういうノスタルジックな時間にどっぷりと浸れる
そういう曲があって幸せだと、今思う・・・
この「あこがれ共同隊」だけども、今思い返しても すごい出演者だったのね。
主演は3人の若者で、郷ひろみ、森本レオ、せんだみつお。
夢と希望を抱いた3人の若者が、表参道原宿の町で知り合って、頑張って、喜び悲しみ・・・友情。
それに絡む 出演者が、西城秀樹 桜田淳子、山口百恵。
三田佳子、黒柳徹子、田中邦衛、長門裕之、高橋雅也、品川隆二、野村昭子。
郷ひろみが、デザイナーを目指して、その縫製所のご主人が品川隆二、奥さんが野村昭子。
そしてそこで働いている縫い子が、鷲尾真知子 と 私と もうひとり可愛い子。
そしてシェリー。シェリーも今は全然出ないわね。ハーフで当時は人気だった可愛い子。
今でいえばベッキーみたいな感じかしら。
鷲尾さんと私はその時、同じ新人仲間、それまでの芸歴もほぼ同じ。
でも、鷲尾さんはそれを出発点にしたけど、私は終点にしちゃった。
そのあとも、数本のドラマに出て、結婚してからはプロダクションからまだまだオファーの電話が
新居にもかかってきたけど、「監督が、どうしてもあなたに、と言ってます」とまでいって頂いたけど
断ってしまった。
今、振り返ってみると、プロダクションにも申し訳ない事をしたと思います。
このラインに乗るまで、乗せるまでが どれだけ大変か。
今、劇場を経営していて、若者、誰しもこのラインに乗るのを目指して頑張っているんだものね。
正直、もったいないことをしたと思っています。
でも、強がりでも負け惜しみでもなくて、こちらの人生を選んでよかったと心底思っています。
その後、鷲尾さんとは ブローダーハウスで再会したけど、それも懐かしかった。
二つの岐路を鷲尾さんと私は、それぞれの道を歩んだ、と自分の分身を見る思いで活躍を応援しています。
その今は大御所の出演者の皆様と、ほとんど会話を交わしました。
品川隆二さんには、いろいろ礼儀や作法を教えて頂きました。
森本レオさんは、芸能界の陰の部分も教えてくれたし、郷ひろみさんはたった今まで、我々共演者と会話をしていても、
ファンがそばに来たら、話すのをピタッとやめて、 そんな徹底ぶりが賢い人だなぁって印象。
メイク室では黒柳さんのあのタマネギ頭はどのように結っているのか見たし、
同じ呉服屋さんだと言うことで話もしたし、田中邦衛さんはおとなしくてほとんどそのまま。
楽屋では、どこに居るのか存在感すらなかったし。
桜田淳子ちゃんはとっても可愛い妹だったわ。あんな風に芸能界から消えていくとは思わなかったけど、
素直だったからでしょうね。世間知らずだったからでしょう。でも、その後、週刊誌にもマスコミにも書かれないところを見ると
普通の主婦として、幸せにやっているんでしょうね。前出のシェリーもね。
山口百恵ちゃんも、おとなしい子だったわ。制服のまま楽屋入り。
1回だけの特別出演だったから チラッとメイク室で見かけただけだったけど。
西城秀樹さんも あの頃は若かったわね。どっちかっていうと野性的な西城さんのファンだったけど
同じシーンは全くなかったから、お会いしたのは打ち上げの時でしたっけ。
三田佳子さんだけ、個室で別扱い、スターだということもあって、野村昭子さんや玉川良一さんが
コソコソ「あの狐目が!」とか「声が小さいんだよ」とか、悪口を言っていたり。
そういうところも、反面教師で勉強になった。
でも、実際の三田さんは、気さくで私たち新人にはとても優しかったわよ。
打ち上げ会場まで、長門裕之さんの車に同乗させてもらったり、スタジオには南田洋子さんも激励に
いらっしゃったり、間違いなく仲よしのおしどり夫婦だったわ。
たった一つのレギュラー番組だったからこそ、思い出がいっぱい、昨日のことのように思い出すわ。
単発ドラマは何本も出たけど、レギュラーはこれだけ。
その、手に届いたところで、私は満足しちゃったわけ。親も芝居を続けているのに本心、いい顔していなかったし、
自分の納得のいくところまでは頑張った!って、思えたから。
山口百恵が引退して、おこがましいながら私も同じ頃に家庭人になった。
でも、その後、百恵さんはずいぶん追いかけられたし、三浦友和さんが本気で怒ったりもした。
そんな週刊誌や、ワイドショーで見聞きするにつけ、気の毒で、あぁ~有名になる前にやめて正解だったと偉そうに本気で思ったわ。
あの頃、それでも CM 8本くらいに出てたから、この程度の顔出しでも、無意識にどっかで会った人、
知り合い?って思われるらしく、まったく知らない人から挨拶されたり、そこそここんな顔でも知られかかっていたから・・・
百恵さんとは息子の合唱祭の時に、同じ地区だったから、会場でお会いしたけど、その時もまだ、
ジロジロ見られていたし、自分の意思とは別に、どうにもならないことだから、一度有名人になると
マスコミが静かにしてはくれないという点で、一般の主婦に戻るのはそれはそれは大変だと思った。
私は、静かにそっと一般人に戻れてよかった。
百恵さんと学校行事で会ったということは、いかに同時期に辞めたか、子供の年でもわかるわね。
なんでも、小泉今日子がこの「あこがれ共同隊」を見て、原宿にあこがれたとか、なんかに話していたらしいわよ。
とっても、モダンなドラマだったんです。小泉さんに限らず、今も若者に人気がある街なのは、「あこがれ共同隊」からだ
といっても過言ではないはずです。
山下達郎が「風の街」のバックコーラスだったとか。その時、吉田拓郎に怒鳴られて、今でも犬猿の仲だという話
今は昔ね・・・
もう品川さんも、長門さんも、常田さんも鬼籍に入ってしまわれた。
まぁ~婆さんの、古くさい 昔話として聞き流してください。
「風の街」に再び出会えて、突如私の青春が蘇ってしまったもので。
私の数年間、確かに人生の中で、精一杯夢中で生きた 無性に楽しかった青春のお話なのでした。
余談ですが、私 大学時代はフォークソングクラブに入っていて、ギターをかき鳴らして唄っていたんですね。
その頃、吉田拓郎や岡林信康など、泉谷しげるも・・・そういったシンガーソングライターが流行っていた訳。
それで、私も今アンパンマンで有名なやなせたかし先生の詩に曲を付けて、ご自宅まで許可を得にいったりもしたんですね。
四谷にあるやなせさんのお宅へ。まだアンパンマンは存在していない頃だから、書斎まで通してくださって
いっぱいお話ししました。
それで、あるとき、フォークソングの飛び入り参加に出たんです。
そうしたら、どこで調べたかNHKから電話が来て「10代とともに」という番組のサブタイトル「自作自演」に出ないかという話。
10代最後の思い出として出演したんです。
そして、その頃は芝居の道に行こうと決めた頃だったので、「歌で気持ちを伝えるには限界を感じます」
などと、生意気なことを言ったんです。ただ、才能がなかっただけなのに。
いま、思いますね。歌ってすごいって。
時空を飛び越して、そのシチュエーションに放り込まれてしまうんですもの。
歌の力って、すごい・・・いま、完全にあの19歳の時の言葉を撤回しなきゃ。
人それぞれ忘れられない思い出の曲ってありますものね・・・それが 私にとっては「風の街」かなぁ~♪