【20】

翌日から約1週間、昼夜を問わず、雨が降ったり止んだりを忙しなく繰り返す雨模様の日々が続いた。正午を迎える頃になると、決まって森の木々の梢がざわめき出し、どこからともなく突然、ヒューという邪術的な音と共に生暖かい風がシャボノを縦横無尽に吹き抜け、ピカッという稲妻の光を合図に、激しい雨が降り出すという始末なのだ。
しかし、そうした状況でも、このミクロコスモスの住人達は、様々な言動に於いて興味深い側面を見せてくれる。
男たちは、森が騒ぎ出すと即座に、荒々しい反応を示した。一斉に立ち上がり、叫び声を上げて、全身に闘志を漲(みなぎ)らせながら雨や風を司る自然界の精霊たちと対峙し、それらと格闘するかのようにそれぞれが独特な動きを見せる。
一方、女たちは屋根の低い部分に登り、仁王立ちになって、暗く薄気味悪い空を睨みつけ、ずぶ濡れになりながら果敢にもそれらの烈しいエネルギーを受け止めるのだ。
子供達は、そんな自然の猛威になす術がなく、普段の闊達さは何処へやら、ただ怯えるしかないといった感じで、互いに身を寄せ合っている。
我々本部では、なかなか身動きが取れないそんな状況下でも、紫煙を燻(くゆ)らせようと必死にタバコの葉に着火させることにチャレンジと失敗を繰り返す教授の熱心さに半ば呆れムードが漂っていたが、屋根の一部が雨漏りしていることに気付いたジョサフィンが、そこを改善しようと屋根の葉の位置をスライドさせた事で、ちょうど教授の頭上に隙間が出来て、そこから教授は雨水をもろに被ってしまったのだ。
僕の背後で、雷がゴロゴロと空を駆け巡るたびに、両手で頭の天辺を押さえながら震えていたプレマリオン、オロシ、リカルト(蜂の巣に石を投げて遊んだ時に会った、目がクリクリとした少年)の3人組は、「わぉ!こりゃあ参りましたなぁ」とずぶ濡れのヘアースタイルでぼやく教授を見て、一転して笑い転げる。
まさにピエロの役回りになってしまった教授は、濡れた眼鏡を拭きながら、藪を睨むような目つきで、「ナオキ、アレの出番ですぞっ」と一言僕に告げた。
「アレっていうのは…何でしょう?」
「こんな時にはアレですよ、アレ」
アレとは、キャンディーとガムのことだ。
以前に教授が「ヤノマミに関する知識は入れなくてもいいが、大事なことは知っておかなければいけない」と語った時に、この2つのアイテムを持参するようにと言われたことがあった。
世界共通、お菓子は子供を喜ばせ、それを見る大人に安心感を与えるといった構図が、フィールドワークをより円滑に安全に進めるに当たって有効的であるというのが、教授の経験からの助言だったのである。
案の定、3人組にひと粒ずつ与えると、恐らく生まれて初めて口にしたのだろう、3人共しばらく人工的に着色されたカラフルなそれらを摘んで見つめたまま、互いのものを見比べ、ペロッとひと舐めしては、お喋りに興じている。
「教授、他の子供達にも配ってきますね」
「あぁ、それがいいですね。いってらっしゃい」
ひと袋に200粒ほど入った、キャンディーやガムは、全ての子供に行き渡り、数日間のうちに消えて無くなった。
雨は相変わらず降り続いてはいたが、そんな状況下だからこそ、このアイテムの威力は想像以上に発揮された。

この何日間か、思うように狩りに出られず、くすぶった気持ちを持て余す男たちは、何の変哲もないシンプルな方法で、鬱屈した気分を解消する素晴らしさを見せてくれる。
シャボノの中央広場にある、木の切り株を中心に、直径2mほどの円を描き、空に向けて弓を射って、落下する矢がその切り株に突き刺さるように、力加減や角度を計算し、誰が上手か、若い男たちはそれを競って遊ぶのだ。
新婚の男女などは、仲睦まじくひとつのハンモックに寝そべり、互いの髪の毛を掻き分けて蚤(のみ)を取り合っている。さすがに性行為にまでは発展しないものの、人の目を気にする事なく肌を重ね合わせるのだ。
老齢の男たちは、幻覚剤の入った壺やひょうたんを持ち寄って、交換したり調合したりして、いつまでも腰を上げようとしない。
交渉には交渉の、調合には調合のしきたりがあるのだ。
まだ若い、シャーマン志願の青年は、ひたすら瞑想と秘伝の踊りを交互に何度も繰り返す事で、精霊の通り道を探り当てようとしている。
彼らは、ヤノマミそのものが天地万有の一部であるという概念に従って生きてきた先人達と同様に、不変的であり続ける、そうした日常を整然と積み重ねてゆく。
そして遂に、命を司る太陽が出現した事で、まるで未練のように長く続いた雨の日々に決別することが出来たのである。
そんなある日の午後、恒例のジョポの儀式が始まってちょっとした時のこと。なんと教授自ら、是非体験してみたいといきなり言い出したのだ。
「なんでも経験ですぞぉ」
僕に言っているのか、はたまた自分自身に言い聞かせているのか?
シャーマンのリセンテは、この時もう既に2人の男を幻覚の世界へと送り込んでいた。
突然、リセンテの隣に陣取って座った教授を見て、ワローエ酋長をはじめ周囲の人々は注目し始めていた。リセンテは、木筒を使って必死に身振り手振りで表現する教授の意向を読み取ると、早速、従容たる動作で粉の調合に入る。教授は、「あ、ナオキ」と言って、念のためか僕に眼鏡を預けた。
どうなることやら…。
粉を入れる前にリセンテが、「プフゥー、プフゥー」と2度ほど、いわばシャドーボクシングの如く、軽く空砲を放つ。
さぁ、いよいよだ。
こちらまでドキドキしてくる。
シャーマン・リセンテは、落ち着き払った手つきで粉を掬うと、吹き矢を吹くときのようにコンセントレーションを高めながら、教授の鼻の片方の穴に粉の入った木筒の先を押し当てる。
いつも騒がしいジャングルが一瞬、ミュートの状態になった気がした。
いざ、発射!
「プフゥーー」と吹きつける威勢のいい音に続いて、聖なる噴射を受けた教授は、カッと目を見開いたと思った次の刹那、すぐにグッと固く目を閉じると、「うっうっうー」というだらしないうめき声を口から漏らした。思わず「教授っ!」とスタッカート気味に僕が声を掛けると、教授は顔をしかめ、グラッとしながらも立ち上がり、一瞬、息遣いを荒げたかと思うや否や、急に全身の力が抜けたようにフニャッとなって地面に突っ伏し、今度はゆっくり這いつくばり始めたのだ。
顔は横向きのうつ伏せ状態で、突っ張らせた両手を伸ばしたまま、両足で地面を不器用に蹴りながら、身体を伸び縮みさせて前進するその姿は、ふざけているわけではないからこそ、妙に気味が悪い。
動きそのものは、まさに幼虫が脱皮する時のようで、なんともグロテスクだ。
酋長も周りの者たちも、教授の様子をニコニコと顔をほころばせながら見守り、僕の背後からはプレマリオンとオロシが身を乗り出して、教授の動向に目が釘付けになっている。
ルーチョがリセンテに尋ねたところ、教授には蛇の精霊が宿っているというのだ。
蛇⁈ いつか教授が見た、あの白い蛇の夢…。
散々、這いつくばるだけ這いつくばって、
30分もすると、教授は正気を取り戻し、若干朦朧(もうろう)としつつも服に付いた土ぼこりを払いながら僕に言った。
「どうでしたか?」
それは、こっちのセリフだ。
「教授こそ、どうだったんですか?」
「いやぁ、粉を吹きつけられた瞬間、顔が痺れて頭に激痛が走ったですよ。それから、えー、なんとも言えない脱力感に襲われまして…あとは憶えていません」
リセンテからの言葉を教授に伝えると、「ほぉ、スネークですかぁ…なるほど、これでやっと結び付きましたな」と他人事のように言い放ち、黒い鼻水を指で拭うと僕から眼鏡を受け取って、フラフラしながら本部まで自力で歩いて行き、どうにかハンモックに身を沈めることで、約30分間の『知覚の扉の向こう側への旅』を完結させたのであった。

僕は滞在中、たびたび女たちに近寄ってみては、その暮らしぶりを観察した。
食事の準備や化粧、紡績作業などの『静』、驚くほどに過酷なバナナ運搬作業などの『動』。女の暮らしにおける役割も、男に劣らず実に多彩だと思ったからだ。
当初は、女たちからのストレートなアプローチに押され気味の感があったが、逆にこちらから接近すると、意外にも平然とした態度でもって、接してくれる。
しかし、顔の4ヶ所を貫くシンボリックな木の棒に関しては、やはり他国者(よそもの)には解りにくい慣例的な内情があるのだろう。木の棒を挿したり抜いたりする行為は、あまり人に見せるものではないと考えられているようで、僕がある少女に、鼻の穴を横に貫く棒を抜き取って見せて欲しいとジェスチャーしたところ、泣かれてしまった事があったほどだ。
そういった経験に於ける失敗などが、より一層探究心を奮い立たせるというのも当然だが、『調査・観察される側の倫理』というものを新たに考えるきっかけになったのも確かであった。
ある時、教授も言っていた。
もしも、ヤノマミのような非文明社会に、洋服を着るような習慣が導入されたら、やがては酋長やシャーマンといった象徴形態が崩れ、伝統的な価値意識も二度と蘇ることなく腐敗してしまうだろう、と。
また、学問的に矛盾しているようでもあるが、全てを知ろうとする事は、ある種ロマンがない事だとも言っていた。そもそも『調査する』という行為自体が相手へのプレッシャーを伴う。それは、相手の文化や社会に悪影響を及ぼしてしまう可能性を持っている。
その事を念頭に置いて調査した結果、理解できない事実に直面したとしても「それはそれでいいではないか」という、フランク教授らしい間口の広いグローバルな考え方によるものなのだ。
代表的な一例を挙げると、彼らの『名前』である。名前を尋ねると答えてくれるその名前は、実は本当の名前ではないというのだ。本当の名前を教えてしまうと、その自分の名前が、自分の知らないどこかの儀式で唱えられて、悪霊を送り込まれるきっかけになったり、怨恨の対象などにされてしまったら大変な事になる、と信じられているからである。
それは教える相手を信用していないという事とイコールではない。
『自分の本当の名前を無闇に語ってはならない』という古くからのしきたりの中で彼らは生きているだけなのだ。
現場でしか見えてこないそのような真実が明らかになればなるほど、また頭で考えても無意味だと思えてしまう現実に触れれば触れるほど、日を追うごとにますます『この森に導かれた意味』の核心に迫ってゆくような気がした。