【19】

いざなわれた先には、唇を黒くするなどの化粧を施した、リセンテという名前のシャーマンのリーダーを中心に、5人の男達が庇屋根の最も高くなっている所の真下で、横に並んで木の切れ端に腰を下ろしている。
一番端には酋長が座っている。僕らは少し離れて、末席に腰を下ろした。
太い支柱の足元には、いくつかの小さな壺とひょうたんが置かれていて、シャーマンは無造作にその中のひとつの壺を取り上げる。
慣れた手つきでそれを掌に傾けて少量の粉を出し、直径約1センチ、長さ80センチ程の木の筒の先でその粉をすくうと、逆の端を口で咥え、隣の男の片方の鼻の穴に筒の先端を押し当てて、思い切り吹き込んだのだ。
続けざまに、もう一方の鼻の穴にも一発。
すると、粉の噴射を受けた男は、たちまち歯を食いしばって苦痛に顔を歪め、頭や胸を掻きむしり、そして自分の尻を引っ叩いて身をよじる。
その後、何かの精霊が、苦しむ男に舞い降りて来て、心身そのものを支配するのだ。やがてその男は、自身の意思とは関係なく喋り出した。
「わしは、コンゴウクイナ(鳥)の精霊じゃぞぉー。この歌を聴くがよーい。皆の衆よ、輝きに満ちたこの熱く艶やかな声に聞き惚れるがよーい。わしが翼を広げると、花の蜜を吸うのをやめた蝶の群れ、川を下った恋の行方、何処へ行くのか行かぬのか、羽ばたくわしは、山の頂へ太陽の神を拝みに行きまするぅー」
ある意味、詩的でスピリチュアルな言霊を吐き出しては、幻覚剤の粉によって黒く濁った鼻水をだらしなく垂らし、前方を朦朧とした眼差しで見つめる。忘却の彼方に、自らの魂を遣いに出しているようだ。
シャーマンのリセンテは、もう一方の隣の男にも粉を吹き込んだ。彼も同じようにもがき苦しむ。彼には山の精霊が宿ったというのだ。
山の化身と化した男はゆっくり立ち上がると、掌を下にして片手を天高く挙げ、吐き出す息にトゥルルルルーと舌を震わせ、よだれを垂らす。不規則な方角に落ち着きなく体の向きを変えながら、空虚を見つめるような目つきで言い放った。
「そうかそうか、よぉーし分かったぞぉー。お前さんが見たいのは、あの雲じゃな。あの雲はわしのお気に入りなんじゃよ。盗んじゃいけねぇ、それだけはやめときな。でもまぁ、お前さんが逃げんと言うのなら、少しだけ見せてやってもよかろうぞ。お前さんが…お前さんが、いつも炉の周りを綺麗に掃除すると約束するのなら、ちょっぴり見せてやろぉー。盗んじゃいけねぇ、盗んじゃいけねぇ、盗んじゃならんぞ、ほれ盗めぇー」
この日、酋長は一服することはなかったが、数日後のジョポの儀式では、4服もの幻覚剤の連打をくらった挙句、若い猿の精霊に乗り移られて、地面を跳び回りながら身悶え、叫びまくった事があった。
こうした無意識下に於ける、ある種、信じ難い支離滅裂な言動は、約30分ほど経過するとその聖なる魔法は解け、自らの目に映っていた幻覚の世界は、実は存在しない消えゆくものだという事を理解できるようになり、徐々に正常な意識を取り戻してゆくのである。
シャーマニズムやアニミズムに関する知識を多少なりとも得ていたにも関わらず、あまりにも衝撃的な光景だっただけに、僕はしばらくの間ドキドキしたまま、呆然としてしまっていた。
僕とは裏腹に、研究的視点を持って興味深く儀式を見守っていた教授が言う。
「いやぁなんともまぁ、エモーショナルな情景でしたねぇ。ナオキ、今の出来事もヤノマミの暮らしの一部、紛れもない現実の世界なんですぞ。彼らにとっては、太古から脈々と受け継がれている、神聖な精神の場なんでしょうなぁ」
太陽と入れ替わるように夕闇が近づくと、あっという間に夜の帳が下りる。
すると何処からか、水道の排水溝に水が吸い込まれていく時の音に似た「ゴォワー」という不気味に尾を引く、オスのホエザルの低い声が聞こえてくるのだ。
興奮と恍惚が入り混じった狂気の世界が、ほんの先ほどまで目の前で展開されていたことが嘘のように、まるで何事も無かったかのように平然と静けさを取り戻したシャボノは、再び深い暗闇の中に永遠なる火の灯りを、その絆のような温もりを点在させる。
闇に支配されたこの辺りには、それぞれ陰陽の如く、生命の源と死の影がシリアスなバランスを保ちながら横たわっているのだ。

本部では、ルーチョが昼間採ってきたモランという楕円形の木の実を、ジョサフィンがバナナと一緒に粥状にして煮たものと、ペッカリーというイノシシの肉をBBQソースで味付けしたものを作ってくれていた。
ペッカリーは、ヤノマミからのお裾分けで、
硬い毛並みの大きな毛皮が、太い木の枝にぶら下がっている。
森の恵み定食を頂きながら、僕が教授に今日の狩りについての報告をすると、「ほぉー、それはいい体験でしたねぇ」と言ったきり、しばらくバナナ粥をフゥーフゥーやりながら白髭を揺すっている。そして、綺麗に平らげると、眼鏡のレンズを拭きながら改めて話し始めた。
「私はルーチョを介して、酋長に色々な事を尋ねてみました。生活の知恵、慣習、結婚、移動の歴史、そして死生観などについてです。時間にして1時間くらいでしたかねぇ…結果的には聞いたというより教わったというニュアンスですな。酋長は最後にこう言ったんです。『森は、わしらの家なんじゃよ。だから家から離れることは出来ん。もし離れたならば、わしらは死ぬ。離れなくても、森が死ねばわしらも死ぬんじゃ。まぁ森から遠ざかって生きるなんてあり得ないことだが…。何はともあれ、わしらは生まれながらにして、森の民じゃからな。森に生かされているのじゃ』と…。そうした概念の存在をこうした僻地での特殊な体験を通して知り、生々しく認識することが、本当の意味で見聞を広めるという事だし、我々が生まれてきた意味や生きるヒントなんかにも結びついたりするんですな」
教授はいつになく思慮深い瞳で語り、シャツのボタンを止め直すと、ゆっくりとハンモックに身を預けた。
酋長から教授へ、そして僕へと渡された高潔な言葉のバトンをじっくりと見つめていると、傍らの炉の炎が、パチッパチッと乾いた音を立てて、僕の心拍数を整えてくれる。
今宵も我々は、壮麗な夜明けという名のゴールを目指して、網の箱舟に揺られながら、眠りの海へと出航するのであった。