【14】


黄色い物的証拠を現実に目にした我々は、
前進の意気を一段と盛んにした。
大きなサイクルの一環として、小さな生命を営む昆虫の世界も、またエネルギッシュだ。
無言で横たわる朽ち果てた倒木の上を、ハキリアリの大群が一列に整列して、葉や小枝などの運搬作業に精を出している姿は、勇気凛々で逞しい。
気温摂氏32度、相対湿度80%。
僕の紺色のTシャツは汗を吸い込んで最早ブラックにしか見えないし、ルーチョの長い髪の襟足も、ジョサフィンの毛深い手の甲も汗に濡れて光っている。
すっかり眼鏡を曇らせた教授は、唐突に自身の脇の下をパンパンッと叩くと、「ピグミーは、よくこうやって嬉しさを表現するですよ。笑う時は全身を使いますしね。脇腹をピシャピシャ叩いて指を鳴らしながら笑い、それが激しくなると、地面に転がり回ることすらあるんですから。誰かひとりが笑い出すと、その笑いはたちまちにして、そこら中に伝染するんです。
さぁ、果たしてヤノマミの連中はどうでしょうかね」
さっきからずっと、僕の頭の中から離れないでいるのは、サンカルロスの基地で見た、ヤノマミ族の男女が描かれたあの力強いタッチの油絵と、教授からフィールドワークの誘いを受けた日に言われた『DESTINY(運命)』という言葉。
教授はしばしば『導く・導かれる』という表現を好んで使うが、気付くと僕は、『導かれる』感覚に必然的に支配されているように感じていた。
と同時に、という言い方も変だが、用を足したいという焦りにも似た気分にも支配されてしまっていたため、「アミーゴ!」そう言って、先を行くルーチョの足を止めさせ、僕はなぜか教授と一緒に小さな生理現象を済ませに隊を外れて、茂みへと小旅行に出掛けた。
僕らふたりが放物線を描き終えたその時、
なんと、遠くで犬の鳴き声がしたのである。
犬⁉︎
その声は、確かに犬のものだった。
微笑みながらルーチョが言う。
「ヤノマミは犬を飼っているんだ。もうすぐミチミチだよ、アミーゴ!」
やや足早になった我々は、肩に背負ったリュックを湿ったシャツに食い込ませながら、さらに進んでゆく。
次第に、我々の足元には草木の踏み潰された形跡が多く見受けられるようになり、犬の鳴き声も確実に近くなっている。
同時に人のざわめく気配を感じて前方に目を凝らすと、木々の間からシャボノと呼ばれる、ヤノマミ族独自の庇屋根の円形住居(中央部分は覆っているものがなく、広場になっている)が、チラッと見えてきたのだ。
想像以上に大きい。
歩を進め、やがて木と葉で覆われたシャボノの外観が見えてくると、ルーチョが立ち止まった。
「まず、僕だけが行く。事情を説明してからキミたちを呼びに来るからここで待ってて!」
そう言って、ルーチョがシャボノの方へ歩き出した瞬間、シャボノの出入り口と思しき外壁の切れ目から「ウォー‼︎」という大いに奮い立った激しい叫び声の束と共に、全身にペインティングを施し、弓矢を携えた、赤い布切れのふんどしを付けただけのヤノマミの男たちが戦闘意欲を剥き出しにして、次々と我々の方へ突進してきたのだ。
そして我々は、あっという間に取り囲まれてしまったのである。
ざっと数えて15人はいるだろう。
全員が血管という血管を浮き上がらせて口々に叫び、力強く足を踏み鳴らしながら、アグレッシブな眼光と、えらく尖った矢の矛先をしっかりと我々に向けている。
怒号を震わせて歪んだその顔は、ペイントされていることも手伝って、最高に威圧的だ。
一体、これはどういうことなのだろうか?
間違っても、歓迎されているとは思えない。
我々は殺されて、食べられてしまうのだろうか?
焼くのか、煮るのか、生けにえか…。
ルーチョがヤノマミと繋がっているという事など何処へやら、僕は言葉を失い、身体を硬直させたまま、ひたすらネガティブな考えを頭に巡らせていると突然、「トリヒーバ!」-ヤノマミ族の言葉で、やぁ・こんにちは・ありがとう・さようならなど多様な意味を持った不思議な言葉-
と、その中のひとりのヤノマミがルーチョに気付き、そう叫んだのだ。
その雄叫びが彼ら全体に伝播してゆくさまは、絆や友情、歓迎といった意味合いを、放熱しながらみんなで分かち合って表現しているようだった。
矢をつがえた弓を持つ、力みまくった攻撃態勢を完全に解除すると、直ちに敵意を消し去り、たっぷりと笑みを浮かべて、ルーチョの名前を連呼しながら我々に歩み寄って来たのである。
2年ぶりの再会。
みんな実に嬉しそうだ。
その光景は、僕と教授に深くて大きな"命拾い"という名の安堵のため息をつかせた。
我々が敵ではなく、ルーチョの仲間であるという事を認識したヤノマミの男たちは、縦一列に並んで、奇声は奇声でも今度は一転して、歓びのニュアンスに溢れたトーンの声を上げる。
「ウォッ ウォッ ウォッ ウォッ」
そして我々にくるりと背を向けると、デザイン性の豊かな裸の隊列は、滑稽なステップを踏みながら、シャボノの出入り口へと吸い込まれて行ったのである。
あとで、ヤノマミに聞いた話によれば、
ルーチョの髪が以前よりも随分伸びていて、それに加え、服の印象のせいもあってか、ルーチョ本人と気付くまでに時間がかかってしまったということ。
また生まれて初めて目にした白人と黄色人種にも、一層の警戒心を抱かざるを得なかったというのだ。
「信じられないよぉ。みんな興奮していて、僕の言うことなんて耳に入りやしない。
僕らを遠くから発見したひとりの男が、敵が攻めて来たものだと勘違いして「戦争だぞー」って、みんなに告げたらしいんだ。
それにしても、僕に気付かないなんて酷いと思わないかい?」
我々に怖い思いをさせてしまったことを申し訳なさそうに、ゆっくりと首を横に振りながら、やや伏し目がちで苦笑いするルーチョ。
ジョサフィンは、そんな彼の肩にぶ厚い手を置いて労るようにしながら、「Let’s go」と笑顔で言い放つと、シャボノの入り口へと向かった。
近付くにつれて、辺りには焚き火の匂いが漂い、人間たちの息遣いがはっきりと聞こえてくる。
そして…
「ほぉー、これがシャボノですかぁ…まるで、カテドラルのようだ。美しいとしか言いようがありませんなぁ…」
教授が大きな頷きを持って感嘆するのも当然だ。
シャボノの内部に踏み入ると、そこには驚くべき原始的な世界が存在していたのである。