【9】

民家では、インディオのご婦人たちが我々の夕食を用意してくれていた。
熱帯地域でよく見られる、風通しのいいコテージ風の高床式住居の中へと誘われると、腕によりをかけたと思われるご馳走が、チェック柄のクロスが掛かったテーブルの上にすでに並べられていた。
「ほほぉ、これはまさにアマゾングルメですなぁ」と感嘆を漏らす教授。
ルーチョから我々外国人が来ると知らされて、親戚が集まってくれたらしい。
みんなの大らかでウェルカムな態度が、アマゾンの懐の深さを如実に物語っているようだ。
その中でもひと際フレンドリーで、恰幅の良い天然パーマの男が切り出す。
「これはパジャーロと言ってな、5センチほどの鋭い歯を持った魚で、"犬の魚”と呼ばれているんだ。俺たちはこいつにやられると『犬に噛まれた』っていう言い方をするのさ。
この果実はグラヴィオーラ(ねっとりとした白い果肉は甘ずっぱい)、これはバクの燻製、そしてこいつが、バグレラオラオっていう大ナマズの唐揚げだ。このラオラオは今朝、リオ・ネグロで、ルーチョがやって来た時にちょうど…」
声高で勢いよく喋りまくるこの家の主のペドロは、チュチュワシという巨木の樹皮が原料の薬酒をチビリチビリとやりながら、テーブルの上の家庭料理を一品ずつ、激しめな身振り手振りで僕らに説明してくれた。
隣で夢中になってご馳走を頬張る教授の顔を不意に覗いてみると、己の食欲を誇示するかのように、白髭をこれでもかというくらい油で光らせている。
教授がテーブルに着いてから発した言葉と言えば、「ムイ・ビエーン(大変結構です)」のみ。
大層料理がお気に召したようで、これを連発している。
ご婦人たちは、言わば妖精のように慎ましやかに微笑みをたたえながら、我々の様子を見守っている。
ジョサフィンは、初対面のインディオの男たちと、何やら格闘技の話に花を咲かせているようだ。
彼は、ブラジルの格闘技、また文化としても有名なカポエイラを習得しているということで、イスに座りながらも男たちに見せる太極拳のようなスローなその手の動きからは、身に付けた武術に磨きがかけられている事が窺える。
開け放たれた木の扉から入り込む、徐々にクールダウンしてゆく夜風が、屋内のふたつのアルコールランプの炎を揺らす。
その度に、ジョサフィンが軍隊にいた時に彫ってもらったという両腕のタトゥーが際立つ。
ギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪物・ミノタウロスをエキゾチックにデザインした右腕のタトゥー、帯を巻きつけたかのように彫り込まれた幾何学的な模様の左腕のタトゥー。
それぞれが二の腕というキャンバスに鮮やかに映えて、上半身の動きに合わせて浮かび上がってはまた、すぐに影を潜める。
生の入れ墨というものをじっくり見たことがなかったので、ついついその彫り物に目を奪われてしまう。
なんとも魅力的だ。
ルーチョはと言えば、ジョサフィンがプエルト・アヤクーチョで手に入れた今朝の新聞の、ある記事に釘付けになっている。
ペルー南部のアヤクーチョ県が『センデロ・ルミノソ(輝ける道)』という武装左翼ゲリラの支配下に置かれたというニュース。
掲載された写真には、額に巻かれた真紅の布が腰の辺りまで垂れ下がり、ライフル銃を肩にかけた、険しい目つきのゲリラ兵がモトクロスバイクにまたがる勇姿が写っている。
ランプの灯りを受けて広げていた新聞を突然たたむと、ルーチョがジョサフィンに一言。
「アミーゴ、例のモノは持ってきてくれたかい?」
ジョサフィンは間髪入れず、「クラロ!(もちろん)」と誠実に頷くと、すくっとイスから立ち上がって、一ヶ所にまとめて置かれた荷物の中から丁寧に紙にくるまれたマチェーテ(山刀)を取り出し、ルーチョに示した。
我々からの友好の証として、ヤノマミ族の長に受け取ってもらうための"忘れてはならない必需品“なのだという。
ルーチョはそれを確認すると、親指を立ててスマイルを返した。

民家の外では、大西洋から押し寄せる雲の上に顔を出したかすかな月明かりが、夜になって一層不気味さを増したネグロ川の川面を照らしていた。
時折、魚が空中に飛び跳ねて「バシャーン」という音を辺りに響かせている。
一体、どれほどの大きさなのだろう…。
僕はその音を聞くたびに、妙にぞくぞくした。
男たちは、木の柱にハンモックを吊って寝床を作ってくれている。
何しろみんなとても親切であたたかい。
ご馳走を食べ終え、蚊帳を広げたり明日の準備などをしていると、「アミーゴー」と背後から声が…。
振り返ると教授が立っている。
手にはウエットティッシュ。
かさばるトイレットペーパーよりも、格段に用途が多いという理由で、教授から持参すべき物のひとつとして念を押されていた代物だった。
僕はすぐに察知した。
「あぁ、いってらっしゃい」 
「いや、もう済ませたですよ」
「えっ、でもあそこの木の裏にトイレありましたよ」
「野外が一番です。日本でもそうしますかな」
教授は軽く冗談で締めると、ごそごそとリュックの中を漁り、ゆったりとした手つきで一枚の写真を取り出した。
そこには、ピグミー族の赤ん坊を抱いた教授が、彼らと寄り添い、親しげにしている光景が収まっている。
それを僕に見せながら、昨晩、「アドベンチャーを楽しむべきだ」と言った時と同じくして、鼻にかけた眼鏡越しに僕を見つめてこう言った。
「心に深い感動を呼び起こすリアルな世界です。いいですか、ナオキ。もうそこまで迫っとりますぞ」
確かにその通りだ。
ここはすでに、ワニやバク、アナコンダ、ジャガー、アルマジロといった野生動物が生息する紛れもないアマゾンなのだ。
『アマゾン』…なんて魅惑的な言葉なんだろう。僕にとっては、決してアメリカの企業名なんかじゃない、まさしく世界最大面積を誇る熱帯雨林なのである。
この天文学的なエリアには、一体どれくらいの生命体が生息しているのだろうか…。
虫をはじめとする、様々な生き物たちが奏でるハーモニーをBGMに、初めてのハンモックに揺られながら、やがて僕は眠りに落ちていった。