【8】


南米大陸での初めての朝は、ホテルの僕の部屋のドアをノックする音で目が覚めた。
僕はすっかり寝坊してしまったのだ。
と言っても致命的な遅れではないが…。
慌ててドアに駆け寄って開けると、そこには見たことのないアメリカ人が…いや、眼鏡をかけていないフランク教授が立っている。
「ブエノスディアス(おはよう)、ナオキ。
いい夢見れましたか?そろそろ出発ですぞ」
眼鏡を外した教授の顔を見慣れていないためか、珍しくお召しになった真っ赤なTシャツが眩し過ぎたせいか、その前にこちらが寝惚けているのもあって、一瞬誰だか分からなかったのだ。
それにしても教授の赤Tシャツは、実に珍しい。よく見ると、右胸のところに『PLAY BOY』と小さく刺繍が施されている。
プレイボーイって…。
そんなツッコミはさておき、ホテルの館内には、明るい響きを持ったマリアッチ(メキシコの民族音楽)が備え付けのラジオから耳障りの良いボリュームで流れている。トランペットとバイオリンが奏でる軽快なリズムに乗りながら、遅れを取り戻すべく準備を急ぐ。
そんな僕を、教授はドアにもたれ掛かって短パンのポケットから眼鏡を取り出し、
シャツの裾で拭きながら、「Keep your
head!Mr. sleepyhead」(慌てなさんなよ!寝坊助さん)と、したり顔。
バスルームの鏡前で歯を磨きながら、もしかしたらこういう形で自分の姿を見るのはしばらくお預けになるのだなと、ふと思ったりした。
『 コンビニエンスな世界よ、アディオス 』
そして我々は、最後のオアシスを後にした。



今日は、ここから国内線でさらに約1時間のところにある、南米3大河川のひとつとして知られるオリノコ川の港町、プエルト・アヤクーチョへと移動するのだ。
教授はこの移動中に、『アフリカの最後の恐竜』をようやく読み終えると、不意に質問を投げかけてきた。
「ナオキ、現在この地球上のどこかに恐竜は存在すると思いますか?」
「恐竜ですか⁉︎ いやぁ…だって従来の定説だと、およそ6600万年前に絶滅したことになってるじゃないですか」
それを聞いた教授は、若干不服そうに「絶滅ねぇ…」と言って、視線を僕の顔から手元の本へと移し、眉毛をひくっと上げたまま、意味深な笑みを浮かべるのであった。

午前11時、我々一行は、小雨がぱらつくプエルト・アヤクーチョに到着した。
この地域は、雨の少ない時期もあるが、ほぼ年中多雨で高温の気候下にあるという。
まさしく熱帯雨林気候。
都会にはない土着感漂う街中で、道行く人々の火照った褐色の肉体は、雨に濡れて輝いている。
土の道路は、降りしきる雨に溶かされ、赤茶色の筋を四方八方に拡げている。
辺りに立ち込める匂いは、雨によって潤った力強いアマゾネスの大地の息吹きそのもののような気がした。
出発時間の午後1時までの間、我々は街角のレストランで雨音に耳を傾けつつ、カフェジーニョ(とびっきり濃いコーヒー)の入ったエスプレッソカップも傾けた。



ジョサフィンは、通訳・護衛の他にも移動の手配や宿泊場所の確保といった、行く先々での段取りなど、俗にいうコーディネーターとしての仕事も手際よく進めてくれている。
そのおかげで我々は、予定通り午後1時にプエルト・アヤクーチョを出発し、そこからセスナで約2時間南下した所にあるサンカルロスのベースキャンプへと、何の問題もなく移動することができた。
ジョサフィン自身の経験がもたらしているであろう、様々な場面における対応力の高さは目を見張るものがある。
彼のそんな能力のお陰もあり、南米独自の何かとルーズなリズムの中でも、我々は滞ることを知らずに済んでいるのだと思う。
それにしても南米に暮らす人々の時間的感覚は、やはり日本人のそれに比べると、かなりアバウトな傾向にあるように思える。
例えばホテルのボーイ、タクシー等のドライバー、空港職員、飲食店の店員…。
彼らが決してだらしないということではなく、社会・生活自体がもともと楽天的でゆったりしているからだと言っていいだろう。
熱帯雨林気候を実際に体感してみれば、その気候下で、いちいち時間に敏感になることの方が馬鹿らしいとさえ思えてしまうのも事実だ。
先天的な気質なのだろうか?
日本人がシビアになり過ぎているという気もしないでもないが…。
兎にも角にも、"郷に入っては郷に従う”ということが旅の掟でもあり、正しい道なのだ。

さすがにサンカルロスまでやって来ると、密生した熱帯雨林が大気中に放つ常緑樹林の香りが濃く感じられる。
トランジットがベースキャンプ内ということで、ライフル銃を手にした兵士達が、アメリカ人とアジア人という組み合わせの僕らの様子を物珍しそうな顔つきで伺っている。
土地柄によるものなのか、軍事基地だというのにその雰囲気は妙な圧力もなく、不思議と穏やかだ。
僕がトイレに行こうと歩いていると、陽気な雰囲気の若い兵士がすれ違いざま、僕に向かってスペイン語をまくし立てた。
そこで僕は「ノー、エスパニョール!ソーリー」と言って、そのスペイン語の乱射を食い止めてすぐ、「あっ、ヤノマミ!ヤノマミ!」と咄嗟に弓矢を射るジェスチャーを交えて切り出してみると、兵士は少し驚きの表情を浮かべ「スィー、スィー(分りました)」と言って握手を求めてきたのだ。
やけに力のこもった握手に応えて、さっさとトイレに行こうとすると、握り返したその手を振りほどけず、僕は手を握られたまま「オーケイ、オーケイ」と兵士は興奮した目を輝かせて、近くの建物を指差しながら、半ば強引にそちらの方へ僕を連れて行こうとする。
僕は「No!No!」と初めは軽く抵抗してみたものの、思いのほかその力は本物で、兵士の執拗な強引さに負けて、その建物の一室へと導かれてしまった。
何とも言えない不安感を抱きながらも、兵士につづいて室内に入ると、彼は壁に掛かるそれを興奮気味に指差した。その壁には何と、片手に弓矢を持ったヤノマミ族の勇ましい男と、身体中に化粧を施した女の姿を象徴的に描いた1メートル×1メートル程の油絵が飾られていたのだ。
なるほど、こういうことだったのか…。
それを見せてもらったことで、プリミティブな未開の世界がもうすぐそこに迫っていることを改めて実感したのである。
彼は満足気に笑みを零し、白い歯を輝かせた。
「ムーチョ、グラーシアス(どうもありがとう)」
もう一度、強すぎる握手を交わし、彼の好意に礼を述べて、僕は急いでトイレに向かった。
そう言えば、トイレに行く前に彼とすれ違った時、一体、僕に何をまくし立てていたのだろう…。



時刻は、午後4時。 
ここからはヘリに乗り換えて、今回のフィールドワークの成功へのカギを握る、現地ガイドのルーチョと落ち合う算段である。
いざ彼が待つ、アマゾン川支流のネグロ川沿いのポルべニールという集落を目指す。

ジョサフィンによると、ルーチョは子供の頃からヤノマミ族と関わりを持っている人物で、現地の地理などにも詳しく、ヤノマミ族の社会や言葉をよく理解している頼もしい精通者だという。
2年ほど前、ジョサフィンとルーチョは、ペルーのマチゲンガ族(ヤノマミ族よりは文明的に暮らす)という部族を、イギリスのドキュメンタリー番組が取り上げた時にも一緒に仕事をしたというのだ。それぞれ通訳とガイドとして雇われ、その時に知り合ったらしい。
ジョサフィンは、ルーチョとの再会を楽しみにしている様子で、ヘリの窓から下界を見下ろしている。
その眼下に広がる樹海を縫うようにして、オリノコ川とその支流たちはどこまでも伸び拡がり、川に沿って点在する村落の暮らしに潤いをもたらしているのだ。
川面に映る午後の強い陽射しは、キラキラと優雅な輝きを放ち、僕の目を細めさせる。
太古から変わらぬ大自然の姿に、我々の目は奪われたまま30分が経過し、やがてポルべニールに到着した。
ヘリが、とある大きな民家の近くの空き地に無事に着陸すると、我々を待ち構えていた数人のインディオが近付いてきた。
その中にひときわ小柄な男がいる。
彼がルーチョだ。
人懐っこさと精悍さを同居させた顔つきをしている。肩まで伸びた黒髪がワイルドだ。
「オラ、アミーゴ(やぁ、こんにちは)」
何とも愛嬌のある声の持ち主の彼は、30歳と言われてもピンと来ない、年齢不詳の印象。
他のインディオの男たちはここの住人だが、ルーチョはネグロ川の下流にある自宅から2時間半かけて、今朝エンジン付きのボートでやって来たとの事。
住み処を持ってはいるものの、彼のライフスタイルは根無し草のように、ひとつ所に居続けることを好まないという。まるでジプシーのようだ。
ルーチョをはじめとするインディオの男たちは早速、ヘリから荷物を降ろし、民家まで運ぶと、我々にコーヒーを勧めてくれた。
教授は、民家の前を流れるネグロ川(黒い川という意)の岸辺に腰を下ろして、パイプの煙を深々と吸い込んでは、安堵感を漂わせるかのように吐き出している。
ヘリのクールなベテランパイロットは、コーヒーで束の間の休息を取り終えると、アミーゴ達と握手を交わした。
「ではまた2週間後、ここで会いましょう。皆さんの冒険が素晴らしいものとなりますように!皆さん、ブエナ・スエルテ!(幸運を祈ります)」
そう言って、夕闇が迫るポルべニールの空に向けて親指を突き立てると、巨大な鉄の虫に乗り込み、爆音と共に空の彼方へと消えて行った。