【5】


「やぁ、ナオキ。どうですか、モーガンは、まとまりましたかね?」
「えぇ、なんとかフィニッシュしました」
「そうですか…それはそれは」と言いながら教授は、ハンモックから器用に体重を移動させて、くるりと着地した。
そして、持っていたホエザルの頭蓋骨を、机の上に山積みになった文献や資料の頂上に置き、愛用のロッキングチェアに身を預けると、僕にもイスに座るよう促した。
教授は「ナオキ、グッドニュースですよっ」
と言って髭を撫でつけると、瞬きなどしないと誓ったかのような見開いた目を覆っている丸眼鏡を、最もフィットする位置に安定させた。
少し興奮気味であることが声のトーンからも分かる。
「私はここ数年の間、フィールドワークからすっかり遠ざかっていました。キミも知ってのとおり、私の心を揺さぶる調査対象との出会いが無かったからです。だがしかし、やっと素晴らしいテーマが見つかったですよ」
思わず僕は身を乗り出して、聞く体勢をしっかりと整えた。
「ちょうど1年前に私は、今回の調査の明確な目的や費用の概算を明記した、援助の依頼書を文部科学省に申請していました。そして昨日、その科学研究費の支給通知が送られてきて、遂にフィールドワークが決定したというわけです!
場所は…南米のベネズエラ、隣はブラジルですな。その国境付近は広大なジャングルになっておるんですが、その密林地帯に暮らす狩猟採集民のヤノマミ族という裸族の村に寝泊まりして、2週間のフィールドワークを行います」
聞くだに興奮する計画である。が、次の教授の言葉で興奮は、驚愕に変わった。
「そこへ私の助手として…ナオキ、キミを連れて行きたいんですがいかがでしょう?」
「え、えっ…」
「出発は3週間後です。その間に、黄熱病・破傷風・A型肝炎・狂犬病など計4本の予防接種、それとマラリア予防に錠剤のメフロキンも服用せねばなりませんぞ」
"行けるなら何でも打ちます飲みまする”と
内心ひとりごちる。
僕は"グッドニュース”とうワードを耳にした時から徐々にドキドキし始めていたため、同行を打診された時のテンションはほぼMAXに達していた。
「勿論です、ご一緒させて下さい!」
「わかりました、ありがとう」
教授は、まだ話には続きがあるというような風情で、パイプにタバコの葉を詰め始めた。

相変わらず外は、雨が降りつづいている模様。アジトのすすけた窓ガラスを叩く、ある一定のリズムの雨音がとても優しい。
「できるだけナオキは、ヤノマミに関する知識を持たないでください。いや…これじゃあ強制になってしまいますな、失礼。正確には、持たない方がいいでしょう。色々と事前に知ってしまうと、先入観が邪魔したりして、何かとつまらなくなりがちですから。キミの目で…その瞳で、フレッシュな目の前の現実を実際に体験するのが一番だということです。でもまぁ、大事なことは大事なこととして知っておかなければなりませんがね」
そこで、ラジカセから小さく唸りつづけていた"浪曲“が一瞬止んで、「ガチャッ」とアナログ的な音を立ててカセットがリバースされる。一瞬、間があって、また三味線の味わい深い演奏と共に語り部が唸り始めた。
その「ガチャッ」という音で、僕は興奮しながらもどこか放心しているような状態から目が醒めた気がした。
僕の夢であるフィールドワーク…。
ついに…ついにそれが現実のものとなる。
机上での冒険にとどまっていた日々に別れを告げる時が来たのだ。
教授の言う"大事なこと“とは、つまり持ち物の事だった。
目的地がアマゾンのジャングルというだけあって、生物学上いまだに発見されていない虫や微生物が多いらしく、まずは蚊帳(これは必需)、それに防虫スプレーや蚊取り線香、そして必要時に対応する何種類かの薬を持っていくべきだという。
食糧においては、現地調達以外のものも、慎重に考えなければならない。
なにしろ調査隊は、我々二人とスペイン語の通訳、ヤノマミ事情に精通している現地ガイドの計4人。当然ながらリュックの荷物はそれぞれが軽量化を図り、責任を持って背負う必要があるというのだ。
僕は、注意事項を含んだ最低限の情報を教授から得て、それをメモした。
「まさしく、ナオキの研究対象にもなっているアニミズム(精霊崇拝)の世界ですよ。キミの今年最大の課題である卒業論文に、最も適したテーマが見つかるはずです。キミならエンジョイできるでしょう。これこそ、デスティニーというものです。キミにはそれを受け入れる準備がすでに出来ている。きっとパースペクティブ(物の見方)に革命が起きますぞ。とうとう導かれましたね、ミスターナオキ」
教授はそう言って、ロッキングチェアに完全に身を任せると前後に揺られながら、口が隠れてしまうくらいスマイリーに顔を綻ばせるのであった。
65歳のフランク教授の年季の入った好奇心をくすぐり、関心を向けさせたそのヤノマミ族とは一体どんな種族なのだろうか?
そしてなぜ、ヤノマミ族なのか……?