【4】


いま季節は、ほんのりと心地よい湿っぽさを含んだ柔らかな風によって、街行く人々に初夏の訪れを感じさせている。
信州で生まれ育った僕は、上京後の四季の移り変わり方の違いに気づくことによって、故郷との実際の距離を越えた、見えない距離感みたいなものを感じるようになっていた。
しかし、国内のどこに住んでいても日本独自の四季は定期的に味わいを変え、僕たちの遺伝子に情緒をもって働きかける。
それに敏感に反応することで、日本人はそれぞれの季節の変化を楽しめるのではないかと思うのだ。
まあ、それにしても故郷を離れてわずか3年足らずで、ノスタルジックもなにもありゃしないと言われてはおしまいだが…。

今日は朝から雨が降っている。
普段は自転車で通学しているのだが、僕の自転車には泥よけが付いていないので、こんな日は歩きでの通学と決まっている。
自転車置き場を素通りして、寮の門の前まで来ると、警備員にしてはかなり小柄なキクチさんに声を掛けられた。
「あーれ、また傘持っていかないのかい?」
確率的にキクチさんとは朝と帰宅時、だいたい同じ場所で鉢合わせることがなぜか多い。
僕はどうも子供の頃から、よほどの雨が降らない限り傘をさした試しがないのだ。
雨が好きなのか、傘が嫌いなのかと聞かれたら"どちらとも“と答えなければならないだろう。
キクチさんからの投げかけを笑いながら受け流して、「行ってきます」と一言だけ返し、寄宿寮を後にした。
いつものような自転車に乗っている時の視点やスピードとは違った、歩きだからこそ見ることの出来る景色というものがあるように思う。
道には所々に水溜りが出来ていて、僕はそれを見ながら、いつから長靴を履かなくなったのかを思い出そうとしていた。
4車線の道路を挟むようにして等間隔に整列した街路樹たち。
彼らは、車が走り抜けるたびに勢いよく上がる水しぶきを防波堤のように優しく受け止め、潤いに満ちた緑色の葉を茂らせて静かに濡れそぼっている。
黄色い小さな塊に見える、登校途中の幼い子供たちの集団は、原色の傘を重ね合わせていて、朝ということもあり、やけに眩しい。
信号が変わるのを待ちながら、そんな光景に目を奪われていると、どこか警笛らしくない、引きこもったような音色のクラクションが自分に向けて鳴らされていることを察知した。
つられて見渡すと、路上で信号待ちする4WDの窓を開けて、フランク教授が僕に手を振っているではないか。
僕もすかさず手を振り返すと、丁度信号が青になり、教授は「夕方、アジトで待ってますよっ」と声を少し上ずらせてそう言い放ち、もう一発クラクションを鳴らすと、街路樹のトンネルをくぐり抜けるように走り去って行った。






アジトとは、教授の研究室のことである。今日、僕は大学の図書館で、『モーガンの社会進化論』というテーマでレポートを書き上げなければならない。
古代を起源とする人類社会の変遷の過程を、進化論的に推測して書かれたルイス・ヘンリー・モーガン著『古代社会』を読んだ上、生物学者ダーウィンの有名な『種の起源』『人間の由来』なども参考にしながらレポートとしてまとめるのだ。
思えば僕は、子供の頃から図書室という空間が好きだった。図書室を利用する人間それぞれの道徳心によって作られる静寂と、大量に貯蔵された書物たちが放つ独特な匂いが、読書をするにあたって、ドーパミンの働きを抑えてくれている気がしてならないのだ。
だからじっと落ち着いて座っていられるのだろう、と思ったりもする。
小学校の図書室に保管される本の、裏表紙のさらに裏側には『貸し出しカード』なるものがのりで貼り付けられていて、そこにはその書物を借りた人物のクラスと名前、借りた日と返却した日が記されていた。
タイトルが気になって何気なく手に取った本の貸し出しカードを見て、そこに友達の名前があったときには、なんとも言えない気持ちになったものだ。
そんなことを呑気に思い出しつつも、必死に左脳を使って、連日文字を書き連ね…
そして製作し始めて8日目の午後5時半、ようやくレポートは完成した。
僕は教授に言われた通り、研究室で待つ彼のもとへ急いだ。アジトと呼ばれるだけあって、そこは建物の2階にあるにもかかわらず、訪れた者にまるで地下にいるような錯覚を起こさせる。
僕はアジトが好きだ。
過去に、他の教授たちの研究室もチラッと伺ったことはあったが、どこか健康的というかひねりが無いというか、入りたくなる気持ちがくすぐられる雰囲気を感じないのだ。
その点、フランク教授の研究室は、いい意味での危うさが漂い、子供達にとっての秘密基地を彷彿とさせる。つまり、外界とは縁のないような隔絶された空間が創り上げられているのだ。
そのアジトのドアをノックし「ナオキです」と告げると、間髪入れずに「どうぞ」と短く歯切れの良い返事が返ってきたのでドアを開ける。浪曲が小さな音でラジカセから流れているのにすぐ気付いた。
教授はブルースのほかに、浪曲も好んでよく聞いているのだ。
三味線の伴奏が、アメリカ人のいる室内に流れているというのは、いかにも奇妙だ。
教授はというと、室内の奥に吊られたハンモックに身を預けて、小さな頭蓋骨の標本を胸の辺りで弄んでいる。それは、ホエザルのものだった。