毎度、長い文章にお付き合い下さり、ありがとうございます🙏



改めてお伝えしますが、

この小説は、フィクションです☝️

といっても、すべてが作り話というわけではありません!

僕が2000年にベネズエラのジャングルで
ヤノマミ族と数日間を共にした事は紛れもない事実で、物語りに登場する酋長や狩人や子供たち、また日本を発って南米に入ってから出会った仲間はほとんど実在の人物です。(名前も本人達の実名で登場します)



ジャングルにしろ都会にしろ、
実際にそこへ行った者でしか分からない景色や感覚というものがあります。



ですから文章を書くにあたって、
五感をフルに使って全身で体験した事柄や、
見聞きした色々な場面での感覚を呼び起こし、
『自分ならではの描写を大事に!』をモットーに執筆・表現したつもりです。


以上のことを考慮の上、
お読み頂けたらと思います🙇‍♂️

宜しくお願い致します❗️










【3】

思い返せば、この時のフランク教授との出逢いによって感じ得た波動は、僕の内で確かにビビットなバイブレーションとして響くものがあり、その後の僕と教授との付き合い方というものを運命性を含んで強く暗示していたような気がする。とにかく僕は教授に対し、ためらうことなく心を開くべき人物であるということを認識した。と同時に、単純にその何とも形容しがたい教授独自のキャラクターに強い興味を持ってしまったのである。
そんな出会いから三年経った今日までに、教授からはありとあらゆることを教えてもらい、また、考えさせられるテーマも与えてもらった。
教授の講義には、いつだって裏切りや退屈、ごまかしがないのだ。妙にナンセンスでアカデミックな話もしないし、テキストはあっても予定調和的なプログラムで進行したりもしない。
それ以前に、打算のないユーモラスな教授の口調や声のトーンが、聞く者の、少なくとも僕の聴覚をマイルドに反応させるセンシティブなインパクトを持っているため、ものを教わる立場にありながらもリラックスできるのだ。
この文化人類学という学問を、頭ではなく心で好きにさせてくれるエッセンスや道標を、講義を通して、また、講義以外においても僕ら学生にフランク調で明示してくれるといったらいいだろうか。
つまりは、課外授業のような気分で机に座っていられるということだ。
父親を早くに亡くした自分にとって、フランク教授の存在は父親的でもあり、またリスペクトした上で国籍や年齢を越えたフレンドリーな感覚を分かち合える相手として、いつともなく僕は、教授を慕うようになってゆく。

実家を遠く離れ、大学近くの学生寮に住む僕を、何を思ったのか入学当初から教授はよく自宅に招いてくれた。
教授は、三十代の半ば過ぎに日本人の女性と結婚したものの、ある種独特な冒険放浪癖は年々激化の一途をたどり、数年後に離婚。
ふたりの間に子供がいなかったため、現在は東京の郊外にひとりで暮らしている。
また、威勢のいいことに教授は、日本製の古い4WD車で片道二時間もかけて大学に通勤しているのだ。
郊外にあるフランク邸の一帯は開発が少しずつ進んではいるものの、日本的な田園風景が広がり、四季を問わず夜には小動物が下界に下りてきて、田園を荒らすというような光景も珍しくはない。そんな場所に教授は十数年前、庭付きの丸太小屋を建てて、日本にいる時はほとんど、そこで暮らしているのである。

入学してから間もないある日のこと、突然フランク教授から「家にいらっしゃいよ」という誘いの声がかかったのだ。彼の愛車の4WD車に乗せてもらい、初めてフランク邸にお邪魔することとなった。
教授がエンジンをかけると、カーラジオからAFNのニュースが流れ始めた。「このチャンネルに合わせてないと英語を忘れますよ。いやぁ、おそらく英語なんかの前に、ボケて自分自身を忘れてしまうでしょうねぇ」とおどけてみせる。
しばらくしてニュースが終わり、しらけたアメリカンポップスに切り替わると、「こんな時はこれですよ。これしかありませんなぁ…ナオキ!知っとりますか? ブルース、本物のブルースですぞぉ」
そう言いながら、すかさず器用に片手でサイドボードを開け、ごそごそと手探りでカセットテープを取り出した。デッキにテープを吸い込ませると、展開の兆候を一向に見せないしらけたままのアメリカンポップスは瞬時に切断された。車が古いからだろうか、小刻みに震えるようなひび割れた響きを持って、モノラルのスピーカーから泥臭いブルースが荒々しく流れ始めたのだ。
「こういうのが好きなんですか?」と言う僕の問いに覆い被さるように教授は言い放った。
「この人は凄い!ブラインド・ウィリー・マクテルです。彼は盲目なんですがね、そんなハンディキャップなど物ともせず…うーん、素晴らしい!これですよ、これ。なんといってもこの悲しみたっぷりのボーカルがいい…ナオキ!デトロイトにジョン・リー・フッカーというブルースマンがおるんですよ。言うなれば生き証人ですな。彼はですね…」
こうしてフランク邸までの車内は、黒々とした土の匂いがプンプン漂うブルースとR&Bについての教授の熱い語り口調、そして彼の吐き出すパイプの煙とが終始、絡み合いながら充満していた。
教授の家に到着した時には、すでに辺りは夜の闇に包まれており、心の内では早く丸太小屋に入りたいと言う気分の高揚が絶頂に達し始めようとしていた。
「ナオキ、着きましたよ。さぁ、どうぞ中へ、どうぞ」
お世辞にも高級感が漂っているとは言えないが、いい具合に年季の入ったログハウスだ。
教授から誘われるままに、僕は胸を躍らせて小屋に入った。素朴であたたかい雰囲気の室内を見回しながら、帰宅したばかりの教授の動作にも注目していた。
20畳ほどのスペースの中心にどっしりとした大きな切り株のようなテーブルがあり、それを三方から囲むようにゆったりとしたソファーが置かれている。残る一方には暖炉が象徴的に設備されてある。
暖炉の傍らには、薪が無造作に積み重ねられていて、それらはまるで燃やされる順番をじっと待っているかのように見える。教授はベッドがあるものの、決まってこのソファーで寝るのだそうだ。
教授がテーブルの上のキノコ型のランプのスイッチを入れて、オレンジ色の電球を点ける。本棚の上やテレビの上など、所々に置かれたローソクに「どうも私は昔から炎というやつが好きでしてねぇ」と小さく告白しながら、一つひとつ丁寧にマッチで火を灯した。まるで日常的な作業であるということを自ら確かめるかのように、そしてそれを僕に示しているかのように…。
いくつものローソクの灯りが優しく加わった室内は、心を落ち着かせてくれながらも、僕の気を引くものが随所に配置されている。
世界各国で購入したであろう数々の木彫りの精霊像、勇ましく姿勢を正した鷹の剥製、戦いのシャーマン・ジェロニモが描かれた古い額縁の中の油絵、50センチ程のシースルーの人体模型、『色即是空』と力強いタッチで書かれた自筆の書の掛け軸…。どれもこれも、ずっと前からここにあるという存在感を静かに醸し出し、丸太小屋の内部にフィットしている。
夕食に教授は、ここ数日煮込んだという自慢のカレーを食べさせてくれた。何が入っているかと聞いても、いろいろなものが入っているとしか答えが返ってこない。
「あとで美味しく食べられるんだから、一度煮込んだら、どんなに待たされても苦になりませんよ。なるはずがないっ」「教授はカレーをよく作るんですか?」「いやぁ、ひとりで食べるより人数の多い方が楽しいに決まってます」
噛み合っているのか分からない問答がつづきそうな予感…。それを跳ねのけるかのようなタイミングで、僕の瞳に何とも不気味で、また滑稽にも見える人間の顔のようなものが飛び込んできた。
それは、木のタンスにはめ込まれたガラスの開き戸の奥に、保管されているという風情で置かれてある。
「教授、それは?」
僕はそれを指差して教授の顔を伺った。
すると教授は丸眼鏡の奥の瞳を少し細め、眉をヒクッと一回動かした。
「ニューギニアのイリアンジャヤという山奥に住むガワン族から貰ったものなんですよ。死んだ祖先の精霊を意味しているらしいんですな。『マッドメン』という、泥で作った仮面です」と言いながら、その仮面をタンスの中から取り出すと、それをテーブルの上にそっと置いて話をつづけた。
「秋田県の伝統的な小正月の行事の『なまはげ』の風習に共通した精神性が、ガワン族の生活の中に息づいているのではないかというテーマを基に、その山奥で比較研究を行ったんです。そしてこれがまた、文様に特徴のある縄文時代の土偶とニューギニアの祖先像がよく似ておるというじゃありませんか!フィールドワークも時が経つにつれ、次第に現地人とも親しくなってきたある日、その村の副酋長が私を呼び寄せたんです」
僕は思わず身を乗り出して、つづきを聞いた。
「森へと吸い込まれてゆく副酋長に私はただ従いました。ジャングルの中をしばらく歩くと、副酋長は急に足を止めて、前方を指差すんです。見るとガワン族の男たちが祭りの準備をしている最中だったんですねぇ。男たちは妖怪のような仮面を被り、まるで獣のように体を揺さぶっていななき、体じゅうに不気味な装飾を施していました。あの時の男たちのテンションの高さといったら相当なものでしたよ。まぁ、つまり私を仲間として認めてくれた副酋長が、特別に見せてくれたという事ですね。その時にこの『マッドメン』をもらったのです」
そして教授は「被りますか?」と言って、おもむろにそれを僕の方へ差し出した。僕は僕で、この仮面が死者の精霊と深い関連がある霊的な代物だということを認識していながらも、仮面の内部からの視界にも興味があったのでひるまず被らせてもらった。
教授が「どうですか?」と僕に言ったらしいのだが、こっちは被っているので質問が聞き取れなかった。そこで仮面をスポット外して「なんですか?」と聞き直すと、教授は僕の顔を見るやいなや「ハッハッハッハ」と声高らかに笑い出したのである。
教授が自身の鼻をツンツンと突っついた後、僕を指さすので、僕が自分の鼻を触ってみると、仮面の泥の粉が眉毛や鼻の頭を中心にすっかり付着していたのだ。鏡の中の自分と対面してみると、さらに可笑しくなってきて、ふたりして大笑いしてしまった。
「そうです、そうです。童心を忘れてはいけませんぞ」

その日は夜更けまで、教授がフィールドワークで出逢ったさまざまな部族の貴重な写真を、熱弁をふるいながら僕に見せてくれたのだった。
このように僕にとってはありがたく、幸運とも言える一宿一飯が、三年という歳月の中で幾度となく回を重ねられた。その度に文明から隔絶された世界への憧れは、教授によって完全に火が点けられ、想いは膨れ上がる一方だった。仮に在学中にフィールドワークを経験できなかったとしても、いつの日にか必ず個人的にでも実行したい…。
その思いは焦ることなく、しっかりと希望を抱くまでに強固なものになっていた。
次第に僕は、いくつかに分かれたこの学問の諸分野の中でも、民族文化史や原始的宗教(霊魂の存在に対するアニミズムやシャーマニズムと呼ばれる信仰形態)、聖なるものと関わる慣習的な儀礼などといった分野の研究に没頭していくのであった。