【2】

動機という部分においてその背後にあるものは、なんといっても探究心を含んだ情熱ではないだろうか。その情熱は、ネイティブアメリカンだけではなく、もっとプリミティブな生き方をしている人々について深く知りたいという思いにつながった。
知ることによって新しい価値観が欲しいといったような貪欲さを、僕はこの3年間の中で増幅させ、見知らぬ国で見知らぬ人々との運命的フィールドワークへの希望を強く抱くようになっていった。
そんな僕の熱い心意気を、説得力を持って真理へと導いてくれるのが、人文学部の主任でアメリカ出身のフランク教授だ。
フランク教授は、アメリカ最古の私立大学ハーバード大学を卒業している(僕は教授と呼び、彼は僕をナオキと呼んでいる)。
その後、教授は同大学院で自然人類学や考古学を専攻する傍ら、アフリカ大陸中西部・赤道直下のコンゴ共和国のジャングル奥地に住む"世界最小の民族“ピグミーにも研究の目を惹かれた。
5年に渡るフィールドワークで数回コンゴに赴き、彼らと親交を重ねるといった経歴の持ち主なのだ。
彼はすでに20年以上も日本に滞在している。だから日本語も流暢に話し、日本の文化にも造詣が深く、書道の愛好家でもある。
『書は心ですね』と言うのが口癖なほどだ。
教授の風体はと言えば、着込んだダンガリーシャツに茶のチノパン、足元にはサンダル。銀縁の丸眼鏡をかけ、鼻の下にはタバコの煙でブロンドに変色しつつある白ヒゲを蓄え、若干赤ら顔で微妙にグラデーションがかかった白髪の65歳。ワイルドなアインシュタインといった感じのプロフェッサーだ。
愛煙家であることを象徴するかのような手持ちパイプでのスモーキングスタイルは、教授のトレードマークとも言える。
そんなフランク教授と僕が初めて対面した時のことは、とても印象深く記憶している。
それは入学して最初の講義の時だった。
まず初めに、教授がクラスの学生たちの名前を一人ひとり呼び、呼ばれた者は起立して自己紹介することになった。
やがて自分の名前が呼ばれ席を立つと、教授は僕に向かって右の手のひらを見せた。そして「レッドパワー、ワーピーヤ!」と言ってニッコリ笑ったのだ。レッドパワーとは、『インディアンの力』、ワーピーヤとはネイティブ・アメリカンのスー族の言葉で『癒しの技』という意味だ。
僕はたまたまその言葉を聞いたことがあったため、即座に理解できて驚いた。
同時にそうした教授からのアクションが、受験時に僕が提出した自由論文の内容を示しているとすぐに理解できたので、語気鋭くとまではいかなかったが、「レッドパワー、ホッジョーゴ」と教授に切り返してみせた。
ホッジョーゴとは、ナヴァホ族が暮らしの中で常に意識している"すべてが調和した美しさ“を意味する。
すると教授は、表情を繊細に反応させ、今にも動き出しそうな白ひげを右手の親指と人差し指でゆっくりと撫でつけた。その仕草はまるで僕の返答を吟味するかのようで、同時に彼はこの短いキャッチボールに句読点を打つかの如く、肩をヒクッと微動させたのだ。
次に教授は「みんな、インディアンのこと知ってるでしょ?」と言い放ち、くるりと背を向けると、深緑色に暗く沈んだ黒板の真ん中にこう書いた。

MOTHER  EARTH , FATHER  SKY

そう力強く書き記し、指についたチョークの粉を払いながら教授は語った。
「アメリカ人、いや全世界の現代人にとって、ネイティブの人々のことを真摯な姿勢で学習し、本当に理解しなければならない時代が来た気がしますね」と、少しだけ悲嘆の情を込めて言うと、今度はゆったりとした口調で話し始めた。
「私が、んー…34歳の時だったですかねぇ。サウスダコタ州のリザベーション(居留地)に住むオグラダ・スー族という平原のインディアンの村をフィールドワークで訪れたですよ。このスー族という部族はとても勇敢でしてね。中でも様々な激しい戦いが繰り広げられた西部開拓時代に、超自然的な力を持つ男として名高いクレイジー・ホースと言う卓越した指導者がおったんです。で、彼は幼い頃からしばしば啓示を受けていたらしいんですな」
再びチョークの粉を払いながら教授は続けた。
「彼の幼名は髪が縮れていたので『カーリー』だったんですが、カーリーは、ある啓示の中で、顔や体に不思議な模様を描いた男が、踊り回る馬に乗っているというヴィジョンを見たんだそうです。それをカーリーから聞いた父親のクレイジー・ホースが『その啓示の中に現れた男はお前自身だ』と告げて自分の名前を息子に与えたと言うんですよ。その彼の写真が現在、何枚か残ってはいるんだけれども、本人と確認されたものは一枚もなく、未だ神秘のベールに包まれているんですねぇ。まぁ、そういう人が過去に存在したという、そのスー族の村に私と同じ研究生数人と現地ガイドと行ったわけです」
ここで教授はひと息つくかのように、ダンガリーシャツのポケットから、いかにも使い込まれたと見受けられる木製のパイプとタバコの葉が入った小さな木箱を取り出し、慣れた手つきで葉をパイプに詰めるとポッと火をつけ、紫煙をくゆらせ始めた。この行為は教授にとって日常の一部なのだろう。また、彼という人間を象徴しているようでもあった。
(講義中にタバコなんて…)という常識的な観念を、彼のアイデンティティーは余裕で超越しているのだ。
2服目の煙を吐き出すとまた話をつづけた。
「なんとも素晴らしい季節でしたねぇ。全くもって輝く草原と青空しかないんですよ。
Just  Simple !  みんながみんな風に吹かれていたですねぇ。見渡す限りの大草原にぽつぽつと三角錐のティピーが建っていて…」

僕はその光景を脳裏で描いてみた。

「彼らの移動式住居ですな、冬になれば寒気を逃れて木立の中に建てるんです。でもその時はそんな時期じゃないから、草原に建てられていたですね。ティピーのてっぺんから立ち昇る煙は非常にエレガントでした。
そんな景色の中、やがて我々はガイドの案内でスー族の村…確かサンティーと言ったかなぁ、やっと到着したですよ。穏やかな時を刻み続ける彼らの園に、我々がジープで乗りつけたものだから、もうすでに我々の動向に熱い注目が集まっておってですね、色とりどりの衣装を身にまとったスー族の男たちが、我々が車を降りるや否や近寄ってきたですよ」
その像がありありと思い浮かぶ。

「強い好奇心を強い警戒心で包み込んでいるような態度でね。早速ガイドがその中の一人に酋長を紹介してもらうように交渉を始めたんです。そうすると「客人よ、どうかされたか?」と言う声と共に、スー族の男たちの背後から、酋長自ら我々の前に姿を現したですよ。身に付けている装飾品も一段と素晴らしかったですが、何よりも彼の瞳が、よそ者を簡単には寄せ付けない威厳と深い光をたたえておったのです」
まるで映画のように脳裏でシーンが進む。

「すかさずガイドが本題を切り出しましてね。我々は実地調査をするためにここに来たという事、そしてそれを承諾してもらった上で協力してくれるか否かをね、説明したんです。話が進むにつれて、酋長や周りの男たちの表情に微笑みが浮かんできてですね、場の雰囲気は一変して友好的なものになったんですよ。それもガイドがスー族の言葉を勉強して良く知っていたお陰によるものだったんですがね。我々が好感触に胸を撫で下ろしていると、交渉中には頷くだけだった酋長が、抑揚のない祈りのような声で物静かにこう言ったんです。
「あなた方はラッキーだ。とても良い経験ができるであろう。私どもの聖なる儀式を見ていけばよい」と。
その儀式をやがて我々は目の当たりにするんですがね…これがまた凄かったですねぇ…そぅ、まさに男の儀式ですよ!」

教授はヒートアップしたせいで若干曇った丸眼鏡を外し、ダンガリーシャツの裾でレンズを拭きながら話をつづけた。

「サンダンスと言うインディアンの伝統的な誇り高き荒業があるんですがね…イマジン!想像してごらんなさい。自分の胸の肉を刺し貫いた4本のワシの爪を2本ずつ、なめされた長い草紐で結んで、自らの腕でそれを引き抜くという行為を。この荒業を4年続けた者だけが『サンダンサー』と認められて勇者としての誇りと尊敬を受けることが出来るという事なんですね。何日か経ったある日、ひとりのスー族の男がその試練に挑んだわけです。その男は、そんな過酷な儀式を前にして、しかも1回目の挑戦という事にもかかわらず、妙に落ち着いていたのが印象的だったですねぇ」
教授の眼鏡がまたまた曇り始める。

「初めのうちは、胸の皮が伸びるだけにとどまっておったのですが…近くで見守っていた年配の経験者が『腕を真っすぐ前に突き出すだけでいいんじゃよ。何も考えてはいかん、力を抜くのさ』、そうアドバイスしました。その言葉通り挑戦者は、思い切って腕を…こう突き出した!しばらく激しい苦痛に顔を歪めていたんだが、ついに胸に突き刺さっていた4本の爪が鮮血と共に宙に舞ったですよ!いやぁ、極めて壮絶です。彼をいたわる男のひとりが、彼の足元の小さな血溜まりを指して我々に言ったんですよ。『この血は、母なる大地に帰るんじゃ』と…。私はしばらくの間その血溜まりを見つめていました。ストイックなこの儀式、般若心経での『苦が人間の精神を動かす』という概念に通じる部分がある気がするんですねぇ。うん…まぁそれにしてもショッキングだったですよ。結局、村には2ヶ月ほどおりましたかね。全てが美しいとしか言いようがありませんなぁ。夜なんて星がもう…あぁそういえばあの彼はその後、サンダンサーになれたですかねぇ…」

-全てが美しいとしか言いようがありませんなぁ-

どちらかというと独り言に近い教授のこのセリフを、僕はやがて数え切れないほど耳にすることになる。
目の前にいるこのアインシュタイン似のアメリカ人は、一体どんな道を歩んできたのだろうか。
丸眼鏡の奥の瞳は、今まで何を見てきたのだろうか…。