しまってあった写真や資料を整理していたら、
色々なものが出てきました⭐️
25歳から35歳までの10年間に、
ドキュメンタリー番組『世界ウルルン滞在記』だけで、
10回出演させて頂きました🌏✨
95年にスリランカでカツオの一本釣りに挑戦、
同年、モンゴルへ遊牧民と生活しに、
96年、ニューヨークでドッグトレーニングに挑戦、
97年、モンゴルへの再会SP、
98年、アフリカ・ウガンダで野生のマウンテンゴリラを探しに、
同年、ラオスの山岳地帯に住む少数民族・ムチー族と生活しに、
99年、ムチー族との再会SP、
2003年、バリ島で音楽の格闘技と言われるジェゴグに挑戦、
2005年、モンゴルへ再々会SP
2008年、ムチー族との再々会SP。
ドキュメンタリー番組のロケには、
日本からは主にディレクター、カメラマン、音声、AD。
現地で通訳とコーディネーターと合流するという段取り。
この中で、特に保坂ディレクターと吉田カメラマンとは、
モンゴル・ラオス・ウガンダ・バリ島、タイへと旅した戦友なのです🦍🐎🥁🛶✈️🏝⛰🌊
(タイへは、『世界ふしぎ発見』のロケで3つの幻の部族を探しに行くという旅)
この2人とは、
旅番組『遠くへ行きたい』のロケでも、
何度も旅しています❗️
ウルルン滞在記においては、
本当に語り尽くせない思い出があります🤔
訪れた先々で、
僕が様々なことにチャレンジしたり
体験するのを、
一番間近で見ているのが、
この二人なのです👀✨✨
モンゴルで、僕が乗馬の最中に落馬したのも、
この二人は見ていました😱
保坂さんがバイクを運転し、
その後ろに乗った吉田カメラマンが撮影していたので、
しっかり捉えていたのです🎥
また、ウガンダへマウンテンゴリラを探しに行った際も、
4000m の山へ登ってる最中に僕が高山病になっていく様子や、
バリ島でジェゴグという激しい楽器を演奏する様子を、
3時間にわたって、
僕の間近で見ていました。
モンゴルで、見知らぬ遊牧民と出会い、
それ以降、3度にわたる訪問によって、
彼らと家族のように絆を深めていく様子や、
ラオスでは、山岳民族・ムチー族が暮らすムチーノイ村を訪れ、
村の子供たちと出会い、
彼らが通う学校の先生を任される事になり、
子供たちと寝食を共にしていく中で、
先生と生徒という関係を築いてゆく過程を
3度、この村を訪れながら撮影したりと、
すべての時間を保坂さんと吉田カメラマンと共有してきたのです。
そんなふたりは、
スタッフなので、
基本的には一切カメラには映りません。
ですが、
旅した先々では、
記念に写真を撮ったりしていました📷✨
そんな写真たちが、
今回出てきたので
ご紹介します😊
98年、ウガンダにて⬆️
僕の右が保坂さん、その隣が吉田カメラマン。
2001年、タイにて⬆️
漂海民と言われるモーケン族を訪れた際のインド洋海上での一枚。
モーケンは、『海に沈められた女王の妹』という意味らしい。
文字を持たず、独自の言葉を話す、
世界でも珍しい民族で、
今では、その生活は陸へと移っているという事です。
2005年、モンゴルにて⬆️
焚き火のシーンは、
目的地のアルハンガイには1日では辿り着けないので、
途中でお決まりの野宿。
もう一枚は、
僕の乗馬シーンを撮る際には、
バイクで並走したりするので、
おそらくその時の一枚かな🤔
(落馬したのはこの時ではありません)
⬆️2014年の夏、
『遠くへ行きたい』で訪れた北海道・知床にて。
現在、保坂秀司ディレクター(69歳)
吉田誠カメラマン(48歳)
保坂さんの若かりし頃は、
美術を専攻していた画家。
大学在籍中には応援団長を経て、
現在でも、数多くの旅番組・ドキュメンタリー番組を手掛ける、カッコいい&ぶっ飛んだディレクター。
僕にとっては、第2の親父のような存在です。
吉田カメラマンは、年も近いし、
25歳でモンゴルに行った時から
逞しさを感じる、頼り甲斐のあるカメラマン。
山でもジャングルでも、
どんな過酷な場所でも、
一切辛い顔を見せない、クールでタフな男。
確か、ワンダーフォーゲル部で国体に出た経験アリ。
また、いつかこのタフな二人と旅がしたいと夢見ています🌏
お互い、だんだん無茶ができない年齢になってはいきますが、僕の夢の地・インドやネパールに行ってみたいなあ🤔✨