じーちゃんの十七回忌
日付を少し戻して二月末日、
私のじーちゃんの十七回忌が私家族、従姉妹家族の合計12人で実家にて行いました。
思い起こせば私が18歳、○○学校受験日に亡くなり、受験のため他県に行っていた私には知らされず、帰ってきたと同時に何も知らされないまま葬式会場に連れていかれた苦い記憶。
あれから16年……長いようで短く、いつの間にか立派な(お腹の)おっさんに成長しました。
じーちゃん、あの日受験した学校は何事もなかったように落ち(爆)、別の学校を出てきちんと社会人にやってるよ。
亡くなったじーちゃん&ばーちゃんの仏壇に手を合わせ、R(娘)がチンチ~ンとお鈴をならしナムナムします。
ひ孫を見せることは叶わなかったが、J(嫁)のじーちゃん、ばーちゃんはお元気なので勝手にじーちゃん・ばーちゃん孝行させてもらってます。
とはいってもドカドカと押しかけてお話するくらいの事……
でもそれすらも自分のじーちゃん達にはできないのです。
『孝行したい時分に親はなし』
を、じーちゃん、ばーちゃんで味わったので少なくとも親父達には少しでも孝行を……とおっさんながら思う次第です。
これは私の持論ですが、「孝行」なんてものは結局、『自己満足』なんだと思います。
「出来るのにしなかったこと」や「めんどくさくて・恥ずかしくて」等が邪魔をし、「居るのが当たり前」を勝手に決めつけ、「居なくなったときの事」から目をそらしてるから、いざその場になったときに後悔をすると思うんです。
少なくとも私はそうでした。
(じーちゃんの時、ろくに見舞いもいかなかった…)
なので「○○してあげれば良かった」の後悔とはたぶん少し違ってて、自分が「(相手と)○○したかった」と後悔するべきだと思います。
『自分が』親でも誰でも良いですが、その相手と『(相手の事を想い)したかったこと』を思う存分しておけば、少なくとも相手が居なくなってしまったときに(あまり)後悔せず、○○孝行すれば良かった…(涙)とならない気がします。
だから私はなるべく多少面倒・恥ずかしくても『自分が』やっておきたいことはやるように意識して生きるようになってきました。
もちろん相手の「○○して、しといて。」をしなかった場合後悔はするでしょうが…
それも突き詰めれば自分が原因のことが多いはず…
その頼まれた○○さえしておけば少なくとも後悔はしないでしょう(どこかで満足・割り切りができるはず)
…………
話を戻して、お坊さんのお経の間、Rは数珠でじゃらじゃらと音をたて遊び、お経終わりのお話も、去年の叔母さんの法事のときとまるかぶりでがっかりでした。
(まぁたいした楽しみにもしてませんが…)
さぁ温泉だ( ´∀`)
えぇ法事は集まる名目で本命は温泉です。
ごめんねじーちゃん。
12人で大移動。
いざ、N温泉へ…(アテンザ最後の旅行)
あと一人、従姉妹(四姉妹)の3番目が仕事で来れないのが残念だが、こんなこと(ぉぃ)でもないと全員集合出来ない世代になってきました。
Jは…
……(´・ω・`;)J
なんでいとことそんなに仲良いの?
Y(弟)ちゃんとも仲良いよね?
……( ´_ゝ`)のん
…………さぁ?なんでだろね?
子どもの頃から当たり前に育ったから?
でも仲悪い兄弟もいるもんね……
なんでだろね……
としか言いようがなかった
そんなそこそこ仲の良い連中が集まり、温泉で一泊のわいわい飲み会である。
四捨五入すれば三十路になる(じーちゃん達にしたら)孫達があーでもないこーでもないとビール片手にぐいぐい始まる。
正直こいつらと酒を飲むのが非常に楽しい。
そこに去年の12月で60歳になったうちの母と今年の4月で60歳になる父の還暦も済ませよう
と(親に知らせず)なった。
親孝行と言うつもりもないがバカ息子二人を生んでくれ、くだらない反抗期もやり過ごし、一人前?かどうかわからんが社会人にまで育ててくれた恩がある。
夫婦喧嘩もあっただろう。
離婚の危機も今ならあったと聞く。
立派な結婚式まであげてくれ、ようやく60歳という節目の年齢。
孫を抱かせることが出来たのも本当に良かった。(Jにむちゃくちゃ感謝)
仕事の引退も考えるような年になり、正直あとは(俺らのことなんてどーでもいいから)自分達の人生を好きなように過ごしてほしいと思います。(さすがに熟年離婚は勘弁してほしいが……)
一昔前なら赤いちゃんちゃんこを着させて、みんなで写真撮影なんぞ恥ずかしいと思っていた自分だが、こんな私も人の親という立場にもなり、考え方が若干変わってきたことを自覚する。
この歳になり、私の友人や親戚でも、父・母のどちらかが亡くなっているという話は珍しくなくなってきた……
『居て当たり前』じゃないと再確認もし、『自分が』後悔しないために着てもらった。
「恥ずかし~」と言う父と母も嬉しそうにしてくれて良かった。
みんなでお祝い出来ることが非常に嬉しく思うおっさんです。
親父達にとって胸を張って立派な息子達になった。
『生んで良かった。』
と思われ、認められるような日は来るのだろうか……
甚だ疑問だ……(´・ω・`;)
日付を少し戻して二月末日、
私のじーちゃんの十七回忌が私家族、従姉妹家族の合計12人で実家にて行いました。
思い起こせば私が18歳、○○学校受験日に亡くなり、受験のため他県に行っていた私には知らされず、帰ってきたと同時に何も知らされないまま葬式会場に連れていかれた苦い記憶。
あれから16年……長いようで短く、いつの間にか立派な(お腹の)おっさんに成長しました。
じーちゃん、あの日受験した学校は何事もなかったように落ち(爆)、別の学校を出てきちんと社会人にやってるよ。
亡くなったじーちゃん&ばーちゃんの仏壇に手を合わせ、R(娘)がチンチ~ンとお鈴をならしナムナムします。
ひ孫を見せることは叶わなかったが、J(嫁)のじーちゃん、ばーちゃんはお元気なので勝手にじーちゃん・ばーちゃん孝行させてもらってます。
とはいってもドカドカと押しかけてお話するくらいの事……
でもそれすらも自分のじーちゃん達にはできないのです。
『孝行したい時分に親はなし』
を、じーちゃん、ばーちゃんで味わったので少なくとも親父達には少しでも孝行を……とおっさんながら思う次第です。
これは私の持論ですが、「孝行」なんてものは結局、『自己満足』なんだと思います。
「出来るのにしなかったこと」や「めんどくさくて・恥ずかしくて」等が邪魔をし、「居るのが当たり前」を勝手に決めつけ、「居なくなったときの事」から目をそらしてるから、いざその場になったときに後悔をすると思うんです。
少なくとも私はそうでした。
(じーちゃんの時、ろくに見舞いもいかなかった…)
なので「○○してあげれば良かった」の後悔とはたぶん少し違ってて、自分が「(相手と)○○したかった」と後悔するべきだと思います。
『自分が』親でも誰でも良いですが、その相手と『(相手の事を想い)したかったこと』を思う存分しておけば、少なくとも相手が居なくなってしまったときに(あまり)後悔せず、○○孝行すれば良かった…(涙)とならない気がします。
だから私はなるべく多少面倒・恥ずかしくても『自分が』やっておきたいことはやるように意識して生きるようになってきました。
もちろん相手の「○○して、しといて。」をしなかった場合後悔はするでしょうが…
それも突き詰めれば自分が原因のことが多いはず…
その頼まれた○○さえしておけば少なくとも後悔はしないでしょう(どこかで満足・割り切りができるはず)
…………
話を戻して、お坊さんのお経の間、Rは数珠でじゃらじゃらと音をたて遊び、お経終わりのお話も、去年の叔母さんの法事のときとまるかぶりでがっかりでした。
(まぁたいした楽しみにもしてませんが…)
さぁ温泉だ( ´∀`)
えぇ法事は集まる名目で本命は温泉です。
ごめんねじーちゃん。
12人で大移動。
いざ、N温泉へ…(アテンザ最後の旅行)
あと一人、従姉妹(四姉妹)の3番目が仕事で来れないのが残念だが、こんなこと(ぉぃ)でもないと全員集合出来ない世代になってきました。
Jは…
……(´・ω・`;)J
なんでいとことそんなに仲良いの?
Y(弟)ちゃんとも仲良いよね?
……( ´_ゝ`)のん
…………さぁ?なんでだろね?
子どもの頃から当たり前に育ったから?
でも仲悪い兄弟もいるもんね……
なんでだろね……
としか言いようがなかった
そんなそこそこ仲の良い連中が集まり、温泉で一泊のわいわい飲み会である。
四捨五入すれば三十路になる(じーちゃん達にしたら)孫達があーでもないこーでもないとビール片手にぐいぐい始まる。
正直こいつらと酒を飲むのが非常に楽しい。
そこに去年の12月で60歳になったうちの母と今年の4月で60歳になる父の還暦も済ませよう
と(親に知らせず)なった。
親孝行と言うつもりもないがバカ息子二人を生んでくれ、くだらない反抗期もやり過ごし、一人前?かどうかわからんが社会人にまで育ててくれた恩がある。
夫婦喧嘩もあっただろう。
離婚の危機も今ならあったと聞く。
立派な結婚式まであげてくれ、ようやく60歳という節目の年齢。
孫を抱かせることが出来たのも本当に良かった。(Jにむちゃくちゃ感謝)
仕事の引退も考えるような年になり、正直あとは(俺らのことなんてどーでもいいから)自分達の人生を好きなように過ごしてほしいと思います。(さすがに熟年離婚は勘弁してほしいが……)
一昔前なら赤いちゃんちゃんこを着させて、みんなで写真撮影なんぞ恥ずかしいと思っていた自分だが、こんな私も人の親という立場にもなり、考え方が若干変わってきたことを自覚する。
この歳になり、私の友人や親戚でも、父・母のどちらかが亡くなっているという話は珍しくなくなってきた……
『居て当たり前』じゃないと再確認もし、『自分が』後悔しないために着てもらった。
「恥ずかし~」と言う父と母も嬉しそうにしてくれて良かった。
みんなでお祝い出来ることが非常に嬉しく思うおっさんです。
親父達にとって胸を張って立派な息子達になった。
『生んで良かった。』
と思われ、認められるような日は来るのだろうか……
甚だ疑問だ……(´・ω・`;)