名古屋の息子から

「大学のリポートもすべて終わったよ〜」

「やっとほっとしたわ〜」

「大学の友達と麻雀するから

しばらく名古屋にいるわ!」

と電話があった。



前から、

「友達できた?」

と聞きたかったものの、

負担になったらなぁ〜


と控えていたが、



だんだん友達もでき、

名古屋の生活にも馴染んできたみたいだ☺






2年前、


息子が滑り止めで受かった大学を辞めて

「自分はだめなやつだ。最低の人間だ」

と自虐な言葉を言い、


部屋で閉じこもって


静寂型の引きこもりをしていた。


親は

どうしようかと

焦ったり

不安になったり…

落ち込んだり、

自分のことで一杯一杯だった。




そうして時間が過ぎていき、

やっと息子に気持ちが向かった。




「息子は何か訴えたいのだろう
なぁ。」


「それは、なんだろう?」



いろいろあるだろうけど、

一番訴えたいことはなんだろう?



とずっと考えていた。



答えはなかなかでず、


なにも浮かんでこなかった。



ただ、これは息子から親の私への宿題なんだろうと思った。





かなりたってから、





「僕が何者かにならなくても、ただ、そのまま受け入れて、愛してほしい。」


そう言いたかったんじゃないか
なと思った。



それは、


私が心の奥で自分の親に


切実に望んでいたことだった。



望んでも絶対に叶わなくて、心の隅に押しやって忘れていたもの



「何か特別なことを、できたときだけではなく、


あなたは、ただいるだけで嬉しい。」



そう親に思ってほしかった気持ちに気がついた。





私には思春期に親に逆らった記憶がない。


逆らったら捨てられてしまうかも…


逆らっても怒られるだけ…



言っても聞いてもらえない



諦めていたからだろう。






そして、息子の遅くやってきた思春期で


自分は心の底で何を訴えたかったのか

わかった気がした。



何か特別なとき以外に褒められたことがない私は


特別なことができない自分を認められなかった。



そんな特別なことしか認められない自分は、息子も特別なことしか認めてこなかったのだと思う。



日々の当たり前のささやかな喜びに目をむけてこなかった。






私が日々の喜びに目をむけるように

なると、



息子はだんだん

一緒にテレビをみたり、

自分の関心のあるアニメの話をしたり

外に出かけていくようになった。


出かけた帰りに

「食材で何かないものない?」

とか電話をくれるようになった。






なかなか自分のこころをみようとしない私に


みる勇気?(見ざるを得ない)をくれた息子に今は感謝している。




何かできなくても、ここに存在しているだけですばらしい。




そこが一番大事で全てはそこから始まる。





子供は親が思っている以上に、


親が大好きで、親のことをよくみている。


親は子供の幸せを心から祈っているが、


子供も親の幸せを心から祈っているのだろうと思った。





子供は親を無条件に愛してくれていたことに気がついた