昔の話。
29歳頃、成績も悪くないのになかなか昇格できずにいた毎日に悶々としていました。この頃は飼い殺しみたいに捉えていましたが、結果的には現在の仕事においても大変貴重な数年間でした。ふと上司より、「大阪行って来い」という出張命令が下り、5日間、実質は3日間稼働でお世話になることに。
ここでマネージャーをしていたのはOという次長。所長の大卒者が数えるほどしかいない中、さまざまな困難を乗り越えてその場にいらっしゃいました。梅田に事務所がありましたが、市場開拓力はものすごい支店でした。もちろんほとんどの社員が私よりも後輩。その中のトップセールスと呼ばれる男女に2日連続で同行をさせてもらいました。
特に女性の方は全国に名が轟くような社員で「係長がつくと緊張しますね・・」といいながら、緩く淡々と営業をスタートしました。さすが都会という感じの断られ方が多く、私なら30分で折れるな・・と思いました。それでもたった3時間の稼働でしっかり契約を取り、本物の営業力を見せてもらいました。25歳でこれができるのはすごいな・・と。そして、そんな貴重な戦力に惜しみもなく同行をつける準備をしてくれていた次長にも感謝の気持ちでいっぱいでした。
自分が稼働したのはたったの一日。しかし、営業の世界ですので「わざわざ目下の社員に同行をつけてもらった上に会社の経費で出張に行って結果がでないなどとはまったく価値がない」と言われるのは目に見えていましたので、必死で準備して、伊丹空港近くの古い住宅街をアタックしました。
毎日四国で仕事をしていて、留守が半端ないな・・とか、また来たという反論が多いな・・とか思っていましたが、何も比較にならないほど「キツイ」市場でした。こんなところで結果を出すのは凄いな、と一瞬思ったものの、たった一日の営業日、何も考えずに回りました。そして最後の最後でなんとか一本取ることができました。阪神だか阪急だか忘れましたが、電車に乗って梅田まで帰ったのを覚えています。
次の日、朝礼で私のオーダーのことを全員の前で話してくださり、「松山の追求心を見習え」のようなことを社員に伝えたあと、支店の施策に「オーダーをとったらくじがひける」というものがあり、恐縮にも参加させていただきました。
そして、社員が全員出発していきました。私は飛行機の時間まで3時間ほどあり、次長といろいろな話をさせていただきました。印象的な内容がふたつあります。これは今も私の根っこにしっかりと残っている考え方でもあります。
「お前、自分よりも後輩が所長になっておもしろくないやろ」
「はい、まったく」
「自分も努力して成果を上げているのになんでやとか思うんやろ」
「正直そうです」
「じゃあ後輩の○○は努力して所長になったと思うか?」
「それはわかりません」
「じゃあお前はどうなんや?」
「努力しています」
そしてしばらく沈黙があってこう言われました。
「努力せずに報われる奴もいれば努力しても報われないやつがいる。けどな、努力して報われた奴の方が必ず長持ちするんや。わかるか?」
このときは単にフォローしてくれているんだと思っていましたが、今となっては真理だなと思います。もういやだと思うその先に、諦めかけて最後の伸ばした爪の先に、次の展開が待っていて、活きる未来が拓けるものです。
そしてあっという間に3時間が経過して、そろそろ行きますと出発しかけると、ご自分の財布から何枚か札を出してひょいと渡されました。
「お前が毎日遅くまで仕事するから飯にも連れていってやれなかった。ここから空港までタクシーで4000円や。これで乗っていけ。」
次長の心意気はグッと伝わってきました。あとで考えてみると単にこれは交通費ではなく、そのあとの私の将来へ導く片道切符のようなもの。その年の年末に私は大分への所長としての転勤命令が下り、翌年年末には全国で一位の達成率の営業所という成果を、素晴らしい社員に恵まれて成し遂げることができました。上司のスタンスは、自分の利益にあらず、後進のものへと道筋を立てて無償の慈しみを持って与えるものなのだと次長より教えていただいたのでした。
大森次長ありがとうございました。教えていただいたことを活かし、また伝導し、そして新たに積み上げて長持ちできるよう努力していきます。