“伝える”とは多様な表現方法を柔軟に使い分けることだ! | かんがえる蛙

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梅雨まっただ中。夏季は自己研鑚の時期と決めているのでこれから様々なところを動き回る予定です。もちろん並行してクライアントの課題解決は進めていかなくてはなりません。寝ても覚めても・・のようなところがある昨今ですが、やるべきところで瞬発力がつくようにイメージと準備をしていかないとな、と考えています。

最近始まった新しいクライアントがあります。いきなりコンサルティング領域に入っていくのですが、これまでの経験にはない要素がたくさんあるので私自身の対応力も問われていると感じています。

「このメンバーなら、多分こういえばこう理解してくれるだろう」と考えて予め組み立てておいたものが、結果的に捉え方の分散を想像以上に生んでいたり、ある項目に関して改善指導していくと、まったく別次元の捉え方をされている方もいて「意外性」を感じたり。また、私の中にない感じ方に新鮮さと驚きを持ったりもします。

単に話すことは誰でもできるのですが、真意や、その後の狙いに繋がるような伝え方をするには大変な工夫が必要です。対人折衝力の本質はここにあり、それは関与する相手の数だけあるものです。「同じものを見ても同じように見えているか」ということには確実性がありません。「こう見るのだ!」と、強制することも時には必要だと思いますが、極力内発を促したいのが本音なのです。

すると、理屈や原則を教えて、肚オチしてもらって、それを行動に移すという流れを持っていかなければなりません。人は、今までのやり方や行動といった「保守的」な思考から、どうやったら「向上・前進の一歩」を自ら踏み出すでしょうか?

私見ですが、それは枯渇感ではないでしょうか?うちのこどもも食べ物に好きや嫌いが出てきましたが、おやつを抜いている日の夕食は比較的何でも食べます。喉が渇いていなければ一杯の水も値打ちが出ないというものです。マネジメントには時に現状から引き算をすること上手くまわる、すなわち内発的な行動に変わることがあるのではないかと考えています。親切丁寧に接する。懇切丁寧に教える。定期的に共有する時間を持つ。時間と内容の質をできる限り上げて上げて、どこかのタイミングでその当たり前の享受できる「権利」を引き算してしまえば、それは往々にして行動に変わるのです。

伝える側も本気でなければ伝わらないものです。既成概念に囚われず、経験に溺れず、今目の前にある組織や個人の課題をいかにして解決するか、そこに集中したいと思います。