いつのまにかわたしたちの日常生活の背景にあるもの | かんがえる蛙

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組織に関与すると、決まって世代間のギャップというものに遭遇します。上は下に仕事をさせなくてはいけない。そのために自分の成果イメージを描きながらプロセスを伝えなければいけない。しかしながら思うようにいかず、「これだからゆとり世代は・・」や「今の奴は骨がない・・」などといった個人的感想を持って、大いなる悪い先入観で新人に接していくうちに、機能しない人材を増やしていってしまう。果てには離職率がどんどん上がる、もっと悪いパターンは辞めずに人的な負を増加させてしまう。体力が持たないですね。

ブラック企業という言葉も横行する中、確信犯的に経営者がそうしている場合は別として、「対人折衝力」の問われる上司群が多いと、いつまでたっても強い組織にはなれないものです。ドッグイヤーだとか、マウスイヤーだとかいう「時間軸の価値観」が変わってきた昨今、本当に時代に適応していないのはもしかしたら2000年までに社会人生活をスタートさせた私たちなのかもしれないなあと思います。携帯電話にウェブにモノの流れにと、劇的に変化を遂げる中で、キーワードはおそらく「便利で快適」なのだと思いますが、言いかえると「思考を自分以外に委ねる」機会が圧倒的に増えたということになります。便利や快適が経験の機会や、本来の人間らしい形成を妨げているというか・・

冒頭のゆとり世代について申し上げると、これはゆとり以前の人々を主体の考え方であって、当てはまる人たちはいたってそれが普通なのです。便利や快適な技術革新は日進月歩ですので、ゆとりもいずれは先輩・上司になってそのあとの世代を「ネオゆとり」かなんかでえ呼び出すでしょう。つまり年をとればとるほど自分は変わりたくない、周りに合わせさせたい欲求がそうさせていくのだと思います。かくいう私のような90年代に社会人スタートした人間も、そのうえから見れば新人類(!)なわけですし、この瞬間にも便利や快適をじゃぶじゃぶと享受して、それに気づけずにいたりします。

しかしながら、幅広い世代とともに価値を創造していくことが社会生活であるとすると、相互に理解し合うことは必然です。日本語で会話と対話はあまり区別されていないように思いますが、鍵はこの「対話」にあると思います。会話は友達や知り合い、親戚や親兄弟といった気心知れた関係に成り立ちます。対話は異なる価値、文化の相手に対して重ね合えるものを模索するということです。こういった意味で対話は相手に興味を持たないことには始まりません。隣人の名前すらわからない時代です。人間が便利や快適と引き換えにこの対話力を退化させていることは否めないと感じます。

私たち社会人○年生も、今年の新人も、知らず知らずに現代社会の利便性に呑まれています。意識的に「利便性では対応できないもの」に向き合って、面倒くさいことや苦手なことに積極果敢に挑んていかなくてはならないと思います。古きよき時代の普遍的なもの、敢えてそうしないといけないこと、こういったことに現代型の管理術を身につけていくことが大切かなと思います。まずは今年の新卒諸君がどんな背景で学生生活を経て、社会人のスタートを切っているのか?(経済観念や優先する価値観、何に喜びを感じ、何に悲しみを感じるのか。理解したうえで当面の目標を自分で設定してもらい、いかなるときもそこに向かうためにどうしなければいけないかを認識させることです)。

そして私たちも新人にテーマを持ち、社会の預かりものだという使命感と、多角的に働きかける粘りを持ってより多くの仕事の喜びを体験させる後押しをしていきましょう。

大事なのはかわってくこと 変わらずにいること