ふと思い出したこと。 | かんがえる蛙

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本日朝に提出の資料。結局昨日までに骨子しかまとまらず、こどもが寝てから図表を作り、今朝5時からまとめて推敲。いくつか書き直して7時05分頃送信。仕上がってホッ。書きながら思うことがありました。

昔々、中一の頃なのですが同じクラスに仲の良い女子がいました。仲が良いといっても好きとか嫌いではなく、話が合うというかおもしろいというかそういう子でした。

ある日、その子が言うことに、

「私が今見えている形(確か筆箱か何かを掲げて)は、四角だと思うけど、私の見えている四角と、他の人が見えている四角が全くおんなじだっていうことはどうやったらわかるんだろう・・もしかしたら私にとっての四角は他の人の丸かもしれない。」

考えてみると13歳女子がこんなことを真剣に同級生の男子に語っている事自体、変といえば変なのですが、確かに、自分が感じている物体の形は、体ごと入れ替えないと(そういえばこの時期に転校生という映画があったなあ・・)何をどうやったって他人と同じであることは証明できない。

「それと同じで、これは赤、これは青。みんな私とおんなじように見えるのかな?」

大人になるに従って、他人様との価値観の相違にたびたび遭遇します。今朝、提出した資料も先日議論した会の内容であった発言と、そこから浮かび上がる課題、解決に向けた提言内容、それぞれがそれぞれに思うところもあって、私が考えることが決して共通認識とはならないはず。それは、「見え方」や「価値観」や「先入観」もしかしたら「感情」も加味されて『四角は四角でもみんな違う四角』と成り得るからです。

ギリギリまでそんなことを考えてしまうから仕上がりが遅れてしまったのですが、いずれにしても、常識と信じられている事や、年齢とともに「こうあるべき」のような考えは、発する前に一呼吸置いて、できれば時間もおいて、深く検証しなければいけないと思いました。

やがて、この女子とは話さなくなりました。確か高校も同じだったのですが、何故だか。でも彼女が言っていた、当時はさほど真剣に考えなかったことも、今となっては含蓄があるように感じます。ひとつひとつに意味があり、ひとつひとつが役に立つ。

とてもめんどくさい話でしたが、ふと思い出したので書きました。今日はスゴイ眠たいです。