こんなニュースがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100210-00001163-yom-soci
リーマンショックの影響はこんなところまで及んでるんですね。親に頼らずバイトしろよ!と思っていましたがバイトも少なくなっているんですね。色々考えさせられます。
自分が大学生時代を思い返します。自慢できるようなことではないですが、貧乏極まりないボロボロの学生でした。仕送りなんて言うものはハナからゼロ。商売失敗した両親は、自分たちの生活で大変でした。しかしながらまわりを見渡すと仕送りに縁のない人は大量にいました。では、どうやって生きていたか?ちなみに私は4年でちゃんと卒業しているのですが。
まずアルバイトは掛け持ち。生活資金に合わせて量の調整をしていました。メインのバイトはひとつ持っていたのですが、その他は「友だちからの紹介」でした。お金ないときの合言葉は「仕事くれ」。
デパ地下で全国行脚しているてんぷらやのおやじの手伝い(といってもてんぷらやのおやじはいつもパチンコにいって閉店まで行方不明)、某サラ金のティッシュ配り、貿易船?でのスーパー肉体労働、選挙意識調査のため某島へアンケート聞き取り(徒歩!)、24時間営業の喫茶店の外窓水拭きの仕事(12月、凍死寸前でした)・・・本当に産業革命の労働者かピラミッドづくりかというくらい働いていた記憶があります。
そんだけやっても家賃・光熱費・電話代(これがないとバイト情報が入らない)、そして授業料と羽根を生やしてお金は飛んで行きました。でも不思議と学校やめようとか、精神がやむとかはなかったです。そのわけは、なんといっても「人と人とのすごい結びつき」だったと思います。
近所に住んでいた同じクラスのKとは自炊したもののシェア。弁当屋でバイトしていたY君経由で廃棄処分するレトルト食品提供。3回生までは先輩のSちゃんとKさんの部屋で毎週末「ねるとん」→「プロ野球ニュース」を見ながらラーメンを作ってもらってました。朝までいてサークルサッカーの練習後、また安い学生食堂で奢ってもらったり。メインのバイト先のFさんには自宅に招いていただいてごちそうになったり、教育実習に行った時には自動的に収入ゼロになって2週間財布に小銭もない状態でも、さまざまな人に助けてもらいました。改めて考えてみるとこういった「つながり」って普通に存在していたんですね。もちろん私より悲惨な経済状況にあった同回生もいましたが、同じようにたくましく生きていました(深夜に風呂貸してくれーとやってきて、一本だけ持て来たファンタを風呂上がって自分で飲んで缶だけ置いて帰るやつとか)。
いつでもどこでもだれにでも携帯で連絡がとれて、便利な便利な世の中のように見えて、散らばったパズルのピースのようにひとつひとつではさほど意味を持てない、孤独な社会が広がっているように思います。時代を逆行させることは難しいと思いますが、つながり合う意識というものはいつでも持っていたいものです。
なるほど。だから個人事業でやってても誰かと何か一緒にしたい!と思うのか・・と、今自覚。