「私的!」ワークライフバランスの話 | かんがえる蛙

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いろいろカンガエル日々のブログ。

近頃面接同席にて役員の方や社長の横に座りつつ、掘り下げた質問(アドリブと行動の事実が必要です)を、学生の本質と適性をみるために、いわば面接の締めとして行わせていただいています。

志望動機をはっきりさせ、企業のこともよく調べてきているなあと思います。こんなご時世なので、選考企業数も半端ではないです。いろいろな原因はあるのでしょうけれど、高等教育を延々と受けてきて、いざ社会へ!のところでつまづく若者は、今後希望や夢を持てるのかな・・・と、最終選考に関わっている立場上、苦しい気持ちになります。

今日も最終面接隊で面接所感すり合わせの後に、社会情勢やら業界トレンドやら、愛媛県情報などを交換しました。そんな話の中で「就職はゴールではない。」という、そりゃそうだ、しかし就活に苦しむ学生にとってどうかな?と思える議題になりました。

「ある人が言うには、入社仕立ての社員が、いきなり本格的な仕事をあろうとするらしい。そして、それをやらせてもらえない現状にモチベーションを下げてしまうそうです。」

私も新入社員研修で述べるのですが、社会人になると何事も「インプット」より「インストール」していかなくてはなりません。つまり、机上の空論やウェブ上の知識では行動につなげられる理解に乏しく、本質の理解には失敗や経験は不可欠です。つまるところ、近道はなく、一見無駄に見えること(実は基本)の蓄積こそが、社会人としての筋トレとなりうるということです。いきなり答えを求めてはいけません。

また、ワークライフバランスという言葉があります。「仕事と生活の調和」が直訳だと思いますが、一言で言うのは簡単ですが、自分が実行となるとなかなか大変だと思います。どちらに重点を置きすぎてもよくないのだと思いますが、人生には「仕事」を覚えて身につけていく時期というのはあると思います。日本の社会システムの中では、おそらく20代に基本をみっちり自分にインストールし、30代でそれを人に教えながら時代の変化にも対応し、40代では蓄積したものの中で「世に通用する自分のベストジャンル」で勝負するのではないかなと思っています。なかなか敗者復活するには難しい社会なのですが、それを環境や人のせいにするのは簡単です。

一方「生活」のほうはどうか?お金が人を幸せにする絶対条件とは思いませんが、それこそ自分の「生活」を築けなければ、普通人は幸福を感じられないと考えます。仕事人間になるのはおススメしません(かつてそうだったので・・)が、そこそこ仕事ができないことには、なかなか生活のほうもうまくいきません。

つまり、人生まんべんなくバランスを保つのではなく、平均したら数的バランスが保てた(例えば20代は7:3、30代は6:4、40代は5:5、それ以降は自由に比率をコントロールできるよう)人生設計をしていけばよろしいのではないでしょうか。

じゃあ20代のうちは仕事漬けになれていうことですかあ?と聞こえてきそうですが、そうではありません。

先ほど「私は仕事人間だった」などと言っていましたが、それでも7:3位で3のときは仕事を忘れていました。日付が変わる退社時間でも、見たい映画や温泉や飲み屋に行ったり、友だちや同僚と遊んだりしていました。ファイナルファンタジーやバイオハザードもやりました(今考えると病的にはまっていました)。切り替えることが上手にできることが「ワークライフバランス」の真骨頂かもしれません。今は個人でやっていますので、早朝から日付が変わるまで複数のクライアントとそれぞれの別課題について取り組むときもあれば、1週間マクドナルドで企画書を作り続けている時もあります。合間に温泉に行って誰もいない湯船で本を読んでみたり、観光客になって子規記念博物館に行ってみたり、道後の商店街を徘徊したり、もぎたてテレビで特集されていた店に足を運んだりもしています。

あんまり手本にはなりませんが。

しかしながら、20代のときに自力として養った「やらんときはやらん」という仕事の仕方の特性がそうさせているのだと思います。今は家族もいるので、こどもの面倒見ながら仕事のことはなかなか考えづらいというのが本音なんですけれど。でも、そんなことが実は「ワークライフバランス」なのではないでしょうか。このご時世、仕事があり、生活できていることは、やっぱりこれまでの生きてきた中で、決してよいことばかりでなかった仕事について、自分なりに「やるときはやる」をやっていたからだと思います。