※ 6月23日 手術直後のこと


病室に戻って、再び目が覚めたのは、12時半頃でした。

手術が終わり病室へ戻ったのが、10時頃だったので、2時間半近く寝ていたようでした。
 

お昼ご飯はでないと聞いていたので、とりあえず、冷蔵庫の中から水を出して飲みました。

本当は本当は喉が気持ち悪くて、うがいしたい気分だったのですが、最初に起き上がるのは看護師と一緒にということでしたので、おとなしく待っていました。

 

テレビをつけると、「やすらぎの郷」が始まっていました。見終わって、NHKの朝ドラ再放送へと切り替えようとすると、ワイドスクランブルの大下キャスターが、「引き続き麻央さんご逝去の話題をお送りします」と言いました。

 

  え!? 麻央さんが…… 

 

茫然としていると、母が「起きたの?」とベッドの側に来ました。

応接セットのところで起きるのを待っていてくれたようでした。

 

「うん。あれ……」

と、観ていたテレビを指さしました。音はイヤホンで聞こえませんが、テロップを見て、母も驚いた顔になりました。

 

ああ、いったい何の巡り合わせでしょう。

私が手術をして命拾いした日にこんな悲しいニュースが流れているだなんて。

 

麻央さんのブログは病が発覚する前から時折見ていました。

人間ドックで五分五分と言われた麻央さん、再度精密検査を受けたのに、生検を取らず、「大丈夫ですよ」と言われて、見逃してしまった――――あの麻央さんのブログを読んでいたからこそ、私は五分五分と言われてすぐ、絶対生検を取って貰おうと思ったのに。  

 

ため息をついていると、看護師さんがやってきました。

体温と血圧のチェックは平熱・正常値。

「起き上がれそうですか」

「はい」

看護師に手伝って貰いながら、起き上がました。特にふらつきはありませんでした。

「歩けそうですか」

「はい」

左手には点滴がついたままなので、その点滴パックが釣られた台を杖代わりにして、そろそろと歩きました。

尿管カテーテルが入ったままなので、とぉーっても歩きにくくて、がに股になります。

 

そのまま、看護師と一緒に病室のすぐ横にあるトイレ(かなり大きな個室)に入って、傷口をみました。

胸には例の腰痛バンドみたいな胸バンドが巻かれている状態でしたが、そのマジックテープをベリッと剥がして、患部とバンドの間に挟んであったタオルを取ります。

すると、絆創膏もガーゼもなくてビックリしました。

手術をした右胸は麻酔のせいか痺れていて、まったく感覚はありません。


 「あ、綺麗ですね」

看護師の声に促されるように、そーっと自分の右の乳房に目をやりました。

乳輪の外周に沿って、半円状にメスの跡があるのが確認できました。

少し血がにじんでいるようですが妙にテカテカと光っています。(←手術用の接着ボンドで止めてあるということが後でわかりました)

 

「あ、小さくなった」

ものすごく萎んじゃった感がして、そのとき思わず呟いちゃいました。(でも、どうやらそれはバンドできつく押さえられていたためだった模様)
 

確認が済んだら、また胸バンドを巻き直して、部屋までゆっくり戻りました。


「歩くことができたし、カテーテルを抜きましょう」

あ、もういいんだ。
気持ち悪いから、早く抜いて欲しかったからうれしかったんですが、抜く瞬間が痛かったです。

尿管から膀胱の中へと管が入っていたから当たり前なんですけど。
(ちなみに、男の人はこれが本当、強烈に痛くて嫌なんですってさ←友人の弁)

 

貯まっていた尿パックは液漏れがしないように厳重にジップロックされているタイプで、戦前生まれの母は「へぇ~こんなのがあるの」としきりに感心していました。


カテーテルを抜くことができたので、術後服から自分のパジャマへ着替えました。

それにしても残尿感というか、すごく気持ち悪くて、看護師にトイレに行きたいと言うと、「行ってもまだ出ないと思いますよ」とのこと。 

それでも一応、「もし、出たら、このコップに尿を取ってもらえますか」と紙コップを渡されました。これ、検査をするためではなく、どの程度出たかをチェックするもののようでした。

(結局、そのときは出なかったんですけどね)