【音楽CDで、臨場感と心地よさが響く作品と、響かない作品の違いはなんだろう?】 | A happy life, like playing music.

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【レコード/CDの再生音でも、生演奏のように臨場感や心地よさを感じられる一方、編集時の加工や合成の度が過ぎてなんだか違和感があり心に響かない楽曲作品がある。これに屁理屈をこねてみました】

音楽家のセンパイと話してて、電気的な記録/再生を経た音楽で、聴く側の心に共鳴するものと、しないものの
その差はなんだろう?とふと思いました。

ちょっぴり読みかじった学説の宇宙観に、
「部分には全体がフラクタルに含まれている」
「したがって、個々のモノに宇宙全体がフラクタルに含まれてる」
といった見方があります。

この見方を電子回路エンジニアの立場から、音楽作品や音源にフラクタルに適用してみると…

何か実物が振動して出ている音を、電気の波形に変換し、増幅し再生する際に、生音よりはf帯域が狭まったりS/Nが悪化するかもしれませんが、充分に原音のもつ複雑な振動(に含まれる多大な情報)は伝わる実体験があります。
(ex. そもそも帯域の狭いAMラジオで、しかも放送局が遠くて入りがベストじゃない状態で聴く音楽にも感動したり)

ところが、ツギハギや、ピッチ修正が過ぎて声のホルマントが損なわれたり、方形波で電子ブザーを駆動した音や、ゼロから合成した音などは、
S/N比がいくら良くても、心に響かない感じがします。

そして、それのポイントは、「『全体』が持つ自然な『ゆらぎ』が保たれているか」とか「『ゆらぎ』そのものの変化の自然さ(ゆらぎの変化の連続性?)」じゃないかと思うようになりました。
(ex.絶妙にミネラルが含まれる天然塩や、複数種の天然ダシの効いた料理は、それが薄味でも美味しいけど、塩化ナトリウムや、グルタミン酸ナトリウムなど、純度の高い調味料で作った料理は心に響かない)

かくして、電子回路を通った音、色んなエフェクトが加わった音であっても、
それを駆動してる大元が、人の声とか、弦の振動とか、リードの振るえ、などなど、何か「実物」の振動であれば、
そのような実物が含んでる多大な情報(複雑な振動や自然なゆらぎ)に比例した波形で、電気信号が駆動され、それが再生できてればいいんじゃないかと思いました。

演奏を編集でツギハギしすぎると「ゆらぎの連続性」がツギハギした箇所で分断されたり、歌声がピッチ修正でホルマントが損なわれると、
「ゆらぎ」そのものが不自然になって、
聴いてる人が持ってる多様で複雑な振動のどこにも共鳴しにくくなってしまうんじゃないかな?

したがって、音色の好みはさておき、記録方式がアナログかデジタルかはそんなに関係なく、
心地いい「ゆらぎ」そのものが保たれて、「ゆらぎの自然な変化」が分断されてなければ、
聴く人の持ってる多様な“部分”に共鳴して心地いいんじゃないかと思います。