時と風景のうつろい~八尾西武~ | ☆ブリジット・まゆかです☆

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占い師をしていた日。
平凡な会社員してる日。。。

なんとなくをつづります。

こんばんは。
ブリジット・まゆかです。

ショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンショボーンえーん

すみません。
めっちゃローカルな個人的な感傷的な話になります。

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私にとって、衝撃のニュースがはいりました。

八尾西武が来年2月に閉店するらしくって。。。


八尾西武が出来たときも衝撃でしたが、無くなるのも、めさめさ衝撃です。


近鉄八尾駅が、まだ高架でなくて商店街の入り口の昔の場所にあったときから、八尾に行くっていうことは、子供の頃には大都会もしくは繁華街?に行くという認識でした。

ちなみに布施などはさらに都会!(布施も高架になる前をおぼえています。笑)

祖父と一緒に八尾に行くと、かならず天津甘栗を買ってくれたのを懐かしく思い出します。
八尾駅を降りて、さぬがわ通りを歩き、映画館横のお寿司やさんに連れていってもらったり、お逮夜市で大和(奈良のこと)から売りにこられる苗や、てぬぐいを見たりするのは、それはそれは楽しく思いました。

そういえぱ、当時は八尾で電車の通過待ちがありました。
子供だったので、電車の窓から八尾駅前にあったマツヤデンキ(だったかな?とにかく電気屋さん!)を見ながら、時間をつぶしてました。

そんな昭和のレトロな時間が流れる場所でした。

それが、小学生の時に現在の場所に駅が移設されて、高架下に明るいお店が連なる商店街が出来たときは、物凄い衝撃でした。

(実は、その時の衝撃の気持ちを「生まれ育ったまち」という詩にしたくらいです。
そーとー、田舎の子供には目映く感じたのでしょうねー   爆~ ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ)

さらに数年のちに西武百貨店ができたときは、さらにさらに衝撃的でした。
私は混んでるのはいやなので、確かオープンして3ヶ月ほどしてからの夏に初めて西武にいったんですが、
学校で「西武にまだ行ってないやつは、あかん」とかなんとか言われて、ずっとからかわれてましたねー。

八尾西武開店記念の鉛筆、いまだに一本も使わずに自宅にあります。
(どんだけ、物持ちええねん!笑)

フランスの「ソレイアード」のプリント地の柄らしいです。
箱の裏の説明書きにそう書かれてあります。

残念ながら、箱の裏に母の中華料理の注文のための「やきめし2 、ギョーザ5」というメモ書きがあるので、皆様にお見せできませんが。。。
急な来客で、慌ててこんなところに注文数をメモしたのでしょうか???笑



大学生になってからは、西武ライオンズ黄金期。
毎年の優勝セールに足を運び、松崎しげるの歌うライオンズの応援歌をすっかり暗記してしまいました。


あっという間に、2月のその時を迎えることでしょう。

こうやって、時代変わりとともに風景も人も変化を余儀なくされていくのですね。
なんか、しみじみ。