人はALSと確定診断されたとき、どのような希望を持てるのか?ALS確定診断イコール死刑宣告とアメリカではよく表現されますが、そんな状況で一体何に希望を見出せるのか、といったテーマのウエビナ―を見つけました。
気管切開して人工呼吸器をつければ、死なないよ、という意見もでてきそうですが、アメリカでは生存期間=気管切開を行っていない段階としており、統計上、気管切開をした時点でALS患者としては死亡と認識されます。
リチャードベッドラック教授は次の3つが希望を持つべきポイントとして伝えています:
先ず一つ目は、「病気の進行は個人差がある」という点。進行のスピードは遅いかもしれない、リバーサルが起きるかもしれないということです。必ずしも本にある通り2年から5年で死に至るということを鵜呑みにすべきではないというのがポイントです。発症から気管切開までの平均は3年ですが、20%の人は5年間、10%の人は10年間、5%の人は20年間機関切開が不要だというデータがあります。わたしの理解ではスティーブンホーキンズ博士はこの5%に入ります。
二つ目は、既存の医療体制と治療薬の存在です。主には機能維持のためのリハビリを中心とした体制が整っていることや、決して過小評価すべきでないリルゾール、ラジカット、ニューデクスタ Nuedexta(日本にはない情動調節障害の為の治療薬、構音障害改善効果もあると認識されている)があります。このプレゼンはリレブリオ認可前のプレゼンなので、ここでは言及されていません。人工呼吸器、栄養管理、コミュニケーション手法があり、一昔前に比べるといろんなものが整っているというレベルのことを伝えたいのだと考えます。
三つ目は、治療薬開発の研究が物凄いスピードとスケールで進んでいる状況に希望を見出せるという点です。今現在ALS治療薬開発に112の治験が進行しています(2022年5月時点)。この20年間で最も多い状況です。過去には5つの治験しか存在していないときがありました。治験の情報は全てこちらで確認できます。とベッドラック先生は説明しています。ちなみに現在はもっと多く、先ほど見たら163件の治験が進んでいます(2023年7月14日時点)。また現在はEAPもあり、多くの患者が治験に参加できる環境になっていることにも言及しています(アメリカの場合)。
米の治験情報を確認できます。
https://www.clinicaltrials.gov/
因みに日本にも似たような治験状況を確認できるサイトがありますが、驚くことに更新が超いい加減です。https://rctportal.niph.go.jp/detail/jr?trial_id=jRCT2051190001#
例えば京都大学のボスニチブなど治験第一フェーズの結果も未だ更新されていません。参加者募集中となっており、意味不明です。他も日付が入ってなかったり、物凄くだらしがないですね。
以上、当方の解説を加えた、リチャードベッドラック教授のウェビナーの内容説明でした。確定診断後に何に希望を見出すかについては、このプレゼンを見る前から私も同じ意見を持っています。特に1番目と3番目です。
以前も言及していますが、当方の勘ではアメリカがむこう2年~5年で、革新的な治療薬を出してくると感じています。アメリカ政府は、やるといったらやるのです。日本に必要なのはEAPです、これがあれば、認可がなくても新薬へアクセスできるのです。この点、上野議員にも意見として既にお伝えしており、賛同する。、とのお返事も頂いています。そろそろ何か厚労省も次のステップを出してきてもいい気がします。進行性神経変性疾患患者の我々は待てません。身をもって感じます。
ところで、アメブロにはプロファイルでジャンルを選ぶようになっていますが、当方の記事内容は社会問題のつもりであり、アメブロには社会問題というカテゴリがなく、正直闘病しているという感覚もなかったので、これまでなんのジャンルにも属していませんでした(もともと私は型にはめられるのは好きではないし)。腕の動きに不自由があるのですが、これまで身体の構造と作用を上手く利用し、どうにかやってきていました。難病申請もつい最近したくらいです(確定診断後2年怠っていました)。
ただ最近、自然に「闘病」という感覚があることを否定出来なくなってきたので、昨日、入院・闘病生活ジャンルに入ってみました。ジャンルに加わる意味は不明ですが、ただもともとブログを書くのは全く趣味ではありません、ブログを書くことで喜びも感じません。本来ブログを書いていたくはありません。必要に駆られ書いていただけです。ただ書くことは理解を深めることにもつながります。伴い考えも整理されます。
身体的な辛さより、僕の場合、つらいのはおそらく人前に出ることが億劫になってきていることです。肩回りが痩せ、お気に入りの服もかっこよくは見えません。ぎこちない腕の動きもみっともないです。喋ることも、喋れますが、本来の自分のスタイルではもう話せません。もともと人前で力強くエモーショナルに話すことが大好きな人間には辛い病気です。僕が出ていくと周りが一気に明るくなるのです。もともと仕事でも組織のリーダーです(今もですが)。こういった人間が人前にでることを躊躇するようになると、それだけで大きなストレスです。ただ生活するだけで幸せと感じることは無い人間には辛いと言えます。いつの日か一年後か2年後かわかりませんが、気管切開し呼吸だけ出来ていても、「僕は生きている」、と感じることは無いはずです。
そもそも、人はどんなとき、「生きている」と感じるのでしょうか?
僕の持論は、戦っているとき、体力すれすれまでなにかしているとき、そして恋をしているとき。だと思います。すべて経験によるものです。
戦っているとは、喧嘩をするということではなく(それもアリですが)、何かに果敢にチャレンジしているとき、僕は生きていると感じます。身体がすれすれになるまで遅くまで仕事をし、その後バーで酒を飲みながら音楽を聞いているときも、俺は生きている。と感じたことがあります。恋をしたときも僕は生きている、と感じたとことがあります。
それらが無いと僕は生きているとは感じないはずです。呼吸をしているだけでは「幸せ」どころか「生きている」と感じることも、僕の場合は難しいと考えてしまいます。
後半はちょっとフリースタイルで書いてしまいました。
以上です、
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