どうも、ありがたい事に最近はいろいろな方からのメッセージを頂き返事が遅れがちな自分が恥ずかしくなっている僕です。
元々は僕が引っ込み思案で日頃から表舞台に出ないようにしているので、ご連絡を頂く事は非常にありがたいと思っています、いつも感謝します。
そんな中、今日のタイトルは最近僕がメッセージを頂いた方と実際にお会いした出来事の話を一部抜粋してします。
その方と会話をしていく中で、僕のプロフィール的な過去のいろいろな質問があって、それらに答えていくうちに、その方から「自伝本を出版されたらどうですか?」というご意見をもらいました。
確かに僕は出生から今に至るまでにいろいろあり過ぎたので、率直にそうおっしゃって頂いた事は嬉しい気持ちになりました。
僕自身は、いつか機会があれば本を出せるものなのかな?と思っていますが、元々が控え目な性格でもありますので、ひっそりと生活するのが好きなんですよね。
だから、現段階ではこの点はあんまり深く考えてないです。
そんな事を言っても、今の時代はいつ誰かから僕をピックアップして取り上げて、僕が不意に有名になってしまってもおかしくないので、その時がきたら訳の分からん腹をくくります(笑)
まぁ、そんな事はさておき、ノンフィクションというのは僕も好きですが、「その次の段階」に価値を感じて頂ける方が多いんだなぁと感じた事です。
よく考えてみれば確かに一理あるんですよね。
順風満帆な人生を送った、成功して良い部分だけを語る話に魅力はそこまで感じません。
人生という実際の物語の中には、ヒロインの紆余曲折から恰好悪い若気の至りまでのプロセスまでが詳細に描かれたエピソードがあればある程に、人はその作品に「共感」を覚えるんですよね。
まさか、自分自身をそのように垣間見る事は無かったのですが、それ程に僕は奇人変人だという事は確定しました!(^^)!
やはり人間って直感で「腑に落ちない」か自分にとって肌に合うの事なのかのアンテナを常に持ち合わせているみたいです。
例え一時の感情の移り変わりでいろいろあったとしても(恋愛や怪しい新規ビジネス?など)、高揚感が収まり冷静に分析出来るような時期がくると、自分の中にある判定基準が鋭くなっていきます。
感性を研ぎ澄ますとは、正にこの事ですよね。
僕が独学で習得した、ある統計学で算出しきれない部分は人間という器に入っている根幹の「Soulというか魂」という表現に限りなく近い部分と、人生の修行によって境涯が変わっていく度合い、つまり「器の技量」です。
そこだけは目視をして、実際に会って話をしないと計測が出来ません。
純粋にその人を分析するという基本に返るのですが、前者は眼の中の瞳を見る事で概ね判断がつきます。
今よりまっだまだ修行の足りなかった頃の僕は、ここを完全に見抜けずに人の言葉に惑わされていました。
正しくは、情ですけどね。
僕は騙されやすいので、その人に情が移るとヤラレル側が多かったのです。
怖がりだから僕は分析が多いし、理屈っぽいんですよねぇ、全くダメよ~、ダメダメ!ですが…そんな僕を嫌いになれない僕もいます(+o+)
ちなみに後者は今の僕の取り組んでいるテーマでもありますし、人を分析する上でも最も難しい分析の1つになります。
統計学で算出しても、ドラクエみたいなゲームに例えるレベルみたいなものが人間に存在する事を僕は確信しています。
カッコ良い話になりますが、これって結局「人生に無駄がない根拠」になるんです。
人は旅路の果てで手にするものは様々だと思いますが、「嘘や矛盾を含めてそれも人なんです」って受け入れ、悟る人もいれば、僕のように悟っていてもダダをこねて受け入れる器の無い人もいます。
別に僧侶等になって修行するだけが手段ではないので、人生の修行を乗り越えていってそのステージごとに何かを得た人は、器のレベルが上がっているので過去のその人とは違う、まるで脱皮したようになる別人になるんです。
統計学で人を植物に例えて向日葵(ヒマワリ)に分類したと仮定します。
同じ向日葵でも日陰、日向どちらの環境が望ましいかと言えば日向でしょうし、愛情という名の肥料はあればある程に良い事だと思います。
ただ、過剰に水を上げ過ぎてもいけなかったり調整が大変だったりいろいろありますが「屈強な向日葵」か「しなびた向日葵」かに分かれてきます。
そこにレベル差も生じるんです。
例えを人に戻しますと、統計学でほぼ同じ人間に分類されても、同じ人間なのに…何故こうも違う?という事になります。
「考え方と心構え」がかなり密接な関わりを持っていますが、やはり鍛え方ですね。
何かを失うとばかり目を向けがちですが、同時に何かを得ているという事なんでしょうね。
過去記事にあるように、本人が気付かない事も多い。
人によって大器晩成型があるのは、そういうのも影響すると思います。
本題に戻りますと、表現や形が違えど、何か通ずるものがあると人が直感的に感じるというのは、未来を決断する上で参考となる良いデータベースになるんですね。
かと言って直感に頼り過ぎてはいけないですが、直感を適度に活用する事で無理の無い生き方が出来るようになってきます。
直感力のレベルアップ→判断力レベルアップとなるのかな?
左脳のような理論や理屈は思春期を超えたら、誰でもそれなりにたくさんのデータが蓄積されているので、残る右脳のような直感をどう生かすかで「努力のやり方や方向性」が変わってきます。
具体的に行動しなければ、具体的な答えが出ない。
これも究極の一品ですよねぇ。
当たり前過ぎて、当たり前体操をしたくなります。
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今日もご愛読ありがとうございます。