どうも、朝からブログを書いたので台風を呼び寄せてしまった僕です。



総点検をしているうちに、このタイトルが頭によぎりました。



奇抜なアフィリエイトっていう部分も、紙一重になります。



もし、僕自身に何の実績もなかったら単なる前者になっていたでしょう。



基礎を積み上げた上でオリジナルを追求する事と、最初から我流で勝手に基礎も無くやるのとでは全く違ったものとなります



基本的には何でも後者じゃなければ、どの分野でも実績を残す事は極めて困難だと思っています。



基礎を積み上げる為の期間は人それぞれですが、遅咲きする人は若干有利なのかもしれません。


何を持って基礎と定義付けるかも様々ですが、ジャンルに応じた基礎と呼べる、または相当する要素の全て(経験や知識やスキルや他たくさんの事)が大まかに定義となってくるのではないでしょうか。



何かを始めるのに遅いって事を考える事自体、時間と労力がもったいない事です。



蓄積された経験や知識は、本人が気付かぬうちに基礎となっている事が多いです。



それらがいろんな作法の基本となり、蓄積されていく中で自然と出来るようになっていくでしょう。



礼儀作法もそうです。



他にもいろんな場面で作法が試される事が多いです。



ジャンル別でスポーツに例えるなら、野球は素振りの型に相当すると思いますし、相撲では足腰の鍛錬である「四股を踏む」等も、作法と呼んでも良いのかなと思えたりします。


練習というのは行儀、礼儀作法に始まるところも多いと思います。



きっと何かに通ずるんでしょうね。



アフィリエイトならば、ジャンルは様々ありますよね。


トレンドアフィリ・ブログ型アフィリ・SNS型アフィリ・サイト型アフィリ等と一口に言ってもいろいろやり方は分かれていますが、「情報を発信する事」は共通するので、ライティングやプログラム等の基礎の1つとしてカウントされそうです。



僕の場合は、判定が微妙ですがライティングの基礎に関しては過去の実績によるものって、定義しています。



微妙というのは、自分の基礎がどこまで構築出来ているかを測定しづらいからです。



自分ではイケテルと思っていても、他人から見れば…なんて事もあるくらいですので。



しかし、価値観は千差万別で受け入れられる人と拒否られる人に分かれるので気にしていたら日が暮れると思っています。



ただ、その中で共感して頂いた方を大切にしていきたいので、見苦しい表現や文章の書き方をしないようにって意識を持ち、いつも自分なりに最低限の注意を図る事も基礎の1つだと考えています。




我流のまま突っ走る事と、オリジナルの確立を目指す事の違いは大きく、ここを勘違いしている人をよく見かけるので、常に自分も身を引き締めないと基礎を怠って前者に陥るかもしれないです。



傲慢や甘えが最大の敵ですね。



やはり外ではなく、自分自身との戦いしかありません



外に向けたらどこかの紛争や戦争の話みたいになってしまいますよね。



おそらく他人との暴力から何も生まれないんじゃないかな。



理不尽に対する訴えを起こして戦う事ことは、デモの行進等もあるので手段次第で理解出来ますが、武装して暴力に訴えかけるのは理解に苦しみます。



訴えを起こすからには自分のやりたい事を押し通せば全て正義って事なんでしょうか。



気に食わない人を殺すのも、どうなんでしょうか。



自分自身が幼い時から、そこまで自己主張を押し通してきたのでしょうか。



幼い時にダダをこねても、親や周りから叱られて、共存共栄を学んできたのでは…、つまり根気の話し合いによる和解等が解決につながる糸口になるんじゃないかなって思っています。



争いには憎しみの連鎖が続くので結局、問題の解決から遠回りする気がしています。


急がば回れで異文化や価値観の違いや宗教の違いでも1つにならなくて良いっていう感覚をコミュニケーションによって図っていく余地、発想を1人でも多くの人が持ってもらえたらと嬉しいです。



特にこんなにも宗教が多い日本国内で宗教争いが皆無って言うのは、世界に誇れる実績の1つだと思います。



日本でクリスマスを祝うなんて、きっかけはどうであれ、お互いの価値観や理念や宗教等の違いを認め合う、良さを分かち合うモデルケースとしては自慢しても良いくらいだと思っています。



仏教の国で…他にそんな例ってあるのかな。世界を見渡しても数少ない例の1つだと思います。



戦うべき相手は自分自身の様々な固定概念やら怠慢やら傲慢やら思い込みやら、おこがましさやら、依存やら甘えやら・・・煩悩ですよね。



そこから目を背けるなんて恥ずかしいと思う事が大事、つまりは日本の古き良き武士道の基本となる「恥」を知る事はとても大事かなと思えます。



無責任な大人達、そして学歴社会がまだ通用すると思い込みの激しい親達等は、自分自身を顧みる事すらしない「恥」を知らない人が多くなりました。



だからと言って、その人達のせいにしてはいけません。



自分を確立しなきゃいけないからです。



反面教師にすれば問題は一気に片付きます。



余程の害を及ぼしてくる人達ならば、そんな人間関係はうっとうしいので出来る限りで、拒絶と絶交をしていけばいいだけですし。



そうして新しいイケテル人達と繋がると自分のステージや運気まで上昇すると思います。



つまり、過去のいざこざが人生のあらゆる基礎に成りえる可能性を秘めてるって話。



可能性なので、それを実現させるのも宝の持ち腐れにするのも自分次第です。



宝の持ち腐れをして言い訳が多い人は、単なる甘えたちゃんです。



以前どこかで「人は生まれながらに平等ではなく、チャンスだけは平等」だと僕が言った事に当てはまります。



今の境遇なんて、上を見ても下を見てもキリがないんです。



そもそも何と比べてんのか分かんないくらいに意味の無い事だと思います。




我流とオリジナルも意味が混同してしまいがちですが、ちょっとした一言が抜けているが為に、大きく違う意味になってしまったのだなと認識出来ます。





自分勝手にやる事と、オリジナルが確立した事=本物の我流は違うということ




つまり、我流はどうのこうのって僕が今回の記事にしていますが「本当の」って言う言葉が抜けた為に間違った価値観が蔓延したかもしれない気付きもありました。



本物のって言う言葉が抜けただけで、自分勝手なものとなりますね。




「人は生まれながらにして平等」も、誰かが「機会」っていう言葉を抜いたのかな


それとも最初から間違っていたのかな。





例えば、ホーキング博士は発語や書字によるコミュニケーションが取れないことからコンピュータを駆使する事によって、意思伝達を行なっていき、結果として立派な仕事をしていました。



有名になった、成功者の1人だと思いますが、重い病気を患ってもチャンス(機会)は平等なのだと証明していると僕は思っています。



仕事が無いとか言ってる人って、どうなんでしょう。



一言抜けていますよね、今の自分に合った仕事が無いって言うのが正しいと思っています。



辛口ですが、「今の」って言う状況と照らし合わせると、その人の心構えや考え方が大きく起因しているケースがかなり多いです。



全てがそういったケースではないかもしれないですが、少なくてもコンピューターを使わなければ意志伝達すら出来ない博士のような方でも、立派な仕事が出来たので、やはり「考え方」と「心構え」1つで仕事は出来ます。



自分自身が変わっていく事で、勝手にオファーが来るって事ですね。



求められる人材というのはスキルや学歴よりも、スピリッツを重視する傾向があるという事ですね。



僕が社長でどんな社員を雇いたいのかって聞かれたら明確ですよ。



僕の欲しい人材はスキルや学歴よりも、「オリジナルが確立されて可能性がまだまだ見出せる、そして礼儀礼節を重んじて裏切りや嘘をつかない誠実で真面目な人」です。



愚痴やぼやきや言い訳なんて論外、そんな口を叩いたら即解雇(法的に問題)ですよ。



需要と供給が成り立つと仕事は勝手に舞い込んできたり、または自分で勝手に作りだせます。



仕事がうまく行かない理由の1つには、こうした何かの欠落がどこかに潜んでいる事も多いですね



何かのせいにする時間があれば、自分を見つめ直す旅に出ればいいのです。



旅行じゃなくてもいい自分探しは出来るし、多くの動機は何かしらの刺激を受ける事ですからね。



客観視できるような環境作りも大切。



難病を患っていても仕事が出来る人から学べる事は、ここで僕が書かなくてもほとんどの人は「本当は分かっている」と思います。



目を背けたいだけなんですね今の自分に合った仕事が見つけられないから。



恋人や配偶者を見つけられないから。



自分が変われば周りも変わる事に気付いていないから。



心は自由なので、柔軟な発想を自ら封じたり押さえつける事さえしなければ無限の可能性を秘めているって事を、本当はみんな知っていて違うところを見てしまう。



そういう状況の人は今こそ向き合うべき時なのかもですね、そして本当のオリジナルを見つけていって確立していく。



今の現状を人生の基礎に変換するだけで、過去を基礎にしたって言う笑い話に後からいくらでも言えるようになりますよね。



イメージ通りじゃない自画像を好きなように今から書き換える事は、いくらでも出来ます。



完成度はいくらでも高められます。




迷子になっている自分も後の基礎とするのか諦めて無かった事にするのか、または一旦諦めて軌道修正して全く違うジャンルで活かして成功していくのか。



道を引き返して軌道修正するのは勇気のいる事だけど、そういう選択肢も時に正しい時と正しくない時があるので、見極めが難しいですが、自分をたくさん知れば「何と何をしている時が腑に落ちる時なのか」が答えに近いかもです。



どんな時に自分は喜びを感じて充実感を得るのか、何をしたら不快感が残り何をしたら幸福感に包まれるのか。



まだ見ぬ多くの自分を知れば、やがてその道筋が見えてくると思います。



その先にある安住の地はそこにしかないので、他人が住んでいる事はありません。



全部空家です。



それが自分の生きる道となり、オリジナルを確立した本物の我流となると思います。



今日もご愛読ありがとうございます。