このフラストレーションマックスな状態で、まさかの一言。
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いや、わかるんですよ。
ただでさえ地震で大変な状況。
当然、私以外の様々な関係者や家族さん、方々から電話は来ていたでしょう。
私なんて電話交換係の方からしたら大勢のうちの一人にすぎません。
でも流石にその一言には腹が立ちました。
聖人なら許したのかもしれませんが、私は仏陀でもイエスキリストでもないのでつい、
私「で・す・か・ら、先日から入院している▲▲(妻さんの名前)について、地震があって何かあったらと思って心配で電話しているんです!!
状況を教えてください。午前中ずっと電話してつながらなくてやっとつながったんですけど!!!」
とちょっと捲し立ててしまいました。
すると、
電話交換係の女性「失礼しました。ご家族様ですか?」
とやっと正常な受け答えが返ってきました。
相変わらずテンプレである「彼氏です。」と回答し、担当しているICUの看護師さんへ電話を回してもらいました。
…なんか疲れた。
担当の看護師さんはとても愛想がよく、丁寧に状況を教えてくれました。
要約すると、地震はあったが問題なく病院は機能していること。
そして、すでにICUにはおらず、すでに管も抜けており別の病棟に移動したとのことでした。
ひとまず、何事もなかったことやICUから移動できたことに安堵し、速攻で妻さん母へその旨を報告。
妻さん母の返信から同じく安堵した様子が感じ取れました。
続きます。
よりにもよって、こんな時に。
確かに地震大国と言われていますが…
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ひとまず仕事に入りましたが、気になって仕方がないので職場に事情を説明。
実は自分の彼女が3日前に救急搬送されたこと、そして、今も意識が戻っておらず、今朝の地震で病院がどうなっているかわからないこと。
前に事情を説明した上司はその日来ていませんでした。
しかし、私の必死な説明を聞いてくれた職場の方は「何かあったらすぐ私に言って!話を聞くだけなら出来るから!」と前向きな言葉をいただきました。
本当に心配で気が狂いそうだったので、とてもその言葉に救われました。
そして、事情も事情ということで、仕事中にも関わらず1時間に1回携帯を見る許可もいただき、
可能な限り病院へ電話することも出来ました。
午前中、何度も何度も病院へ電話しますが、それでもやはりつながらず。
コールすらしないんです。
何回発信したかはわかりませんが、かなりの回数したので、携帯の発信履歴はえらいことになっていました。
そして、ようやく電話がつながったのはお昼の13時30分ごろ。
もう半ば諦めた状態で、流れ作業のように発信ボタンを押していました。
一発目に出てくださった電話交換係の方とのやり取りを今でも覚えています。
プルルルル、ガチャ。
電話交換係の女性「はい、〇〇病院です。」
私「あ、すみません。木曜日から入院している▲▲(妻さんの名前)のことでお聞きしたいのですが…。」
電話交換係の女性「はい?」
私「えーと、入院している▲▲(妻さんの名前)についてお聞きしたいんです。」
電話交換係の女性「だ・か・ら、何ですかぁ?」
(゚Д゚)ハァ?
職場の様子がいつもと違った原因とは…?
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◆
職場に着くなり、いつもと様子が違いました。
まず、私の職場は高層ビルなのでエレベーターを使って業務をするためのフロアまで上がります。
時間にもよりますが、朝一のタイミングではエレベーター待ちの人が多く、毎朝遊園地のアトラクションに並ぶ勢いで長蛇の列をなしています。
しかし、その長蛇の列が全くないのです。
しかも人もほとんどいない。
?
エレベーター前まで行くと理由はすぐにわかりました。
「エレベーターが地震による影響で停まっているため、階段をご利用ください。」と警備の方が誘導していました。
そう。
この日は2018年6月18日。
大阪府北部地震が発生した日でした。
もうほとんど忘れ去られているかもしれませんが、結構大きな地震で、亡くなった方もおられます。
発生時刻は当時のニュースなどによると午前7時58分頃で、私はちょうど自転車に乗って会社に向かっていたので気が付きませんでした。
当然、電車は遅延。
エレベーターも停止してしまっているので、仕方なく汗だくになりながら階段で行先である14階を目指します。
病院の状況はかなり心配でしたが、階段をのぼりながら電話が出来る自信がなかったので、
不安をかき消すように足早に階段を一段ずつ上りました。
途中、汗だくの同僚が10階くらいの階段の踊り場で息を切らして、座り込んでいる姿がありました。
私を見つけるなり、「ゼエゼエ…。私に構わず…、先にっ…行け!後から追いつく…!」と声を絞り出します。
何か食い止める敵とかいれば名台詞になったのでしょうが、食い止めるものが何もないのでちっともかっこよくありません。
適当に挨拶だけしてさらに速足で目的の階を目指します。
ようやく到着したときはすでに勤務開始ギリギリだったのですが、心配な気持ちのまま仕事は出来そうになかったので、
早々に妻さんが入院している病院へ電話。
が、つながらず。
病院のライフラインに何かあったのか、または病院への電話が逼迫して繋がらないのか…。
理由はわかりませんが、3回ほどリトライしてみてもコールすらしません。
不安でメンタルが崩壊しそうになります。
病院に何かあったらどうしようと気が気ではない状況でしたが、もう始業時間になりそうだったので、
妻さん母に連絡だけしてとりあえず仕事へ向かいます。
私は仕事の性質上、業務中は自分の携帯電話を触れず、身に着けることすらできないので、丸腰の状態です。
ちなみに、以下妻さん母とのラインでのやりとり。(抜粋/一部改訂)
妻さん母「地震大丈夫ですか?こちら(妻さん実家)は大丈夫です。電車がすべて止まってしまい、移動手段が奪われてしまいました。」
私「僕の方は大丈夫です。とりあえず出勤したものの会社が麻痺しています。病院には連絡つきましたか?
僕から連絡してみましたが、つながりませんでした。もしもお母さんたちが来られないようなら僕が代わりに行きますので、連絡ください。
なるべく携帯見るようにします。」
妻さん母「ありがとうございます。病院は混乱しているだろうと思い、まだ連絡していませんでした。
交通機関の様子を見ながら判断します。よろしくお願いします。」
一体どうなってしまうのでしょうか。
続きます。
次回の更新は明日の午前6時です!
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まず、妻さんが脳性麻痺による障害者手帳を交付されたのはまだ幼少期の頃。
脳性麻痺は非進行性の障害といわれるので、基本的に再申請はしないそうです。
非進行性というと難しい言葉になってしまいましたが、かんたんに言うと、「脳性麻痺は年を取るごとに悪化するものではない」という考え方です。
そこでここからなんですが、おそらく妻さんは3級の手帳を取得した幼少期と比べて、今の方が出来ることが増えていると思われるんです。
それは脳出血を起こしたあとである今でもです。
手帳の申請には色々検査があるので、検査当時は出来なかったことが大人になって出来るようになったことで、等級が下がる可能性があるわけですね。
もちろん上がる可能性も0ではありません。
さてここまで書くと一部の方からは、しかるべき等級になっていないのであれば、ズルなのでは?と言う声が聞こえてきそうです。
確かに見方によってはそう見えるかもしれません。
でもしかるべき時期に申請をしてついた等級である以上、その判断は覆りませんし、再申請する義務もありません。
どうするかは私や当事者ではない方がとやかくいう話ではないと思っています。
あくまで申請するかどうかも当事者本人である妻さん次第ですからね。
そして、繰り返しになりますが日本という国は本当に申請主義です。
妻さんは入院したとき、何百万円の手術費用や入院費用がかかりましたが、高額医療という制度を知っていて申請したから、そのうち何十万円というお金が返ってきています。
まずは制度を知ること、そして申請すること。
この2つが本当に大切です。
以上のことを妻さんと夜に話していて強く思ったので、本シリーズは書かせていただきました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
引き続き『妻さん入院時の話』は明日以降も投稿していきますので、よろしくお願いします。
以上、明るい日本男児でした!

