祖母は、気性の激しい人でしたから、家族とぶつかることも良くありましたが、
その分、愛情もかけてもらったと思います。
思い出すのは、小学校の運動会。
周りをよそに、1人立ち上がって
全身から振り絞るばかりの大声で、体を乗り出して、手を叩きながら、
必死に応援をしてくれました。
両親が教職・部活の顧問で一年中忙しかったので、
親の代わりに参観日にも来てくれた。
ピアノの発表会には私の荷物を抱えて、まるでばあやのようだった。
学校でそろばんの宿題が出れば、代わりにやってくれ、
夏休みの絵日記も、絵の構図から句読点の打ち方まで、すべて教えてくれた 笑
祖母は明治の女。
きちんとした生活を好んだ。
洗濯物のたたむ時には
端と端をそろえること、
蛇口はジャーっと出しすぎないこと、
ぞうきんはしっかり絞ること、
台所を使った後はシンクをしっかり拭くこと、
帚の掃き方、
ゴミは、そのままでなく空き箱などはきちんと折り畳んでで出す
など、などなど。細かく教えてもらった(なのに全然生かしてなくてごめんなさい)
祖母は
元産婆さん。シングルマザー。勉強熱心。
若い時は、勉強のためのノートが貴重品だったから、
まず鉛筆で書いて最後まで使ったら、次にペンで書いて、その後は毛筆で書いていた。
そしてランプの油も自由に使えなかったから、
夏は蛍をたくさん捕まえて
虫かごに入れて、それを灯にしたり、
冬はいったん寝たふりをして、
その後他の家族に気づかれないように
ランプの光が漏れないように細工をして
夜中に勉強していたんだよ、と。
離婚して女手1つでお金がなかったから、昼間働いて、夜は裁縫の内職など、3つ仕事の掛け持ちをして、
父を東京の大学に出したのだ、と。
高校生の私に、祖父の浮気現場に乗り込んだときの、修羅場話をしてくれたこともあったっけ。笑
私が医学部に入ったことをとても喜んでくれた。
5年生の臨床実習の頃、
祖母がふと、下のことを私に相談した。
そのとき、私は直ぐには分からなかったんだよ、大腸がんだったって。
手術は上手く行って、年の割にはとても早く回復して、でもその矢先、
脳の血管が破れたんだよね。おばあちゃん、デイケアで合唱の練習してたんだって?
おばあちゃんのことだから、発表会に向けて相当はりきって、それで血圧上がったんだよ。
病院で過ごした最期の日々、遠のく意識の中で
どんな夢を見ていたのかな。
喧嘩相手だったお母さんが、1番献身的に、看病をしていたんだよ。おばあちゃん。
亡くなった日、病室に飾ってあった紫陽花、押し花にしたんだった。
あれほど声を出して泣いたお葬式はなかったなあ。人目もはばからず。
あなたの血を引いているんだね。やっぱり。