独断と偏見による書評-『氷風のクルッカ―雪の妖精と白い死神』でも主役はシモ・ヘイヘ | 宇宙世紀を生き抜く知恵

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救世主は現れないし恐怖の大王も降って来ない。
人類を救うのも破滅に導くのも、それは人間だ。

『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』でブレイクした柳内たくみ氏の作品

『氷風のクルッカ―雪の妖精と白い死神』

著者:柳内 たくみ
イラスト:有坂あこ
出版社:アルファポリス
新書版(2012年5月29日発売、ISBN 978-4434167317)
アルファポリス文庫(2013年11月17日発売、ISBN 978-4434185946)

あらすじ
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1939年、ニューヴォスト連邦(ヴェナヤ軍)は、小国スオミ共和国に対し、領土割譲を目的とした侵略を開始した。
ヴェナヤ軍から祖国を守るため、自慢の狙撃技術を武器に男性を装ってスオミ軍に入隊した美少女クルッカ。ユーティライネン中隊長率いる小隊に配属された彼女は、そこで「白い死神」の異名を持つシモ・ヘイヘと出会う。大胆な強襲を企てるユーティライネンと、超人的狙撃術でヴェナヤの大軍を屠っていくヘイヘ。
大言壮語のクルッカも、驚異的なセンスと持ち前の勝ち気な性格で、天才射手として急成長を遂げていく。
やがてヘイヘとクルッカの前に、ヴェナヤ軍最凶の女狙撃手ナタリアとミーシャが立ちはだかる!歴史的侵略戦争“冬戦争”を舞台にした、超ド迫力天才美少女スナイパー小説。
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作品内では架空の国名になってますが、一読瞭然、ソ連がフィンランドを侵略した「冬戦争」と、そこで活躍した史上空前絶後の超絶スナイパー「スロ・オンニ・コルッカ」と「シモ・ヘイヘ」を題材にしています。

Wikiより抜粋
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冬戦争(ふゆせんそう、芬:talvisota)

第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵入した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守った。
両国間の戦争が1941年6月に再開されたため、第1次ソ・芬(ソ連・フィンランド)戦争とも言う。なお、後続の戦争は第2次ソ・芬戦争、あるいは継続戦争と称される。

ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、1939年末までにはフィンランド全土を制圧できると考え、フィンランド軍のおよそ3倍の兵力を投入したが、結局マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。
スペインやイギリス、フランス等は、北欧の鉄鉱石を抑えるための名目として、フィンランドに対する支援をノルウェーなどスカンジナヴィア半島北部を経由して行おうとしたが、この計画に対しノルウェーは中立の立場を取り、通行を拒否したために計画は難航し、結局これらの支援が本格的にフィンランドに到達することはなかった。フィンランドは1940年3月まで戦い抜くが、最終的に国土の10%、工業生産の20%が集中する地域をソ連に譲り渡すという屈辱的な条件の下に講和条約を結び、戦争を終結させた。

シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä['simɔ 'hæy̯hæ], 1905年12月17日 - 2002年4月1日)

狙撃手。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、ソビエト赤軍から“白い死神”(белая смерть)呼ばれ恐れられた。
スナイパーとして史上最多の確認戦果505名射殺の記録を残している。
愛称は「シムナ」。フィンランド現地語の発音にあわせる場合、シモ・ハユハ、もしくはシモ・ハウハと表記するのが近い。
公式確認戦果である505人は世界最多記録として知られるが、このなかには狙撃銃以外の火器による殺害数は含まれていない。
冬戦争中のコッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ヘイヘを含むフィンランド軍32人が4000人の赤軍を迎撃、拠点防衛に成功し、この丘陵地は“殺戮の丘”と呼ばれた。
サブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では200人以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。
これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間で達成されている。

スロ・オンニ・コルッカ(Sulo Onni Kolkka, 1904年12月20日 - 1988年8月21日)

狙撃手。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争において400名以上を射殺したとされ、同じくフィンランド軍狙撃兵で殺害戦果記録保持者でもあるシモ・ヘイヘと並び称された。最終階級は曹長。
経歴
1904年、カレリア地峡に程近いサッキヤルヴィにて生まれ、ケワタガモ猟を営みながら育つ。正式な記録は残っておらず、軍への入隊時期は不明だが、1939年の冬戦争開戦時には既にフィンランド国防陸軍に在籍していたとされる。
この戦争においてフィンランドは数多くの優れた狙撃兵を輩出したが、コルッカの戦績は開戦当初から突出しており、押し寄せる赤軍兵士を射殺して確認戦果を量産し、シモ・ヘイヘはこの活躍を耳にしてからコルッカに倣い、自らも確認戦果を記録する様になったとされる。
戦果
コルッカは単独での戦闘を得意としていたとされ、しばしば赤軍の進攻ラインの後方まで進出し、白夜と雪が覆う深い森で多数のソ連兵を狙撃した。敵軍の狙撃兵と1対1の決闘を行ったという逸話も残されており、数日間の追跡行の末、600ヤード (550m) の距離から放った一撃で敵狙撃兵を仕留めたという。
鹵獲したスコープ無しのモシン・ナガンM28狙撃銃の使用や、終戦までの105日間で達成した400名以上の狙撃による殺害、さらにスオミKP31サブマシンガンによる200名以上の殺害といった記録は、シモ・ヘイヘの装備や技術、戦果と重なる部分がある。また、軍に正式な記録も残されていないため、コルッカの戦績は、ソ連軍狙撃兵の好敵手として演出されたエルヴィン・ケーニッヒのように架空のものとする説がある。肯定的な説として、ケーニッヒ同様に、資料は意図的に抹消されたから残っていないとの主張もある。
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コルッカについては、ソ連に対する欺瞞の為の架空の兵士だという説もありますが、シモ・ヘイヘ以外にも同程度の能力を持った狩猟者出身の狙撃兵が多数存在したということを表しているのではないかと思います。
でなきゃ32名で4000名の敵を喰い止めるなんて出来ないでしょうから。
「雪中で動きの鈍い敵を狙撃で不利な地形に追い込み、待ち伏せしてサブマシンガンの近接射撃で皆殺し」獲物を追い詰めるハンターの戦い方ですね。

しかし100日で1000人以上ということは1日平均10人殺してるということか・・・
日本の警察は狩猟を縮小する圧力を掛けてますが、国土防衛の為には狩猟者の養成拡大が必要なのではないかと思います。

コルッカを美少女化した一見ライトノベル風の小説ですが、ラストは悲惨というか全然ハピーエンドではないので「これもライトノベルではない」です。

ちなみに陸上自衛隊の雪中戦闘力も結構イケてます。
ベトナム戦争に参加したと噂される部隊です。
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陸上自衛隊冬季戦技教育隊
北海道札幌市の真駒内駐屯地に所在する北部方面混成団隷下の教育隊であり、日本唯一の冬季戦専門部隊である。部隊内の特別体育課程教育室からは、冬季オリンピックのバイアスロンなどの競技で、毎回日本代表選手を送り込んでいる[2]。陸上自衛隊の特殊部隊としては最古の歴史を誇る。通称SOU、CWCTまたは冬戦教。
かつては、対ソ連の特殊部隊的な側面が強く、レンジャー課程を優秀な成績で修了した屈強な隊員が各部隊から選抜されて所属し、さらに過酷な訓練を積むという超精鋭部隊であった。現在は、オリンピックの選手の養成機関という側面がクローズアップされがちだが、特殊部隊としての練度も維持しており、中央即応集団(特殊作戦群)と活発に合同訓練を行っている。また警察庁職員、特に救助任務に従事する職員に対し訓練を実施しているため各県警SAT(特殊急襲部隊)とも交流が持たれている。
その他にも原子力発電所の警備訓練や自衛隊の装備するあらゆる個人用携帯火器の訓練、潜水訓練、強襲用ゴムボートによる渡河訓練等の夏季の訓練も頻繁に行われている。有事の際には隊員・装備等の編成を教育隊から特殊部隊へと編成換えするものとされているが、詳細は明らかにされていない。
アメリカ陸軍等に所属する積雪寒冷地専門部隊と戦闘技術やサバイバル技術等の技術交流を積極的に行っており[4]、その技術・能力は高く評価されている。
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シモ・ヘイヘがいつの間にか女体化されてました。
知らなかった。