子宮頚がんになった②


大学病院の帰り道、悲しさ悔しさショックと色んな感情で涙が止まらなかった。


なんだかでもその時ショックであまり記憶がないのですが、しばらく家族にも友達にも誰にも言えなくて大きな検査の結果が分かるまで黙っていた気がします。


1人の時間は気付けば涙が溢れる、そんな状態でした。


検査の結果

子宮頚がんで手術が必要と言われ子宮頚部を取るということでした。


このまま黙っていても、と思い母にまず言いました。

そしたら、『なんで癌なんかになるの?!私や子供達はどうするの!』と責められました


え?まず私を心配してくれるんじゃないの?と

弱った心に無数の弓矢が飛んで刺さったような気がしました。


なんだかショックすぎてその時は何も言い返せませんでした


次に主人に打ち明けました。


最初はびっくりした表情でしたが

1番最初に出た言葉は

『保険金2000万くらいおりるんじゃね』と笑顔で返されました(後に調べたらそれは死んだ場合なので実際は100万ほどのものでしたが、その瞬間のニヤついた表情は今でも鮮明に思い出せますムキー


子供達にも伝えましたが、あまりピンときていない感じでした。


なんか、離婚とか色々考えてたけど

まず思ったのは

『仕事も家庭もずっとしんどかったし、まー私手術するのやめよ。なんかこんな世界に生きてて何も幸せとか感じない。もぉ、月日を待って死んだ方がよっぽど幸せだ.生きてるの疲れた』と思いました。


私という存在する人間の価値が見えませんでした。


もう少しで掴めそうな自分のお店を持つ夢

そのお店が持てるかどうかの審査期間中での出来事でした


手術としては最終的に子宮全摘、卵管両方も取ることに決まりました。


なんか、もぉ良いかな

色々今まで生きてきて辛いことも多かったし

これってもしかしたらまぁ神様が充分頑張って生きてきたから楽になっても良いよって言ってくれた癌と言うプレゼントなんじゃ無いかと思うようになりました。


当時私は中型のバイクの免許を通勤のためにとって半年くらいだったかと思うのですが、

何もかもから離れて1人になりたい‼️と思い

バイクで片道6時間ほどかけて伊豆下田へ一泊の1人旅へ出ました。


ここまでバイクで遠くで行くのは初めてで

まー別に死んでも良いし。みたいな感覚はあったので不慣れなマニュアルのバイクで行くのも怖さ半分ヤケクソ半分でした。


朝の6時に出て12時頃下田の阪本龍馬像に着いたかと思います。

歴史は得意で無いですが、昔NHKの龍馬伝を観ていたので、あーこんなバイクのない時代によくこんな陸の孤島みたいなところへ黒船見に来たなぁなんて感心しました。

1人で遊覧船の黒船乗ってみたり

金目定食食べたり、弓ヶ浜へ行き波の音を聞いて

何時間くらいぼーーーっと海を眺めていたか分かりませんが、人生を振り返っていました


私は何歳とは記憶はないですが保育園児の時から小学3年生まで、毎週土曜は従兄弟の家に預けられていて毎週末10コ年上の従兄弟に性的虐待を受けていました。小さすぎてそれが何なのか、人に言ったら捨てられるよとか言われ続けていてので怖くて20歳過ぎまで人に言うことは出来ませんでした。


小さい子供ながら、どうして神様は助けて欲しいと言う私を助けてくれないのかと思いました。


中高生の頃もいじめにあったり、高校の部活は楽しかったですが、あまり楽しい学生生活でもなく、19歳の頃にはロサンゼルスへ留学へしてこんな世界があったんだと感動したのを思い出したり


日本に帰ってきて22歳で長女を出産して2ヶ月後に父が人身事故を起こし家庭崩壊になってしまったこと

母はノイローゼ気味

姉は占い師に洗脳される(未だに)


初めての出産子育てにあまりにもキツイ現実でした

鬱状態になっていて、長女は話するのが人より遅かったものの、何も出来ずに横になっていた私に毛布をかけてくれました

まだまともに喋れない娘がこんな行動を私にしてくてるのに、私何してるんだ!しっかりしなくては!と目が覚めた事


後に長男も産まれ落ち着いた生活だったが、主人(1人目)の転職を境に環境の変化などで夫婦関係が悪くなっていき離婚


家庭崩壊となっていた私の方の家族の母も呼び

子供2人母と私と生きていかなくてはならなくなった事


どうにかこうにか生きてるときに

2番目の主人に出会って結婚したものの

結婚した途端態度が変わりモラハラ、DVなどがあり、離婚を考えるとともに自立して生きなくてはいけないと自分のお店を持てるようにその頃から考えて、5年たって、やっともしかしたらお店を持つチャンスを手に入れられるかもしれなかった


でも私の人生に一緒にくっついた来てくれてた子供達の笑顔、私は仕事ばかりしてて母親らしいことしてこなかった後悔


穏やかな海を見ながら過去を思い出し、涙が止まらなかった記憶があります。


もぉ、手術しない方向で考えてた私は

何年と音信不通になっている父に

癌になったとLINEを送った


そうしたら電話が父から来て

父も腎臓の癌になっているとのことだった

父はこれから手術を受けるそうで

私にも手術を受けるように言われたものの

その時はもぉ心が疲れ切っていて

そうだね、と心無い返事をした気がします