まさか私が子宮頚がん
現在私は43歳バツ2で、
二人の子持ち、実母がおります。
結論から言いますと
39歳で子宮頚がんと言われて
開腹手術で子宮全摘、二つの卵管を取りました。
現在は経過観察のため3〜4ヶ月に一度病院に検診に行っています
放射線治療は受けたことはありません。
今回blogを始めたのは
あまりその体験談がなかったこと、その後どうなるのかとか、あまり赤裸々に書かれているものが少なかったので、ただでさえ暗い気持ちになっていた時に不安でしか無かった私でした
なので私くらいの癌のレベルの方や
子宮を取らなきゃいけなくなってしまった方に対して、私の体験談で例の一つとして知ってもらうことで、何か参考になれば良いなと思いました
ただ私は早期発見で命が助かっていること
子供も二人産んだ後なので、子供が欲しかったのに子宮を取らなくてはいけなくなってしまった方などに対しては、辛さなど想像が出来たとしても、私が体験したことのない事なので想像でしか話が出来ないので、不快にさせてしまうかもしれませんので読むのはご遠慮して頂いた方がいいのかと思います
それでは私が子宮頚がんと宣告されたところら辺からお話していこうかと思います
39歳の頃の私は仕事ではものすごくパワハラを受けていて、辞めて自分のお店を持ちたい一心で動いていました。それに向けて着々と準備をしていました。
家庭の方は当時子供たちは中学2年と高校2年だったかな?と思います。と、私の母と、当時の主人と5人暮らしでした。
正直夫婦間もあまりうまく行っておらず、必要最低限の会話でした。離婚も漠然と考えていました。
私は10年近くピルを飲んでいたので、そこの病院は毎年子宮頚がん検診を受けないとピルを処方してもらえなかったので、毎年受けていて、その年もいつも通りに受けました。
いつもならそんな事はないのですが、検診を受けた数日後に病院から電話が来て、『今日にでも、もしくは明日にでも、早急に病院に来てください』と看護師さんから電話がありました。
え?何事なの?と思い聞いても先生の口からで無いとお伝えは出来ないので早く来てください。と
もぉ、なんかそんな電話の仕方ある?不安100%じゃんと思い、その日は早退して小さなクリニックの産婦人科へ行きました。
クリニックに着くと先生からは
すぐに紹介状を書くので大きな病院に今からでも行ってください。この前の子宮頚がん検診の検査は良くなかったので詳しく調べる必要があります。
と言われて、
『え?まさか私が?いや、まだ分からないしとりあえず大学病院行こう』と不安に負けない感じで、その日のうちにまた大学病院へ
当然予約もしていないので、かなり待たされた記憶があります。
子宮頚がんの疑いがあるので、今後色んな検査をしましょうと言われました。
『はぁぁぁぁ
なんでこのタイミングで私なの?』
なんでこのタイミングで私なの?』まず思ったのはそれでした
お店を持ちたいと思い動いていて、これから自分の未来を少しでも切り拓きたい!って思ってた矢先
あまりにもショックで言葉を失いました