春めいてきて

今日も花粉が飛びまくっています。

皆さんのEarthDayはいかがお過ごしだったのでしょうか。

私は花粉症でMiserableに終わりました。しょぼん


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さて

しばらく前に買った

C.S. Lewisの本をまた読んでいます。


タイトルは

”Surprised by Joy"。

C.S. ルイスは「ナルニア物語」で名前を知っている方も

いるかもしれませんが、

いろんなジャンルのものを書いているイギリス人です。


なかなか進まなくて

イライラしていたところ、

確定申告の締め切りやら

イースターやらで

本はバスルームの片隅につみあげられた雑誌の下敷きに。

(うちの旦那、いつも雑誌をもってトイレににっては

読み終わるとそこに山積みみするくせがあって

私がなにげに置いた本の上にどんどん積み上げてくれてました。)

捨てられなくてよかった~。


本って しばらく読まないと

どこまで読んだか忘れてしまって

結局始めから読み直し。

だめですね~。ぐうたらで。



でも 今日読んでいたページで

とってもこころに響く部分があったので

ちょっと抜粋:


....Joy (in my sense) has indeed one characteristic, and one only, in

common with them; the fact that anyone who has experienced it will

want it again. Apart from that, and considered only in its quality,

it might almost equally well be called a particular kind of unhappiness

or grief. But then it is a kind we want. I doubt whether anyone who has

tasted it would ever, if both were in his power, exchange it for all

the pleasures in the world. But then Joy is never in our power and

pleasure often is. ......


ちょっと前後関係の紹介なしに

抜粋するのはよくないんですが

一番言いたかったことは

C.S. ルイスが書いている

Joy(喜び)という言葉の定義について

ああ、と共感するものがあったのです。


アメリカにきたころから

教会に行くのが好きだったのですが、

そのころの昔の彼に

「なんで、教会に行くのが好きなのさ?」

とよく聞かれました。

彼には

その時、教会にいく理由がうまく

説明できなかったので

彼は「また西洋かぶれの一つか。」みたいに

思われて、悔しく思ったのでした。

その時分はカトリック教徒ではなく

ただ 教会の建物の中の

沈黙と静寂の海に身を沈めて

自分のその時の気持ちを模索すると

心が休まるのが感じられるのが

好きで

大学の帰り道よく

教会に足を運んだのでした。

今考えるとそれって

きっと”Joy”だったのだと思います。


抜粋の最後の部分で

Pleasure(快楽、娯楽、満足)は私たちのコントロールできるものだけれど

Joy(喜び)は私たちの自由自在に操れるものではない、としているのも

興味深い、と思いました。

というのは、

自分の若いころ(悪がきだったころ)

をふりかえってみて

Pleasureは確かに自分で作り出せるものだけれど

(たとえば、簡単な例で

好きな漫画を死ぬほど読むとか、

親に内緒でボーイフレンドのところへお泊りするとか)

Joyは自分ではそれを起こせないな~って。


同時に若い頃は

自分が好きなことを

満足するまでするのが幸せだったけれど

年を重ねた今は

幸せと感じることの内容がとっても変わってきているんですよね。


人間の心の変化・成長って

面白いですね。