試験に落ちた時、本当はこれで医療系に進まなくてすむと思った。


家族会議になった。
妹は「私なら1晩寝ないで考えて結論を出すね」と言った。

一同そうだそうだ、という感じだった。
3人に責められていた。

私はその場で、受かった学科に行くと言った。
でも、それまで掛けてきた教育費的には許されない道だった。

でも入学させてくれた。

私は、慣れないながらも大学生活をスタートした。

母からの暴力は止んだ時期あたりだった。

一度、父の望むT大を受験する案が出た。
母の望みが父のものに変わっただけだったので、断った。父は強要はしなかった。

朝晩、彼女は私の部屋に来て床に座り、体を揺すりながら、
「1年で(学費が)〇〇万。4年で◯〇〇万。どうやって返すのよー!」
と叫んだ。


そのうち何故か、T大の大学院に行くことになった。
「学歴ロンダリングだ」と。

あっという間に自分の部屋に、放送大学の理系の科目のテキストと、なんとテレビまで配備された。

それまで殆どテレビを見たことがなかったのに。
 

付けると電磁波で分かるのか、イヤホンをしてても妹が「テレビつけたでしょ」と飛んで来た。



その大学の学生は、理系の頭脳に秀でていてた。

 

実に楽しそうに、液体窒素のドラム缶を、

都心のビルってだけのキャンパスの間の道路で、転がしていた。

「ファインマン物理学」が娯楽本だった。

何がそんなに楽しいのかと、唖然とした。

 

私より勉強させられてないのに。

敵わないと思った。

 

その代わり、彼らは英語が絶望的にできなかった。

近くに英国大使館があるからか、Mr.Bean の映画が教材だったが、

言葉が全く分からなくても笑えるように作っているので、全く勉強にならなかった。

 

理系の頭脳と言語脳が相反するという個人的な仮説

裏付けたくなるような環境だった。

私は、理系の世界では生きていけないと思い、

好きな英語と理系の知識の両方を使う仕事をしようと(特許の翻訳とか)

お昼にグループから1人抜けて、英検の勉強をした。


母は、院試の過去問をやれとうるさかった。
基礎の基礎もないのに、過去問もへったくれもなかった。

ある時、

(とても失礼な言葉を言います。私の意見ではありません。ごめんなさい。↓)
 

母は、専門学校の先生はそんなにエラいポジションでは無い割に、中身があり人柄が良い。
だから、今から(適当に調べた)何とか専門学校の先生に、「ここに入りたいが、どのように勉強したら良いか」と嘘をつき電話して、院試の参考にしろと命令された。

父の仕事関係上、理系研究職の人をよく知っていたからだ。

知らない人にいきなり電話して嘘をついて情報を聞き出すのは、ストレスだったが電話した。

また、命令されて過去問を買いにも行った。


。。
際限なく思い出してしまいます。


なんだか目が回る。。