勉強方法を考える(15) | どうしてそうなる 英文法&イディオム

勉強方法を考える(15)

英語の勉強方法以外の話になるんだけど、社会科の勉強方法にも一言言わせてもらおう。

「実況中継」というシリーズがある。
このシリーズの中に、望月先生の「古典文法」というのがある。
これは秀逸だと思う。
古典文法が苦手なら、一読の価値はあるかもしれない。
日本史に関しては石川先生の本が、まあまあよく出来ていると思う。

実は「日本史の実況中継」はかつて2種類あった。
石川先生のものと、菅野先生のものだ。
「実況中継 日本史」で検索すると、石川先生のものしかヒットしない。
菅野先生の本は今はもう、ほとんど見向きもされなくなったようだ。

その菅野先生の本をちょっと読んだことがある。
実は二人の先生が書いていることを知らずに、本屋でよく確認せずに買って来た。
そしたら、菅野先生の本だったというわけだ。

菅野先生の本を読んだら、すごいことが書いてあった。
「日本史の問題集を8冊やれ」というのだ。
8冊なんて、大変な量だ。
僕はそういう勉強はしたことがない。
一問一答式の問題集は使った。
しかしそれ以外に、実際の入試問題をそのまま持ってきたような問題集は99%やっていない。

東大は論述式の問題がでるから、「論述」の勉強はした。
しかしそれは「キチンとした文章を書けるようになる」ことを目的としてやったものだ。
つまり国語の問題としてやったのだ。
しかし、社会の問題集はほとんど使わなかった。

なぜかと言えば、「ちゃんと覚えてあれば、出来るはず」だと思ったから。
チャンと覚えてあるかどうかは、一問一答式の問題集で確認できる。
前にも述べたが、10月になってまだ室町時代を勉強していた人が、2月の試験までに全部終わらせようと思ったら、問題集なんてやっている暇はなかった。

暇がなかったからやらなかったが、もし暇があってもやらなかっただろう。
余った時間は他の科目の勉強に回しただろう。
「キチンと覚えてあるかどうか」が重要なのであって、そのために何冊も問題集をやるのは馬鹿げている。
「八冊やれ」と主張していた菅野先生の「実況中継」が、皆から見向きもされなくなったのには理由があるように思う。