みたいな話をサークルの先輩からされてびっくりした。
まぁ絶望先生とか大槻ケンヂとか知らないのだろうけど、人としての軸はぶらさないと、いっていた。


そもそも軸なんて持っていないという人もかなりいるのでしょうけどね。僕とか。


やっぱり自信がないと軸なんてものは持てない気がします。
その軸をサークルの3年生の大半は持っているからあそこまで力強く、1年生にはほとんどいないからあそこまで自意識過剰なのだろう。


軸を持って生きる方が、衝突が多くなるし、本当の意味で心を痛めることも少なくないでしょうから、別に軸を持つべきとまでは思いませんが、持っている人が僕は好きです。
例え自分と逆の信念をもって生きている人がいたとしても、その人と闘うことがあれば僕は本気で潰します。それが軸を持っている人に対する礼儀です。


まぁもっとも。俺の軸すごくブレているんだけどね。
哲学科に入って哲学を勉強するといろいろと凹むことが増えてきます。

一つ言えるのは神様が近くなることだよね。

日常会話どころか本の中にさえ神様なんて単語が出てくるとうんざりするのが普通なんだろうけど、一旦哲学を学び始めると驚く程に神様が出てくる。
まあ神様を呼ばないことには証明なんて出来ないから出てきてもらう他はないんだけどね。そういうと大抵そんなことはないと否定されます。

それじゃあ、たとえばさ。
明日も同じように太陽が昇るなんてことを我々は当たり前のように信じているわけだけれども。
果たしてそれは100%であると証明出来るだろうか?習慣による思い込みではないと何故言い切れる?裏切られたことがないから?それでは毎朝餌を与えてくれた人に、ある日急に首を絞められチキンとして出荷されるニワトリと何にも変わらないじゃないか。裏切られたことがない当たり前なんてそんなもの。

物理法則が証明してくれるから?成程。一般法則は一事例の習慣的な思い込みと違い、多岐に応用がきいている分信用にたるというわけだ。しかしそれらもすべて過去に幾つもあった事例から規則性を見出しただけにすぎないものだ。共通する規則性という分、純度は高いが事例を抜きにした法則などありえない。

この問いに対する結論は簡単。未来のことなどわかりはしない。これでいいのだ。
しかし学者達は普遍性を重んじる。なんとしてでも証明をしなくてはならない。



まぁ、人知を超えた存在が保障してくれなければどうしようもなくなるよね。物理も化学も神様がいるから成り立っているのだよ、ある意味でね。
因果関係すら人間の悟性、ならば成り立つ証明もなし。オムニストではない我々には知覚の限界がある。その意味を本質的に理解しなければ神の存在なんて必要もないけどね。

わっかるっかなー。わかんねーだろーなー。

注:これから先は筆者の主観に基づいた「自殺」に対する考察が書かれています。
一部過激な表現も入る予定なんで不快に感じるかなぁって人は読まない事をおすすめします。






いや、そんな大層な事は言わないんだけどね。


なんか、「死」ってものが軽い気がする、最近特に。


いや、昔は重かったかなんて若造の俺がわかるはずもないんだけどね。(苦笑)


ただ、自殺者達は「死」に対して何を求めているのかなって。


ううん、もしかしたら自殺を行うコンセプトの中に「死」っていうものが入ってないんじゃないだろうか。

一時期自殺志願者だった頃の俺を思い出してみても、死ぬまでに感じる痛み、苦しみに対する恐怖はあれど、「死」に対して具体的、あるいは漠然的な恐怖を持ち合わせていなかったように思えるし。


死ぬまでというのは文字どおり「死」という状態になるまでのことを指すわけで、すなわち恐怖の対照はあくまで「生」の中にあるわけじゃん?

そしたらその時の俺は状態変化のプロセスには恐怖しても変化後には恐怖してなかったことになる。

今日のドラマや小説で自殺、あるいは未遂のシーンがあっても恐怖の対照は「生」として描かれていることがほとんどな所を見るとどうやら客観的な立場から見ても恐怖の対照に「死」は入っていないようだ。


勿論全ての自殺者、及び志願者の恐怖の対照が「生」にしかないわけではないだろうが、では「死」という状態に対して恐怖する者はそれでも自殺するのだろうか?


― 今でさえ十分に不幸なのに、そんな仮定の世界が今より不幸ではないなんて良く言えたものだ ―


これは今自分が講義を受けている哲学者が十年前にだした本の中で言ってた言葉だ。


まぁ実際「死」なんて、完璧未知なるものなわけで、そんな状態(かもしれないもの)に自らをおくことを全力で考えた時、それでも自殺できるのかなって。

自殺者が乗り越えた恐怖は、読んで字の如く「自らを殺す」恐怖なのではないか。

彼等の中にもし「殺」の中にはらむ「死」が見えていたのなら、自殺はしなかったのかも知れない。




って思いました。

ま、ようはね。「死」ってこわいんだよってことだぁよ。

論じられているテーマのほとんどのが「生」に集約されているのであえて考えてみた。