前回の続きかな。
人間生きていくことは前提だという人もいました。何故前提なのか論証する為に生きなければならないとか。
トートロジーっぽい話ですが一応はうなずけます。また彼は、生きているだけで道徳的価値があるともいっていました。生きていくことに苦痛や疑問を感じない人間の生に価値はないが、それを感じて尚生きることは価値があるとかなんとか。
まぁ、青二才が徒然と書くより、中嶋義道『カイン』を読まれた方が早いです。
文の始まりで何となく『若きウェルテルの悩み』を思い出しました。ま、ウェルテル死んじゃうんですけどね。
カインとアベルについての本が欲しかったのにとんだミスチョイスでした。ギドー先生の本ってだけでにやついてしまいこの様です。
ただ、いろいろと面白いです。
哲学科に入ってすぐの頃、僕は中嶋先生に無になりたいのだと相談をしました。
すると先生は、私が最も恐れていたのは無ですと答えてくださいました。
僕は理解が出来ず、何故無を望むのか、永遠の命や死後の存在がどれほどの恐怖かを先生に伝えました。
すると先生は、それらは私が望むものだとおっしゃられ、続けて思考出来なくなること、自我の消失こそが怖いのだと僕に言われたのです。
そうして僕は一時の混乱を経て、あぁこの方は僕の立っている彼岸をゆく者なのだと感じたのです。
ま、どちらの考えも推奨しませんけどね。ただ、『カイン』では先生の赤裸々な考えが数多くちりばめられており、それらに気付く度、一年前のその会話を思い出すのです。
大学院生や教授の内で、学部生が抱く青い衝動や怒りを真っ直ぐに受けとめてくださる方は少ないので嬉しかったですね、アレは。