小曽根さんのことを大曽根と書いてしまい、思い出した昔話。
「おおぞねのおばちゃん」ではなく、私は、「おおぞねんのおばちゃん」と呼んでいた。
それは、大曽根が地名だとは思っていなかったから(笑)
小さな町が、大きな町だと感じていた小学生時代。
その地域は、町からバスで30分くらい山に入ったところにあった。
あれ?30分もかからなかったかな?
あの頃は、とてもとても遠く感じたけど。
行く途中にある鶴川は、友人と連なって自転車で行った川
山道なので、行きはよいよい帰りは、、怖い(上り坂)(笑)
後ろの山のほうが、大曽根かな。
この川は、私が溺れた川 (ヽ'ω`)
"大曽根んのおばちゃん"は、じいちゃんの姉。
留守がちな娘(高齢の時の娘か、おばちゃんが老けていたのか?)とふたり暮らし。
息子の子供(おばちゃんからみたら孫)が数人入り浸っていた。
おばちゃんの娘はジュリーの大ファンで
ジュリーのポスターが部屋中に貼ってあったのね。
ジュリーって人気者なんだなぁと、この時知った。
この時私は、郷ひろみが好きだった、、と思う。
お姉さんが居るときは、編み物をしていて
2度ほど、お姉さんのお友達とのお料理会に居合わせたことがあるんだけど
生まれて始めて知った「ババロア」という言葉。
「ババロア」というデザート。
驚きだった。
手作りおやつは、シャービック、ハウスプリンくらいしか知らなかったし
お菓子は、駄菓子屋でしか買えなかったし
不二家のパラソルチョコレートは、年に2回しか食べれない夢のチョコレートだったし
不二家自体、町にはなかったからね(笑)
ババロア
こんな感じに三層になっていて
ドキドキしながら、ひと切れを食べた。
こんな食べ物があるなんて!
モノがない時代は、ある意味
幸せだったのかもしれないね。
そうそう。
おばちゃんの家には、五右衛門風呂があったのよ。
外にあって、怖かったな~
この写真が、近いかな
田舎育ちですが、大根を抜く経験をしたのも
おばちゃんの畑からでした。