日中戦争に行った祖父の偉大さ | ブレちゃんのブログ

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アラフォーをいかにさらけだして、好きなことをやっていく。

山梨県に移住して10年
人種差別うけながら、子育てをし、産後太りを全て落として、アラフォーはメンタルも身体も健康に。

英語スクールを営みながらフルに子育て

81才で亡くなった祖父


私はちょうど高校生の時


祖父の生き方は命の重みをしっかり理解していたと私は認識してる

全て丁寧だったし、几帳面
畑も
魚の食べ方
人との接し方 



丁寧というより愛から来るのだと思う



母が東京にいるので、まだ自粛中で自宅にある山ほどの写真を整理していると一晩中送ってきます(笑)

これはまた楽しいんです

インスタやFBを見れる方チェキラーしてください🔦

ストーリーズにあげているので


すっかり忘れていた記憶が蘇ったりして
不思議な気分
学校の事でストレスマックスだったので
祖父母の思い出話で心が少し落ち着きました


祖父 トミゾウサさん

若い頃は日中戦争に行き

その話は今も語られています

中国の森の中で飲水がなくなり、人間の血を飲んで、生き延びた話やマラリアにもかかり、生死さまよったとか。

中国人女性のガールフレンドの話など
晩酌する時によく聞かされました♥

鉄砲隊の班長で

部下が鉄砲が下手でどうやら鉄砲が爆発して、トミゾウさんの耳の鼓膜がやぶれて

中国の耳鼻科の診断書もとっといてあります

夏休みに実家に遊びに行くと
悪夢みるおじいちゃん

うーてーっっっ!!

と叫ぶ

本当に怖い💦




勲章や戦中のアルバムは形見として持っていて、娘が学校にも持たせた事もあります。


祖父の遺言で分骨を名古屋の三ヶ根山に持っていくようにと書いてあった。

当時母が任務果たす為に私は祖母と留守


慰霊祭で祖父の部下が母のところに来ると泣きながら、班長にはお世話になりました!五右衛門風呂で火傷して、馬をひかないといけないのに班長は部下を馬に乗せて移動したとの話でした。 

祖父の分骨が最後でした
入りたくても入れない


不思議に

本当に不思議に


生死をなんどもさまよっていた祖父

今思うと何か悟られていたのかも

危篤中にはお経を唱えては

次の日ケロリだった事も

京都にある総本山の写真もたくさん

真言宗智山派をもっと追及したくなりました

ご先祖様を思って生きていくと不思議に良い事起きます

一人でもかけていたならばあなたはここにはいません

祖父の魂に手を合わせながら

今夜は眠りたいと思います

合掌



はじめて、羽田空港からハワイまでの便が出来た時に招待された祖父
げんき出る〜