TOPXIも血を吐きながら続ける悲しいマラソンか!? | breezywaveのブログ

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「血を吐きながら続ける、悲しいマラソン」半世紀前のウルトラセブンが今も突きつけるもの

「血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ……」

『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」に登場する、あまりにも有名な台詞です。

 

1968年に放送された作品ですから、もう60年近く前になります。

それなのに、この言葉を今あらためて聞くと、妙に現在の世界と重なって見えます。

 

「もっと強い兵器を」が、次の兵器を生む

「超兵器R1号」は、強力な兵器を開発することで地球を守ろうとする物語です。

ところが、相手がそれを上回る兵器を開発すれば、こちらもさらに強力な兵器を作らなければならない。

そして相手もまた、それに対抗する。

 

こうして、

 

「安全を確保するための競争」が、逆に不安と緊張を拡大させていく。

 

ダンとフルハシの会話に出てくる「悲しいマラソン」という言葉は、この構造を非常に端的に表しています。

 

一度走り始めたら、簡単には止まれない。

止まれば相手に追い抜かれるからです。

 

60年経っても、構造は消えていない

もちろん、現代の世界は1968年とは大きく変わりました。

核兵器だけではありません。

 

代理戦争、ドローン、サイバー攻撃、AI、経済制裁など、競争の舞台はさらに広がっています。

 

「相手より強い力を持たなければ、生き残れない」

そんな圧力が、国家間の競争を動かしています。

そして、この構造は軍事だけに限らないように思います。

AIも「悲しいマラソン」になるのか

現在もっとも象徴的なのが、AI開発競争ではないでしょうか。

ある企業が高性能なAIを開発する。

 

すると競合企業も、それを上回るAIを開発しようとする。

さらに巨大な計算資源、半導体、データセンター、電力が必要になる。

 

一歩遅れれば競争から脱落する。

だから、さらに投資する。

 

競合も投資する。

そしてまた、その上を目指す。

 

もちろん、AI競争そのものが悪いわけではありません。

競争が技術革新を生み、社会を便利にする側面もあります。

 

しかし、

 

「相手が走っているから、自分も走らなければならない」

 

という構造が強くなりすぎると、目的と手段が逆転する危険があります。

 

「何のために開発しているのか」ではなく、

「競争に負けないために開発する」

となってしまうからです。

金融市場にも似た構造がある

これは金融市場にも、少し似たところがあります。

企業は資本効率を高めなければ市場から評価されにくい。

 

投資家はより高いリターンを求める。

企業はさらに成長を求められる。

 

投資家も競争する。

市場全体が「もっと効率よく、もっと速く、もっと成長を」と走り続ける。

わたしも、このマラソンに参加している一人なのかもしれません。

もちろん、資本市場の競争が経済成長を支えてきたことは間違いありません。

 

しかし、ここでも、

「止まれば淘汰される」

という圧力が働いています。

 

企業も、国家も、投資家も、完全に競争から降りることは難しい。

だから走り続ける。

問題は「競争」そのものではない

私は、競争そのものが悪いとは思いません。

競争があるからこそ、技術は進歩します。

 

より良い製品が生まれ、効率も高まり、生活も豊かになってきました。

 

問題は、競争を止められないことなのではないでしょうか。

 

一度始まった競争から降りると、自分だけが不利になる。

だから誰も降りられない。

まるで資産運用の複利効果のようです。

 

相手も降りない。

結果として、全員が走り続ける。

これが「悲しいマラソン」の本質なのかもしれません。

半世紀前のSFが、今も古くならない理由

『ウルトラセブン』は、単なる子ども向け特撮番組ではありませんでした。

こどもならが、ウルトラマンと違って心理描写のシーンが多くて好きでした。

 

当時の核兵器競争という現実を背景に、

「人類は、力を持つことで本当に安全になれるのか」

という問いを投げかけていました。

 

そして60年近く経った今、その問いは消えていません。

舞台が核兵器からAIへ。

兵器開発から経済競争へ。

国家間の対立から企業間の競争へ。

 

形は変わっても、

「相手より強くならなければならない」

という構造は残っています。

 

技術が進歩しても、人間の競争心理と、それを増幅する社会システムまでは簡単には変わらないのかもしれません。

 

だからこそ、あの台詞が今も刺さります。

「血を吐きながら続ける、悲しいマラソンですよ……」

半世紀以上前の言葉なのに、まるで今の世界を見て語っているように聞こえる。

 

そして少し怖いのは、

私たちは、いつの間にかそのマラソンを「走り続けることが当然」だと思っていないだろうか。

ということです。