キオクシアの半値暴落のニュースで過去を振り返ってみることにしました。
正直なところ成功なのか失敗なのか記憶にございません。
記録から蘇った記憶をシェア。
総合計(1999年~2010年)
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総取引回数: 往復3回(計6取引)
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通算損益: +289,134円
取引履歴が語る、東芝メモリ事業の栄枯盛衰と「不敗のトレード」
手元にある、1999年末から2010年にかけての「東芝(65020)」の古い株取引履歴。
すべて1,000株ずつの売買で、計3回の往復トレード。
当時は1,000株が最低取引単位だったからです。
結果は意外にすべてプラス、通算で28万9,134円の利益。
一見すると、タイミングの素晴らしい、美しいスイングトレードの記録です。
しかし、この取引が行われた「時期」を日本の半導体産業の歴史、とりわけ東芝のメモリ事業の歩みと重ね合わせると、そこには単なるチャートの波を超えた、巨大企業の命運をかけた激動のドラマが浮かび上がってきます。
1. 1980年代〜1990年代:東芝メモリ事業の「栄枯盛衰」
このトレードの意味を紐解くために、まずは時計の針を1980年代へと巻き戻してみます。
当時、日本の半導体産業は世界の頂点に君臨していました。
その中心にいたのが「東芝」です。
1980年代:DRAMの王者と、ひっそりと生まれた「革命の種」
1980年代半ば、東芝はパソコンやメインフレームの主記憶装置に使われる「DRAM(記憶用半導体)」で世界トップシェアを誇っていました。
1メガビットDRAMの量産化レースで世界をリードし、巨万の富を築き上げた東芝は、名実ともに「半導体の王者」でした。
例えるなら無敵化したスーパーマリオです。
さらに1987年、東芝の天才技術者・舛岡富士雄氏によって、後に世界を変えることになる「NAND型フラッシュメモリ」が発明されます。
電源を切ってもデータが消えないこの技術は、未来のデジタル社会の基盤となる画期的なものでした。
しかし、当時の東芝の上層部は莫大な利益を生み出す「DRAM」に目を奪われ、この革命的な発明をすぐには重要視しませんでした。
これが、後の悲劇への伏線となります。
1990年代:日米摩擦、韓国勢の猛追、外圧と内憂
1990年代に入ると、潮目が完全に変わります。
今では避けるべきレッドオーシャン状況に。
日米半導体摩擦による足かせ、そして容赦ない「円高」が日本企業を直撃しました。
その隙を突いて台頭したのが、サムスン電子をはじめとする韓国勢です。
韓国勢は通貨危機をも恐れぬ圧倒的な巨額投資とスピード経営で、DRAMの価格破壊を仕掛けました。
日本特有の「高品質・高コスト」の設計は、パソコンが主役となった時代の「そこそこの品質・圧倒的な低価格」を求める市場ニーズと乖離していきます。
1992年には、DRAMの世界シェア首位の座をサムスンに明け渡すこととなりました。
例えるなら元のサイズに戻ったスーパーマリオです。
東芝は1990年代後半、ジリ貧となるDRAM事業に見切りをつけ、かつて冷遇していた「NAND型フラッシュメモリ」へのシフトを急ぎ始めます。
デジカメや携帯電話の登場により、ようやくNANDが陽の目を浴び始めたのです。
しかし、主戦場だったDRAMの収益性悪化は、東芝の経営を重く圧迫し続けました。
2. 取引履歴の暗号を解く:激動の半導体サイクルと投資の足跡
まさにそんな「DRAMの終焉とフラッシュメモリへの転換期」に始まったのが、今回の取引履歴です。3回の往復取引が、世界の経済史、そして東芝の命運とどのようにリンクしていたのかを見てみましょう。
① 1999〜2000年:ITバブルの熱狂と「DRAM帝国の終焉」
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買付:1999/12/29(758円)
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売却:2000/01/28(835円)
1回目の取引は、世界が「ITバブル(ドットコム・バブル)」の狂乱に沸いていたまさにその絶頂期です。「インターネット」という言葉がつくだけで株価が跳ね上がったこの時代、半導体需要の思惑から東芝の株価も高騰していました。
ちょうど今のAIブームに似ていますね。
例えるならちっちゃくなっちゃたたスーパーマリオです。
買付単価758円からわずか1ヶ月で835円へと急騰した波を鮮やかに捉え、利益を確定させています。
しかし舞台裏では、東芝は苦悩していました。この1999年〜2000年にかけて、東芝は汎用DRAM事業について海外勢(マイクロンやインフィニオン)との提携を模索するも破談。
自社での巨額投資を継続できなくなり、ついにDRAMからの完全撤退のカウントダウンが始まっていた時期だったのです。
例えるならキノコにやられたスーパーマリオです。
② 2001〜2002年:バブル崩壊と、苦渋の「撤退発表」の底打ち
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買付:2001/12/12(495円)
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売却:2002/03/11(588円)
2回目の取引は、打って変わって悲壮感漂うマーケットでのトレードでした。
ITバブルは2001年にかけて完全に崩壊。
世界的な半導体不況が襲いかかり、東芝の業績も急悪化、株価は大きく売り込まれました。
この取引の買付日である2001年12月12日。
奇しくも東芝はこの前後に、国内外の数千人規模の人員削減や、「汎用DRAM事業からの年内完全撤退」を正式に発表しています。
かつて世界を制した主力を捨てるという、どん底のニュース。
株価は495円まで売り込まれました。
しかし、投資の世界には「悪材料出尽くし」という言葉があります。
わたしは、まさにその構造改革の痛みを伴う「大底」で買いを入れ、翌年春の自律反発(588円)で見事に利益をさらっていったのです。
③ 2008〜2010年:リーマンショックの恐怖と、NAND型「スマホ狂想曲」の始まり
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お買付:2008/10/27(300円)※特定口座
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ご売却:2010/03/11(443円)
数年の空白を経て行われた3回目の取引。
ここには、今世紀最大の経済危機と、新たな時代の幕開けが刻まれています。
2008年9月、リーマンショックが世界を襲いました。
東芝がDRAMの代わりに全力を注いでいた「NAND型フラッシュメモリ」も、世界的な消費冷え込みにより価格が数分の一に大暴落。
四日市工場(現在のキオクシア)は大規模な減産に追い込まれ、東芝は過去最大の赤字へ転落します。
株価は歴史的な安値である「300円」を記録しました。
この絶望の淵(2008年10月27日)で、わたしは三度目の買いを入れます。
ここからの回復劇を支えたのは、2007年に米国で産声をあげていた「iPhone(スマートフォン)」の爆発的普及でした。
スマホの心臓部(ストレージ)として、東芝のNAND型フラッシュメモリの需要は一気にV字回復を遂げます。
2010年3月、株価が443円まで力強く買い戻されたところで、最大値幅での利益確定。
完璧な大底買いでした。
(※この取引から「特定口座」が導入され、表記が「お買付」「ご売却」へとシステム上変化している点も、証券史の過渡期を感じさせます)
結び:歴史の転換点を泳ぎ切っていた
1980年代のDRAMの黄金期、1990年代の日米摩擦と韓国勢の台頭、そして2000年代のDRAM撤退とNANDフラッシュへの命がけのシフト――。
東芝の半導体事業が経験したこの「栄枯盛衰」は、そのまま世界経済のパワーバランスの縮図です。
取引履歴は、その激動の歴史の「もっともドラマチックな節目」を正確に射抜いていました。
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ITバブルのピーク(1999〜2000)
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DRAM撤退という構造改革の底(2001〜2002)
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リーマンショックの恐怖とスマホ時代の幕開け(2008〜2010)
この3つのタイミングすべてでエントリーし、すべて利益(不敗)で終えているこの記録。
それは単なる運ではなく、企業の変革期と世界経済のサイクルを静かに、しかし大胆に見つめていた投資家の、見事な足跡だったと言えるのではないでしょうか。
しかしキオクシアのIPOにはなぜか興味がわきませんでした。
おそらく泳ぎ疲れていた記憶がキオクシアの取引きを遠ざけていたのでしょう。
そしていまは、投資はサテライトで資産運用がコアになっています。


