ご訪問いただき、ありがとうございます
フルタイムワーママのシロです。
娘は2歳。パパが大好きです
ゆるいペースで育児記録やイラストを残していきます。
pixivもはじめました
どうぞ、よろしくお願いいたします
ご無沙汰しています。シロです。
仕事が忙しく、少し落ち着いたと思ったら、帯状疱疹になったりコロナになったりで、ずっと不調でした
今はコロナ後遺症も治まり、結構元気です。
心配してくれたり、助けてくれた友人たちに感謝の気持ちでいっぱいです
1歳8ヶ月頃から3語文、多語文を話すようになり、毎日お喋りな娘です。
この前、急に、「モモちゃん、ママのフラッシュカードが好きなんだぁ」と言っていて
びっくりしすぎて、歯ブラシくわえたままかけよったら
「ママ、歯ブラシくわえたまま歩かないんだよー!」
と諭されました。
いやぁパパ、よいしつけできてますね
2歳5ヶ月時に試しに神経衰弱(絵カード20枚で)をやってみたら、ママふつうに負けました
「モモちゃん12枚とったよー!」とはしゃぐの可愛いな。
はやく成長記録をリアルタイムまで追いつきたいです。
さて、少し前に「学歴より経験」が話題になって、思うところがあったため、ちょっと自分の気持ちを整理するために書きます。
私にとって「勉強」は、毒親に支配された貧困家庭から抜け出す唯一の道でした。
良い大学・会社に入ることが最善と、今は思いませんが、勉強はやればやった分ある程度は報われやすい努力だと今も思っています。
「経験」に関して、家庭毎の格差を本人の努力で埋め合わせるのは困難すぎると感じます。
ペーパーテストが一番平等だと思うんだけどなぁ。
私は、母に中々の暴言を吐かれる家庭環境で育ちました。
「生むんじゃなかった」は日常的に
受験直前には「落ちろ!破滅させてやる!」
中々精神的に辛かったです。
塾には行かせてもらえないから、参考書をバイト代で購入し、家を出たい一心で図書館で勉強しました。
良い大学に入れば人生逆転できると思っていたんですよね…
大学受験料は出してもらえないからバイト代で賄い、授業料も生活費も、自分で調達して卒業できました。
学内奨学金(給付型)に加えて、成績を上げて民間の奨学金(給付型)も受給できたため(合わせて年間72万円程)、なんとか卒業できました。
夜勤バイトも沢山しました。
早稲田大学は学内奨学金が充実しているところが好きです。
日本学生支援機構奨学金も、満額借りていたため、まだ奨学金を返還しています。
大学一年時は、多額の借金背負ってまで私大に入ってバカなんじゃないか、やっていけるのかと未来のことを考えすぎて、元々病んでいた精神がさらに病んでいました。
ただ、大学生活は振り返ると貴重な期間でした。
大学時代、色々な人と出会いました。
ずっと温室育ちで人の心の痛みが全くわからない人。
酔って暴れて暴力をふるう先輩。
私と同じように親の経済状況で苦労してきた男友達。
毒親に支配されて苦しんでいる人。
苦労してきたからこそ、人の心の痛みに寄り添える優しい人。
惜しみない愛を注いでくれた彼。
沢山の人と出会えて楽しかったです。
バイトも沢山の種類をしたけど、どれも勉強になりました。
娘は大学に行きたければ行けば良いし、必要ないなら行かなくて良い。
行かなくても幸せになる道なんて沢山あるので、研究したいことがあるなら行ったら良いと思います。
私は大学進学を機に実家から完全に独立したので、それは本当に良かったです。
あのまま家にいたらと考えると恐ろしいです。
相変わらず、お受験にはあまり関心がない私ですが、いちばん頭の柔らかい時期に働きかけを沢山してあげたくて知育をしています。
実家は嫁姑仲も、両親仲も最悪で、よくお皿が割れていました。
母と祖母の両方からお互いの悪口をきかされていつも悲しかった。
どちらも本当は大好きだったから。
父が借金をつくり、私の生まれつきの病気の手術代も大学のためのお金も全部なくなり、サラ金について少しだけ詳しい10代でした。
父は思い詰めて樹海に行き、2週間行方不明でしたが助かりました。
あまり仕事は続きませんが今は元気でいます。
よく兄弟で一人だけごはん抜きにされていたから、お腹がすいて…冷蔵庫の中のものを食べたら泥棒扱い。ふりかけを食べていました。
母はいつも精神的に不安定で、よく物を投げたり蹴られたりしました。
ハサミ投げるのは危ないよー。
小学4年生の時、洗濯したくて洗濯機を使おうとしたら、泥棒と言われてお風呂場で自分の服を洗っていたりもしました。
高校時代も、お弁当なんてもたせてもらえなくて、お年玉を切り崩して、毎日50円のハムカツを食べていました。
家でお財布を落として、2万円無くなっていたこともあります。
高校まで片道13キロあり、毎日26キロも自転車を漕いでいたから、いつもお腹が空いていました。
大人しそうな見た目のせいか、社会人になってからも何回も変質者に遭遇したり、
受験生の時、性被害にあって精神を病んだこともあります。
でもずっと誰にも相談できませんでした。
私には生まれつきの病気があり、母は私が生まれた時すごくショックだったそうです。
(見た目に関わる病気で、治療すればかなり良くなるものですが、当時はあまり知られていなかったのかな)
「あんたが生まれた時すごくガッカリしたの」って言われたのはやっぱり今でも悲しいです。
娘が生まれてきてくれた時、私はすごくうれしかったから。
母は私が生まれてうれしくなかったんだと思うと今でも苦しくなります。
「あんたが大変だったから次の子を堕ろしたの…あんたが殺したんだ」
と言われた時から完全に精神が壊れました。
私のせいで…って思う時が今でもあります。
ずっと母から嫌われていると思っていたから、小学生の頃描いた絵が県で表彰された時も、何かしら表彰されても報告をしませんでした。
進学先も就職先も事後報告。
大人になってから母に言われました。
「ずっとシロに嫌われていると思っていた」って。
結婚式に関しても、貴重なお休みに、お金も手間も人様にかけさせてしまうなんて申し訳なさすぎる!絶対にやらない!って決めていました。
自分が目立つのも大嫌いだし、母への手紙とか絶対に書けないしね。
結婚式に夢を抱けるような精神の女性が羨ましかったです。
恵まれた環境で愛されて育ってきた人が羨ましかった。
私は友人に恵まれてきたけど、実家の家族を誰にも見せたくありませんでした。
酷い娘ですね。
元々の家族5人、上京後15年以上揃ってないけど、これからも死ぬまで会わないかもしれないけど、元気でいてくれたらと思います。
(実家には一切帰りませんが、両親とは時々会うまでには関係が回復しました。やはり自立したことが何より良かったんだと思います)
中々刺激的な家庭で育って、当時はなぜうちだけこんななん…って思っていました。
(今では私より酷い思いしてきている人は沢山いるし、私はまだ恵まれた方だとわかっています)
でも良かったことも沢山あります。
①外の世界の人が皆、優しく素晴らしい人に思えて、慕っていたから、人間関係ではあまり苦労しなかった
沢山可愛がってくれる人がいた
②自立心がかなり身についた
③たいていのことは許せるしあまり怒らない
人にあまり期待しない
幼少期から、何故だかわかりませんが、
「起こることは自己責任」だと言う考えがずっとありました。
人の良いところ綺麗なところをみたいって思って、積極的に良いところばかり見るようにしていたためか、小学生時から周りにほめ上手とほめてもらえました笑
夫には、「無理に人の良いところばかり見なくていいんじゃない」と気遣ってもらっていますが、私はやっぱり人のステキなところをみたいな。
今までの人生、沢山の人に助けてもらえたし、人間関係には本当に恵まれていました。
ラッキーも多かったです
感謝している人は沢山います
感謝と思いやりの心が、幸せになるためには大切だといつしか学びました。
「これからがこれまでを決める」って言葉にも励まされました。
いちばんしんどい受験生の頃、何度スピッツの曲に救われたことか…
ずっとスピッツが大好きです
娘の知育をはじめて驚いたのが、自分が昔話や童謡を意外と知っていること。
絵本は好きだったし、童謡は勝手におもちゃのピアノ弾いて覚えたから詳しいのかもしれないけど…
少なくともそういうものに触れられる環境にあったんだな。少しは愛されていたのかな。
と思えました。
自分の生い立ちを話した事があるのは、夫と元彼のうちの一人だけでしたが、急に書きたくなっちゃいました。
長すぎる暗い話を読んでくださり、ありがとうございます。
色々あったし、病んでた時期も長かったけど、今は幸せです。
娘や夫と出会えて本当に良かった。
ここに書いた知育の指針を忘れずにいきたいです。
(正直、毒親育ちの私がちゃんと子育てできるのか…毎日不安はあります)
知育もしますが、親を反面教師にして、娘には愛のある語りがけを、スキンシップをしていきたいです)
喧嘩したり、イライラすることもあるけど、今の幸せを自分で壊さないように…
これからも自分の家族を大切にしていきます
読んでくださりありがとうございました