「毘」 「龍」の旗印
上杉謙信は侵略のためには戦わない、すべてが筋目、大儀を重んじた戦で、
頼まれたら嫌とは言えぬ義の心を持った武将だったとされる。
”刀八毘沙門” の旗は、戦の神 毘沙門天の一字をとった。将兵はいつも毘沙門天とともにある。
”懸かり乱れ龍” の旗印は、総攻撃を仕掛けるときのみ本陣に立てられた。
上杉家十代鷹山公
困窮崩壊寸前の藩を復興させた。天明の飢饉では一人の餓死者も出さなかった名君。
アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが、日本の政治家で最も尊敬する人として敬愛したそう。
伊達政宗が米沢城に生まれ25歳まで青年期をここで過ごした。
とは知らなかった。
上杉家は、関ケ原の合戦の責めを負い、会津百二十万石から米沢三十万石に減封された。
初代藩主となった上杉景勝と「愛」の前建ての兜で知られる直江兼続、
二人の主従が、米沢に入る途次、新しい街づくりについて語り合う姿。
ここにも上杉鷹山の銅像。
キャロライン・ブービエ・ケネディ駐日米国大使(当時)(さきほどのケネディ大統領の娘)のスピーチ。
領民に対して力を尽くし、教育に献身し、一人一人に世の中を良くする力があるという
信念を貫いたリーダーです。その姿は何世代にもわたる人々に影響を与えてきました。
父は「一人でも世の中を変えることが出来る、皆やってみるべきだ」とよく言っておりました。
しかし、鷹山ほど端的にそれを言い表した人はいません。「なせばなる」と...
民主主義の原点を示した「伝国の辞」
下の句は、耳が痛い、、
勝守
二体いただいた。
いったい何に勝とうというのか、、
そう、一番の敵は ”自分自身”
上杉謙信信祠堂(御堂)跡
謙信公は越後春日山城で逝去し、その遺骸は甲冑を着せ甕に納められ、漆で密閉したそう。
会津、米沢と移封される度に遺骸も移され丁重に祀られてきた。
明治四年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし上杉神社の祭神となり、
のちに遺骸は歴代藩主が眠る御廟所へ移された。












































