「カンボジアという国」というタイトルで書くのは今回が最後です。

 

これまでカンボジアの実態やカンボジアでの私の生活、

またカンボジアでいろいろ感じた事を書いてきました。

 

まぁトータルでは、カンボジアで生活するのもそんなに悪くない。

古き良き時代の日本の片鱗もまだ残っているし、

田舎は、健康に問題がなく、食べ物の好き嫌いや頑な衛生観念を捨てて、

村のルールを守っているれば、のんびりしていてとてもいい場所です。 
 

私は元々、貧困の子供達に英語を教えるためにカンボジアに来ました。

それで実際、小学生に英語を教えてみて、ある程度成果はあったと思います。

成果というのは、英語に興味を持たせ、簡単なフレーズを覚えさせることです。

しかし、それ以上の事は無理だと痛感しましたね。

送り出し機関で日本語を教えた時も同様の限界を感じました。

 

小学生はまぁ子供だから、致し方ない点もありますが、

大体、勉強をするという意味がわかっていないし、

勉強の仕方もわかっていません。

多分、そこから教える必要があると思います。

 

小学校では、まだまだ体罰は当たり前。

勉強しないと、先生に叱られるからやっている感が大きく、

授業も午前中だけという環境では、勉強する意味をわかれというのも難しい。

先進国と比べれば圧倒的に学習時間がすくない。

 

それに文化というか、日常の生活環境もそれを後押しするような環境がない。

農家が多い田舎では、農繁期には学校を休んで家の手伝いをしますし、
狭く暗い家では、夜に勉強する事も難しい。

勿論、お金持ちの家では、親は勉強の重要性は理解しているので

夜でも明るい部屋で子供に勉強させる事もやりますが、そんなのごく一部です。

 

首都プノンペン育ちの一般的な家庭の子供は、もう少しマシですが、

でもやはり授業は午前中だけだし、都会は都会の誘惑も多いから

勉強する派の子供と、しない派の子供の差は大きいですね。

 

送り出し機関に、日本へ行きたいと希望して来る生徒の多くは田舎出身です。

小学校もろくろく出ておらず、昨日までのんびり畑仕事していた人たちですから

一応日本語の授業は受けますが、予習も復習もしないし日本語を覚える意識も薄い。

日本に送り出した生徒の多くは中卒、高卒だと高学歴な方です。大卒は皆無です。

中には、母国語で自分の名前すら書けない生徒もいましたからね。

 

今、CJCCという所で週2回、日本語を教えています。

さすがに、CJCCでは、本当に日本語を勉強したい人達が来るので、

殆どの生徒は真面目に勉強しています。

CJCCで日本語勉強できる生徒は、一定レベル以上の家庭の人たちや

昼間、ちゃんと仕事をして定期的な収入のある人たちです。

そういう意味では、大変教えやすいし、教えがいもある。

 

でも、元々私が思っていた貧困から抜け出すための知恵としての勉強を

教えているわけではないので、単なる仕事としてやっている感が大きい。

それでは、何のためにカンボジアに来たのかわからない。

 

CJCCは、日本で言えば東大にあたるプノンペン王立大学の構内にあるため

大学生の事をよく観察できますが、私の感覚では日本の高校生のようです。

まぁどんな授業内容かわかりませんが、教室の外での言動は日本の高校生そのもの。

これがカンボジアの東大かと疑いたくなりますね。

勿論、本当に優秀な人も沢山いるのかもしれませんが。

(最近は日本の大学も同じようなものかもしれませんけど)

 

とういう事で、私がカンボジアに来る前に描いていた理想は

現地に来てみると、教育だけで解決できる問題じゃなく

もっと大きな問題の枝葉にしかすぎないという事を痛感しました。

よって、支援のあり方を再考する必要があり、

また違う形で、その根っこにある問題を解決できる仕事が

できればいいと思いますが、その為には、またいろいろ勉強する必要があり

それも今回帰国する理由の一つになっています。