はいさい。

しーぼ。

東京つきました。

成田だけど。

バスが長いとです。

ゆっくり書こう。かな。





2013年だって。

こわ。笑

俺らが26とか?かな?

こわ!若っ!笑

この日のライブは今でも思い出すとぎゅっとなる日でね。

韻牙ランドっていう大切なともだちのラストライブの日だった。

この日初めて歌った歌があって。

この日は無理して一日明るく振舞ってたもんだから。

話す余裕なんて特になくて。

ただただ大切なともだちと同じステージに立ってたのを噛み締めてた。

そこにLIFriendsはいた。

そして2014年。




2組でラジオの企画みたいなのでライブしました。

キャピキャピしてて。

でもすごく大人のことわかってて。

しっかり自分たちをプレゼンできて。

賢く立ち回ってる。

自分たちより若いのに。

それがなんかうますぎて、逆に生意気にみえたなー。笑

今となってはそんなことないってわかるのに。

俺も若かった。

そしてここから動き出したなー。

2015年。

リフレンズ(英語めんどくなった!笑)が全都道府県でライブやるってなって。

札幌と新潟、長野、富山、金沢と出させてもらった。

一緒だった。


仲間。とか。

親友とか。


口に出すのって恥ずかしいもんで。


そんなん抜きにまっすぐそのまま歌にしてた。


誰も知らないような。

その場のあなたには忘れられんような。

もちろん僕にも。


カケラがたくさんあって。


うちのマネージャーペコさんがほかのアーティストとこんな仲良くなるのも初だったなあ。


この時に戻りたくなる。ずるいな。

結局一緒だった。

必死で。

強がって。

こわくて。

でも夢があった。

それだけだったのだ俺たちは。


写真撮ってよかったよ。笑


いつだってあの日の俺もおまえもいる。

仲間だ。

この時には俺らがフレンドシップを。

そしてリフレンズが仲間を。

歌い合ってて。

ステージとフロアの一番後ろを歌が繋いで。

その中にみんながいた。


こんなライブもあるんだなーって思ったよ。

そしてこのツアー俺らの参加が終わる日にネイビー泣きながら仲間歌ってたもん。笑

そしてだ。

俺らにバンザイって歌が生まれた。

Bメロを作る時。

仲間の「最終電車に揺られながら〜」の部分が好きで。

イメージはそこにあって。

俺なりにそれを俺の言葉で俺のメロディーで書いたのを覚えてる。

なんていうのか。

そこに背中を押されて。

そこをともに歌いたい。って俺が思ったから。

そんな部分になってほしかった。

案の定なっちまった!笑

ツーマンライブも決まった。

お互い歌おうなーって。笑って話した。




でも。




神さまってのがいるのかいないのかわからんし。

運命ってのは最初から決まってるから決まってないかもわからんけど。

やっとツーマンライブできるって決まったあと。

リフレンズの事故。

本気で心配したわ。

ツーマンなんてどうでも良いから。

早く。何事もなく。って思った。

そこからあいつらはさすがだ。

乗り越える方法を考えて。

がむしゃらに汗だくで。

乗り越えた。

戦った先にあったワンマンライブ。

僕らを呼んでくれた。

呼んでくれなくてもいってたな。笑

そんな場所で歌った歌がある。

ヒハノボル。

「失敗だらけの毎日で 傷だらけの足で 今は進むんだ 七色の砂利道を」

これ歌ってた時にふと思った。

しゅんからみて。(しゅんは足怪我してライブ出ないで見てたのね。)

おれ、AJ、ネイビー、まこ、はやち、かみ、ふぁんちゃんがステージいて。

奇しくも7人だ。

各々の色で。

各々の道を。

ともに進む。

おれからみてもそう。

リフレンズとブレエメン合わせたら8人で。

誰からみても周りに7人。

そんな意味なんて込めて書いたわけではない歌が。

そんな意味を持つ瞬間があった。

不思議だ。決まってたのかなー。知らんけどさ。



そしてそれからも何度も今日まで。

何度も今日まで。

進んできた。

明日も通過点だ。

どこまでこんな俺らの、誰も知らないような、クソみたいなドラマレベルかもしれなくても、泣いて笑った日々が続くんだろうなあ。

あれから。

何年も経って。

叶った約束も。

叶ってない夢もあって。

でも俺らの世界にはリフレンズがいて。

リフレンズの世界には俺らがいる。



2019年1月19日。



また、歌いたい歌ができたよ。

また、歌いたい歌があるんだろ?




はじめよう!

あでゅ〜