先日、2月の勉強会のお知らせのときに「ウグイスが来た」と書きました。
カバー画像も、私が近所で撮影した「ウグイス」の写真です。
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ところが。

 

先日施設にいる父に、

「近くに、もうウグイスが来たんだよ。ほら!」

と私が撮った上の写真を見せたところ…

 

爺、ひと目見たとたんにフッと余裕の微笑みを浮かべまして

 

デレデレ笑い

ほほほ、

これはな…

 

ウグイスじゃなくてメジロ

 

 

なんですと!!!
ポーンハッ!!

 

 

日本野鳥の会さんのサイトに載っている写真を見ても、全然別の鳥さんじゃないかーー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「野鳥情報.com」さんというサイトにも、ウグイスちゃんとメジロちゃんの違いが詳しく載っていました。

 

 

 

 

目元がポイント!

(「野鳥情報.com」サイトより)

 

 

いやあ、びっくり。

賢くなりました。

 

私の「脳内鳥類図鑑」には、メジロがウグイスだと完全に間違って刷り込まれていましたよ。

 

間違いを訂正の上、謹んでお詫びいたします。

m(__)m

 

 

セキセイインコ黄

 

 

それにしても、いったいどこでどう取り違えられたのでしょう。

メジロとウグイス。

 

まったく疑問なく、完全に脳内ですり替わっていました。

誰かにほんとうのことを教えてもらわなければ、私が自分だけでこの間違いに気づくことはなかったと思います。

なにせ、100%「メジロがウグイス」だと考えてましたから。

 

あらま?!びっくりハッ

どこかで聞いたようなハナシ…

 

そうなんです。

ACIMも、繰り返し私たちが誤りに囚われていることについて語っていますよね。

 

私が思うに、ACIMが言いたいのは

「私たちは、たいがいなんでも間違っている」

という話だけではない。

(たぶん、それも事実でしょうけど…。)

 

一歩進んで

 

    
私たちは自分が間違っていることじたいに
気がつかないし、気づけない

 

ということが、もっと言いたいのだと思います。

 

まさに今回の私の、メジロとウグイスの件のようなものです。

 

 

セキセイインコ黄

 

 

かく言うACIMの学びですが、それは最終的に私たちを

 

自分の知識(☆)はすべて脇によける

 

という態度へと導くものです。

 

(☆)この「知識」は、私たちがこれまでの人生で身につけてきた情報の蓄積のこと。ACIMが言う「神を”知る”=智識」ではないので、念のため。

 

しかしこのような境地に至る以前に、私たちは、自分が陥っている誤りを訂正しなければなりません。

なにせこの「誤り」が訂正されない限り、地上でヒトとしてまともに”機能しない”そうですからね。

 

ほっこりあせる

え?”機能する”

それどういうコト?

 

たしかに、そこから理解したい気もします。

が、これもまた、いろいろ間違っているあいだは理解不能のようで…。

 

結局は、私たちがドツボにはまっている的「間違い」とやらを解消するのが先決ってハナシになる。

 

それにはまず、

❝自分が間違っているかもしれない❞

という謙虚な前提が大切でしょう。

 

この地点から、

 

もし自分が間違っているのなら、

真実を教えてもらいたい

 

という発想が生まれてくると思いますので。

 

 

セキセイインコ黄

 

 

山育ちの父が言うには、メジロはウグイスと違って警戒心が薄いんだとか。

山に行ってトリモチ(っていう罠があるらしい)を仕掛けておくと、たいていメジロがひっかかる。

それで飼いならすとよくなついて、かわいい鳥なんですって。

 

メジロもウグイスも野鳥ですから、いまはもう捕まえるのも、ましてやペットにするなんてご法度のはず。

昔の子どもの遊びは、ワイルドだったんだなー。