はじめて真面目にACIMを学びはじめたとき、私は毎日少しずつテキストを読みました。
どのくらい「少し」かというと、たとえば
第一章「奇跡の意味」
Ⅰ「奇跡の原理」
の場合なら、Ⅰ「奇跡の原理」の部分。
そのくらいの「少し」です。
そんな感じでテキストを読み終わるのに、ちょうど1年かかりました。
当時はまだ日本語版が出版されておらず、私が読んだのは「オリジナル版」という英語版のACIMでした。
最初に日本語版から始めていたら、十中八九読み通せなかったでしょうね。きっと。
原書のFIP版で、すでに挫折していましたから…。
(☆文末参照)
ともかく、テキストを通読し終わったときのカタルシス(心の中で抑圧されていたものが解放される感覚。ACIM風に言えば「浄化」でしょうか)は、とても大きかったと記憶しています。
自分の知覚がいかに当てにならないかーもっとはっきり言えば、いかに間違っているのか。
それが、当時の自分なりに身に染みたものです。
私はーつまり私のものの見方、考え方は、それ以来すっかり変わってしまいました。
自分のなかの不快感に気がついたら最後、自分自身に対して
「それはなんのためなのか」
「それはほんとうは、何を意味しているのか」
そう問いかけなければ気が済みません。
その答えは、必ずありました。
次は「ワークブック」です。
たびたび
今日のレッスンにピッタリ!偶然だなー
というようなことがありましたが、いま思えば「偶然」でもなんでもない。
すべては私にとっての(そしてあなたにとっての)レッスンであり、私たちが学ぶことはひとつなのです。
それ以上でも、それ以下でもありません。
それだけのことです。
この「実地の実習」は素直に面白く、夢中になって一年が過ぎました。
こうして2年がたち、私には変化がありました。
といっても表面上は、ほとんどなにも変わっていません。
見た目も性格も、そのままです。
天然パーマだって、相変わらずグルグルのうねうね。
「心のおしゃべり」も同じことでした。
私の心は、それまで同様に
「あああ、体だるい。眠いぃ」
「もっといいやつ、欲しいんですけど~」
…などとしゃべり続けている。
しかしその声は、以前とは比べ物にならないほど小さいのです。
真剣に耳を傾ける必要性が感じられない。
私にとって長年の付き合いだった、「心のおしゃべり」の主(ぬし)。
それに色があったとすれば、その色はすっかり褪せてしまいました。
鮮やかで生き生きとしていた色彩は失われ、いまに至るまでその勢いは戻らないままです。
私は最初この状態を、自分の心自体が弱まったのだと考えていました。
まるでなにかが抜け落ちたような感覚でした。
でもそれに正比例して、私は、自然に(ACIMが言う)「理性」を取り戻していったのです。
それで私のIQが向上したわけではありません。
スラスラ暗算ができるにようになったわけでもないし、クイズが得意になったわけでもない。
ACIMの言う「理性」は、IQ面での賢さではなかったようです。
いまさらなにを期待してた…?
ともかく、私の「心そのものが弱まった」わけではありませんでした。
弱まったのは(ACIMが定義する)「自我」の部分だったのです。
ところで、ACIMの思考体系に沿って考えることを「テキスト」は
神とともに考える
と表現しています。
このように聞くと、まず「神とともに考える」ための訓練が必要なのかな?と思えますが…
必ずしもそういう「積み上げ方式」ではないのかもしれません。
それまで自分の心を占めてきた「おしゃべり」の影響力を減らす。
その「引き算」的なやり方が、実は効果的なのかも。
よりACIM風に言えば、自我の部分が弱まれば、(ACIMが言う)「聖霊」という部分がおのずと強まるように思います。
ACIMが言う「聖霊」は、非常に強力な存在。
おそらく私たちに必要なのは
自我の影響力を弱める(=聖霊の声を聞く能力が強まる)
ふり返ってみると、そんな気がします。
前回もお話ししましたが、ACIMの学びには、「テキスト」の理論を実際に応用しての心の訓練が欠かせません。
私の場合、ACIMを学んだ最初の一年間は、「テキスト」で理論を学ぶことに費やしました。
そのあとの一年間で「ワークブック」を使って実践し、結果として、バランス的に双方がかみ合ったのだと思います。
私の心の「自我」の部分は、ACIMをきちんと学ぶようになった最初の2年で明らかに弱まりました。
この”ACIM結果”は、私にとって言葉にできないほど大きなものです。
当時は
最近、いらんこと考えなくなったなぁ
くらいの感じでした。
しかし、もう少し時間が経ったいまは、以前の自分自身との雲泥の差を実感します。
しっかり向き合うべきことと、そうでないことの区別がつくようになったのです。
以前は、みんなごちゃごちゃで…
いつも自分の人生に手一杯でした。
もちろん私が「自我を完全に捨てた」わけではありません。
私自身に対する「自我」の部分の影響力が、以前とは比べ物にならないほど弱くなっただけです。
しかしそのおかげで、比較的容易にACIMを学ぶことができるようになりました。
そしてその学びは、いまも続いています。
ACIMを学ぶ方それぞれに事情があるはずですから、
「テキストを先に勉強してからワークにしないとダメ!」
なんて短絡的には言えません。
しかし振り返ってみると、私の場合
テキストで集中的に理論を学び、そのあと実際にワークブックで実践する
という方法は非常に有効だったようです。
(☆)本文にある「オリジナル版」など、FIP版以外のACIMについては
よろしければ以下の記事をご参考に⇓
ちなみに「FIP版」とは、邦訳「奇跡講座」の原書になっているACIMです。