頭ん中へようこそ
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就活日記

 短期の仕事なんて就活とも言えないけど、軽作業系の仕事が意外と少ないかも知れない。



そうだよね、都会ってそんなもんよね。



登録するだけでも結構面倒なんだけど、複数の派遣会社に登録して仕事を探そう。



で、1社は大手にしておこう。



リクルートスタッフィングとかアデコとか誰でも知っているような。



今ありがたいのが、登録までは非対面でいけること。



オンラインや電話登録、面談を行う派遣会社が多くて助かる。



登録会で来社して、仕事が決まったらその契約のためにまた来社して、と何回も行かなくていいから助かる。



複数の派遣会社に登録するなら尚更。



ただ、来社しての登録会だと、より詳細に希望を伝えたり、仕事を紹介してもらう前にその会社の状況を知ることが出来るので、対面のメリットもある。



コールセンターを紹介してくれた派遣会社は、求人サイトから応募した後に担当から電話がありそこで話をして、次に紹介されて案件の営業担当とオンライン面談をし、職場見学の日に初めて会社に訪問して派遣会社に登録する手続きをしたり簡単な就業時の説明を聞いたりした。



なので登録のために訪問しないといけない派遣会社は避けてる。



徒歩圏内以外の派遣会社も。



都会って腐るほど派遣会社あるからすごいよね。








希望としては、誰でも出来るような軽作業系(ピッキング、検品、梱包、入出荷作業)を2ヶ月やりたい。



むかーし、一時期日雇い派遣やってたとき、軽作業系ってそういうのが多くて、長いところだと繁忙期の1~2ヶ月、短ければ単発で入ってたけど、本当に頭数さえ揃えば誰でも出来るような仕事ばっかりだった。



中には重たいものを一日中扱う超肉体労働もあったけど、私は運良くその部署には配属されなかった。



超肉体労働は男性メイン。

重たい荷物の荷上げ、荷下ろしとかね。



私はほとんどピッキングとか梱包ばかりだった。



昔は日雇い派遣が出来たんだけど、雇い止めとか派遣切りが問題になって、雇用期間30日以内の派遣労働については、学生とか収入が500万円以上あるとか、じょうけんに当てはまる人しか単発派遣は出来ないんだよね。



単発派遣は助かってたのになー。



年収に関わらずWワークできたし、結構主婦や本業がある人でも数万円必要だからって単発で働く人いたんだよね。



私も就職してからも単発で働こうと思ったけど、働かなかった笑



本業があってのWワーク、週1日からの出勤可とか、シフト自由とか副業のシフト調整が柔軟に出来るなら直雇用でもいいけど、固定だったり出勤日数にも決まりがあるのならそれは調整が面倒になるんだよね。



私もWワークする予定だから考えておかないといけないな。



タイミーってほぼ経験者しか募集してないから使えないんだよね。







ゴールデンウィークのこと全然頭になくて、派遣会社によっては今日から6日まで休業の場合もあるんよね。失敗した。



まー、ゴールデンウィーク明けから働けたらいいなと。

ほんと、体調崩したのは予定外の出来事だった。



軽作業系の仕事を探しつつ、事務とかでも私が出来そうなものがあればそっちも考えてみる。




就活日記

とりあえず気になる派遣の仕事に応募した。



といっても、求人サイトに掲載されている求人情報は「つり」だと想っているのであまり期待はしていない。



体調をくずしてしまったこともあり、コールセンターを辞めてから2週間が経とうとしている。



働いていたら10万円にはなったのになぁ、、、ほんと、就業して 無理!と思ったときにすぐに別の仕事を探して辞めてやればよかったと未だに後悔。



とまぁどうにもならないことをグジグジ悩んでも仕方ないし、長くても6月末までしか働かないので、多少通勤時間がかかってもよしとする。



2ヶ月しか働かないのに細かいことにこだわっても仕方ないのでね。



とかいってコールセンターは辞めてしまったけど、コールセンターはストレスが半端じゃなかったからあれは別。



今度は軽作業系、倉庫作業系で探してる。



これはこれで別の大変さがあるけど、客対応がないだけまだましだと思う。



さてさてどうなるかな。

父の命日

父が亡くなって14年が経つ。

今日は命日。



父はまだ59才だった。



いつものように夕飯を食べて、お酒を飲んで、新聞を読んで、寝る前のコーヒー(寝るのにコーヒーだが父の一日の締めだ)を入れて自室に引っこみ、そのまま深夜に心筋梗塞で亡くなった。



ある意味、理想的な最期とも言える。



病気で長い闘病生活を送るとか、介護が必要になるほどになるでもなく、元気なうちに普通に寝てそのまま亡くなる。



しかも自宅だから。



父はケーキ屋を営んでいたんだけど、もし、1人で仕事中に亡くなっていたらきっと寂しかっただろうな。

発見も遅れたかもしれない。



朝、父の目覚ましがなっても止める様子がなく、いつまでも起きてこないから母が起こしに行ったら、すでに亡くなっていたそうだ。



母は元看護師なので、だいたいみたらわかるだろうに、心配蘇生をしつつ入院の準備を姉に促したそう。



姉の方が冷静というか、もう亡くなっていると理解して念のため救急車を呼んだらしい。






人って本当にパニックになるもので、私は5時すぎに姉からの電話で知らせを聞いて、

「ウソウソウソ、信じないあり得ない」と言い続けた。



でも、そんなわけないので大泣きしながら帰省の準備をした。



茫然自失とはあのことだよね。






葬儀屋に到着して、父が眠る部屋に連れていかれても、すぐには父に近寄ることが出来なくて、部屋に入ってその場で座り込んで泣いてしまった。



母に「トン子ちゃん!会ってあげて!」と言われて、恐る恐る父に近付いた。



受け止められないのと、ちょっと怖かったのがある。



父はとても綺麗だった。



父のままだった。



ドラマのセリフとかであるけど、本当に眠っているみたいだった。



でも、手が心筋梗塞の苦しみを表しているような硬直の仕方で、最期は苦しみもあったのかと思うと尚更辛かった。








父は、苦労の人だった。



家庭環境というか、7人兄弟姉妹の末っ子だったけど、2人の兄からはいじめられていてなかなかにきつい子供時代を過ごしてた。



でもお坊ちゃまだったみたいで育ちはよかったみたい。なんとなく。



高校中退して働き出して、特に悪さとかをすることもなく真面目に働いていたけど、やりたいことはやったから30になるまえに死のうと思っていたらしい。



どういうことやと、、、



そんなときに母と見合いをして、こんな女性に出会ったことがないとなんかびびっと来たのか、結婚しました。



子供は女の子しか欲しくなかったそうで、無事にかわいい3人の娘にも恵まれました。



洋菓子店で働く会社員だったけど、独立開業、経営が順調だった時期もあったけど、そう長くも続かずに経営は赤字。



借金に追われる日々は長かったです。



私はそういうの全然感じなかったけど、バイトするようになって父から時々お金を貸してと言われることもあって、そこで気付きました。



まー、貧乏でしたね。

家族旅行もいったことないしね。







でも私は生まれかわっても両親の子供になりたいです。



貧乏でもなんでもいい、何回でも父の子供になりたい。



見た目かっこよかったし!笑






なんとなく、父は自分の境遇とか、世の中とかを恨み憎みながら生きていたように感じるのだけど、そんなことはもう放っておいて、自分の幸せのために生きて欲しかったですね。



父の中にずっと残っていた後悔。



父は母親(私からみたら祖母)が大好きだったのだが、父が中学生の時に病気になり入院生活を余儀なくされた。



父はできるだけ毎日学校帰りにお見舞いに行っていたそうで、ある日祖母に「次に来るときには祖母の好きなお菓子を買ってくるね」と約束したそう。



しかしその約束ははたせずに祖母はなくなってしまいました。



祖母は重い病気で余命いくばくもないという状態だったそうなのだけど、 兄弟は父にそのことを教えていなかったそう。



父は治るものだと思っていたから、自分だけ教えてもらえなくて、祖母にお菓子を買ってあげられなくて、ずっと憎しみと後悔が心の奥に残っていたそう。



だからか、7人兄弟姉妹なのに、父と定期的な交流があったのは2人の兄だけでした。



1人は父の親代わりで、もう1人はすぐ上の兄で仲が良かったそうで。



年をとってから姉との交流が少しあって、姉が祖母の形見の着物を譲ってくれるという約束を父としていたらしく、父はそれを楽しみにしていたんだけど、生前にそれは叶いませんでした。

理由はわからない。



父の葬儀に姉も参列してその時に持ってきてくれました。

火葬の時に棺に入れました。



親代わりの兄とは家族でお世話になっていて、「なんで父に祖母が余命いくばくもないことを教えなかったのか?」と聞いてみたんですけど、父はまだ中学生だったから言うに言えなかったということでした。

兄なりの優しさだったのかもしれませんが、結果的に父の人生に影を落とすことになってしまったのは間違いないです。






私の母はそんな父の境遇を知っていたのか、父の棺に祖母の着物を入れて最期のお別れを言うとき、「これでお母さんに会えるね、一緒にいられるね」と語りかけていました。





私は父の境遇を知らなかったので、父には大変な苦労をかけてしまって申し訳ないという気持ち。



私が立派な大人になれば、父の自慢の娘になれば、父は救われたのかもしれないと。



でも、いや、父はそういうことを気にする人ではなかったな。



父はきっとどんな私でも好きでいてくれた。



応援してくれた。



私はずっと、父には愛されていないと思って生きていたけど、生前最後となってしまった父との会話でその事を打ち明けたとき「そんなわけないだろ」と泣きながら言われました。








父や自分の人生を見つめて思うのは、人は自分や大事な人の幸せのために生きればいいんだということです。



過去の苦しみとか消えない恨みとか後悔とかいろいろとあると思うけど、それにとらわれて生きていくのではなくて、幸せになるために生きていくことがなによりも大事だと思います。



自分の幸せのために生きていけばいいんだと思います。



生きているとうまくいかないこともたくさんあって、自分を責めたり、周りを憎んだりすることもあるけど、でも、それは勿体ない。



幸せを願うんです。



幸せになる権利があるのだから、幸せになるために生きていくんです。





父よ、私は父の子になれて幸せだし、これからもっともっと幸せになりますから、その辺でみていてください。



多分その辺に亡くなった猫と一緒にいるだろうから。





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