にわとりって頭が良くて個性があり、とても可愛いです。鶏とは無関係ですが、米国籍取得とその後の日本の長期滞在ビザについても書きました。最近はコロナで日本への入国が難しい状態ですが、何とか2020年の夏、2021年の冬日本の家族に会う事が出来ました。
前回3年間有効の在留カードをもらえた私は、あ〜向こう3年間はカードの更新のために日本に来る事を計画しなくても、いつでも来たい時に来る事ができるわ〜と天にも昇る心地 でしたがコロナでその夢は敗れ3年もの有効期限があったのに、日本に行けたのはたったの6回 やれやれ、上手く行かないのが人生・・そのうちの2回はホテルで2週間の謹慎1回は母が亡くなり1回は成田で謹慎(たったの3泊4日でしたが)残りの2回は通常に戻った感じで、都内のホテルに泊まったりも出来たけど日本ってまだまだマスクしている人が多くて驚いたそのうちの1回は、まずボストンの日本領事館に出向いて家の旦那に日本に入国できるVISAを取ってそれで2人で入国したりして。。。(何だか今考えるとすごく大袈裟!)2022年の5月27日に領事館に行ってVISAの申請をして、(この時は2人で行かないとダメ)出来上がったビザをもらう時は私1人でも大丈夫だったので、1人でもらいに行ってきた(平日に行くのってほんと大変よね)途中メモリアルデーが入ったのでやや遅くなったそうだけど、翌々週の6月6日には出来上がってましたこのVISAはたったの1回しか有効じゃなかったんだけど、そのあとはもう、観光客も自由に入れるようになったのでほっとしたーさて、運命の日(大袈裟!)2023年2月24日長期滞在のVISAは果たして!?母が亡くなってスポンサーが居なくなった私に、在留カードをもらう資格はあるのでしょうか・・・とても気になりストレスMaxでした「母は死にました、でも妹は1人では何も出来ません、日本の銀行口座がないとマンションの管理費やら、電気水道ガス、何も支払う事も出来ません、在留カードがないと口座をキープしておく事も出来ません、何卒お慈悲を」みたいな内容を丁寧な文章で書いて提出して・・ところがね、この時の入国管理局が「ものすごく」混んでいたの!私は午後イチぐらいで入ったんだけど、その時にServingされてたのが99番で私がもらった番号札が164番こりゃ随分時間かかるだろうな。。。と思いながら待って・・結局私が終わって外に出たのが夕方の5時20分(ちなみに入国管理局の営業時間は4時までです)そしてここは「親切すぎるニッポン」誰でも4時までに入ってきた人は番号札が取れるようになってて・・・一体この人たち、何時まで残業になるんだろう??と人ごとながらに思いましたアメリカなら、4時前でもへーきで「本日の受付は終了しました」とか言ってさっさと番号札を取れないようにすると思うさて、混雑の中在留カードの有効期間更新申請書を提出したのが2月24日入管からの例の「ハガキ」が届いたのが3月20日翌日は休日だったので1日待って、3月22日に立川に向かいました到着したのが朝の9:40すでに外まですごい人、人、人中にあるTVはいつもNHKがかかってるんだけど、この日はWBCの試合の放送中しかも決勝戦の日本VSアメリカしーかーしー入管で待ってる人は「どっちの国が勝っても私には関係ありません」みたいな人ばかり私とて、そりゃ日本には勝ってほしいけど、それよりも「在留カード出して下さい」って気持ちの方が大きいわけだしー結果から書くと「たったの1年間有効」のカードがもらえましたここはおそらく喜ぶべきなんだが・・・・何でたったの1年しか出してもらえないわけ!!私はね、妹が死ぬまでカードが必要なんですっ!窓口のお兄さんも負けずに「判定に不満がある場合は裁判しかありません」と言い「えっ??でも私の選挙権奪ったのはそっちでしょ」と私は心の中で呟きましたそして、そのあといくつか行ったり来たりの言い合いがあって。。。もう私はね日本が125年間(?)だか引きずっている法律が変わるよりも、この窓口のお兄さんがうつ病とかになる可能性の方がうんと高そう、と思って・・・随分前にも書いたけど、こんな時代なのに紙とか印鑑、ホッチキス、のり、赤ペンやらがメインの仕事って可哀想すぎる多分日本は、法律を困っている人のために変えましょう〜と言う概念はなくて同性婚とか夫婦別姓とか、他にも困っている人はたーくさん居るんだと思うそしてこの窓口の若いお兄さんもその被害者の1人のような気がするワしかし、建物の外に出て旦那に電話英語で怒鳴り散らす事15分私の妹の人権はどうなる?自分の身が守れない障害者をこんな扱いにして良いのかっ??もうこの国には何も期待しない!!でも文句をブーブー言ってる間に、そうだった・・・私がいつまでも文句言ってると悲しくなるのは彼だった私が選んだのは彼!!彼が市民権を持っている国だから私も取ったただそれだけの事!そう思ったら吹っ切れたi'll try not to think about the things I can't controlたったの1年間でも、カードを出してもらえたって事に感謝する事にしました
時は経ち、今はすでに2024年!母のことはなかなか書けないので、とにかく箇条書きでも良いので一応ここに残しておこうかな、と思いますケアマネさんはとても良い人なのだけど、私が日本に行く前に色々言われたことでがーん、ときてしまう事がいくつかあって・・・ドライアイスはたいだい1万円〜1万5千円x日数となるそうです、とか一つの方法として、エンバーミング方法があるそうです血液を全て抜き腐敗液を入れて保存する事で、何週間か人により何ヶ月か保存ができるそうですエンバーミングを行う業者に依頼して直接病院に取りに行ってもらいます遺体になった母を誰か他の人が「取りに行く」とか体の血液全部抜くとかケアマネさんとて、ただ現実としてこうですよ、と言うことを教えて下さってるので感謝しなくてはいけないんだろうけど、とにかくこのラインのメッセージを見た時は、目の前がまっくらになり体の力が抜けましたとにかく今すぐ日本に行かなくては!!!考えることはそれのみでした飛ぶ3日前にやっとJALがWaitlistをクリアーしてくれてすぐにPCR検査飛ぶ2日前に自分の2度目のワクチン接種飛ぶ前日にPCRの結果がわかり、すぐにスーツケース詰めるで、ガラガラに空いてる飛行機で成田まで行って空港で、立って移動して座ってまた立って移動して、みたいなことを何度も何度もやってそれでも2時間後ぐらいには成田を後にして、予約してあったタクシーに飛び乗り八王子に向かいました悲しいことに、家には誰も居ないのでまさに「自宅謹慎」ができ、今回はホテルには泊まらずに済みましたおそらく母はこの家には戻っては来ない・・・・・しかしタブレット面会では、母は私がどこにいるのか? precise locationまではわからないような気がする病院のポリシーとは言え、せめて最後に手ぐらい握れたら良かったのに・・・・2024年になった今まで、コロナの陽性になったことは一度もない私なのでこのことはいつまでも考えてしまいますそして、逆のことだけど、アマゾン(アレクサ)への感謝もいつまでも忘れないワ私が日本に着いてすぐに「あと1ヶ月ぐらいですかね」と医者が言った通り母は9月に入ってすぐに亡くなりましたそのあとはご存じの通り、とにかくやる事が多いでも幸い、私は「元日本人=日本人の配偶者など=の外国籍」で、今は中期滞在の在留カードをもらっているので住民票は母を筆頭に私妹と3人で入っていて住所が母と一緒なので、怪しまれる事もなく、全ての事が順調に進みました1つだけ外国籍の私ができなかった事は:母の年金を止める事家の旦那が「止められないんだったらそのままもらっとけば」みたいな事を言ってて、いかにもアメリカ人が言いそうな事、と笑いそうになりましたがほんとに!どうしろと?と言いたくなりました・・・・だって母はもう亡くなったので年金はもらう必要ないんですよ?なのに正真正銘な娘の私がその手続き出来ないって一体・・・年金事務所の人も困っていました(日本の政府の古臭いシステムを変える必要がありますよね、とは思ったけど、口には出せません)そして結局日本国籍である私の妹がその手続きをすれば良い!と言う結果になりましたが妹はペンを持つ事はおろか、字なんか絶対に書けませんここではっきりと書くのは気が引けるので、書きませんが結局は「年金の支払いを止めて下さい願い」みたいな物を”郵送”してこの件は事なきを得ました1つだけ言える事は日本のシステムは古臭くて本当にHelplessですが、それに携わっている行政のみなさんがとても親切で私の立場を理解して、ああすれば良い、こうすれば良いと色々考えて下さりそれには大変感謝していますが、そういう時間とか労力がすごく無駄になっているのでは?と私はいつも考えてしまいます・・・最後に住民票について:母亡き後、世帯主は誰になるんだろう?私がなるよりも、日本国籍である妹が世帯主になる方が都合が良いのかな?などと考えていたのですが長女の私が「勝手に」世帯主になっていましたなるほど、そういうものなのね
前の投稿からかなりの日にちが経ってしまいました・・・母が亡くなってからすでに1年が経ったのですが、まだまだ何かを書こうと言う気にはなれなくて。でもとりあえずはメモ書きで残しておこうと思います。3月に日本から戻ってからはほぼ毎日、母とはアレクサで喋っていたのですが。2021年、7月10日(土曜日)アレクサの音がしたので、あっ!おかーさーん、と言ったら聞こえてきたのは母のケアマネさんの声。そして画面に映し出されたのは浮腫んで埴輪のような顔になっている母の姿でした。ほどなく、担当の医師が駆けつけてきて下さり(もう夜なのにすみません)とりあえずは入院して色々検査して、そして薬の調整、リハビリしてまたここに戻って来ましょう、と言うことになりその後救急車のみなさんが来て、私と少し喋った後に「じゃ、これは切らせてもらいますね」とアレクサを切断されました。この状況を、例えばあとからケアマネさんから聞くのと、現場に一緒に居て全部把握出来た、とでは随分な違いなので、アレクサにはほんと感謝。(Facetimeでも同じ事が出来ますが、高齢者に優しいのは断然アレクサです)そしてその後、私は少しでも早めに日本に行かなくては、と思ったのですが・・・その時持っていたチケットは8月9日ボストン発(10日成田着)のもので。ちょうど東京のオリンピック変更しようにも、政府が席を押さえていて、例えばボストンからはDubaiやら他のヨーロッパの都市を回って東京に着く、みたいな便しかありません。かつ、値段が150万円とか300万円!!とか言うあり得ない状態になっていました。72時間前の陰性証明も取れるかどうかわからないし、さて、どうするべきか・・・と悶々としていたらば一週間後の7月17日(土)朝起きると、母の病院からの着信が2件すぐにかけ直すと、昨日母の動きがとても悪かったので緊急でMRIを撮ったところ、脳梗塞が広範囲に広がってしまっています、と言われてしまいました。母は以前から脳梗塞があり、いつ大きなのがくるか、二年後なのか、明日なのかそれはわかりませんと言われては居たのですが。。いよいよそれが近くなってきてしまった、と言うことらしい。延命処置をどうするか、ということで私の所に連絡がきたと言う事です。それについてはすでに母とも話していたので「何もしなくて良いです、母の体がラクなようにお願いします」とお返事出来ましたが、その後に母の遺体は誰が引き取りに来るのか、と聞かれた時はなんとも返事に詰まってしまいました。東京に居るのは、自身も車椅子生活で10年前に脳腫瘍の手術をした妹しか居ませんし田舎の親戚に頼むと言っても、コロナの真っ最中だったので、なかなかお願いもしづらい状態・・(東京に行く=コロナになっちゃう、みたいな雰囲気だったので)とりあえずは、ケアマネさんに相談してみます、と言ってその場は電話を切りました。そして「本当はとても混んでいるので予約が取れない」というタブレット面会の予約をケアマネさんが取ってくださり7月24日、救急車で運ばれて以来初めて母の顔が見られました。見られたのは良いのですが・・・画面から「いつ来るの?」と母に聞かれるんじゃないかと思っていた私は大間違いで。開いているのは片目のみ表情が全くない顔つき反応がない写っているのは私の知らない母でした。その後先生とお話する機会があったので、前回ちょっと保留になってしまっていた「血圧が突然下がった場合に、薬を投入して血圧を上げる事が出来ますが、それは心臓に負担がかかるものです。どうしますか?」という件に関しても薬は投入しなくて良いです、血圧あげなくて良いです、と回答。お母さん、私のことは待たなくて良いからね、と心の中で母に話しかけました。その後JALに連絡して、何とか早く出発出来るようにお願いしなくては!!お葬式を出す人が私しか居ません、と訴えました。JALとしても、どうせ飛行機はガラガラなのに、私に席を1つくれたって何ら差はないはず、と言いたくなりますが、政府が席をコントロールしているのでどうにもなりません。私が生まれたのは東京オリンピックの年=1964年今では「オリンピック」と言う言葉を聞くだけで何だか暗くなりそうです。。。何日か後に、JALから「お席のご用意ができました」と電話が来た時は本当に嬉しかったそして私は8月2日にボストンを発ち、翌日無事に日本に入国出来ました。
米国…🇺🇸あるはずなのに。。じーっとみたらばあった!!たった2文字の漢字なのに。。何故 こんな風に⁉️とにかく医者のサインをもらわなくても良し!なのはありがたいことですね👍🏻
ちょっと古いし、コロコロと変わる情報だけど、一応残しておきます。どうでも良いけど、お役所の出す書類って本当にわかりづらい。何度読み返しても???私の頭が悪いせいか123があって(1)(2)(3)があって(ア)(イ)(ウ)がある
もう2週間もホテルに缶詰は嫌、とは思っていましたが・・・・とにかくそれ以外、日本に入国する方法がありません・・・前回の日本行きと違っていた点は:前回は事前に(72時間前)PCR検査をする必要がなかったのだけれど、今回はそれがないと飛行機に乗せてもらえない状態でした。私は月曜日出発の飛行機だったのですが金曜日に検査をして土曜日に結果が出て日曜日に証明書をだしてもらう今回はなんとかこれが可能でしたが・・・普通はおそらく、土、日はドクターも居ませんのでサインが貰えないのではないかと思います。(都会など、例外はたくさんあるのかと思われますが)この、2月発のチケットは10月にはすでに予約を入れていた物なのですが次回飛ぶ時には出発を平日の水曜日あたりにした方が良いのかもしれない、、、それだと土、日が挟まらずに今回のような事にはならないかもしれません。しかし、コロナの状況はコロコロと変わりますので、全く当てにならないかな。今回は、機内で書く書類が全て(ホテルは何処とか、連絡のつく電話番号とか)事前にスマホで入力出来たので、ラクでした。それから私は今回も前回(2020年8月)と全く一緒に、LINEで「厚生省からのお願い」が2週間送られてきたのですが、私が日本に居る間にLINEのトラブル(?)のせいか、今はすでに他のアプリを自分のスマホに入れるように。スマホを持っていない人はレンタルして下さい。スマホで通話が出来ない場合は、スカイプのアプリを入れて下さい、などなどかなり厳しくなっているようです。それ以外は特に変わった事もなくて・・・前回は陰性、と言う印がしっかりとしたシールだったのに、今回はスタンプラリーのようなスタンプで下の方に小さく「陰性」と書かれている物だったので、もうちょっと堂々としたものだと良いのに。。。(心の声)と思いました。この紙を渡してくれた成田のお姉さんに、えっ?結果はどこに書かれているんですか?と思わず聞いてしまったらここです、とピンクのハイライトで囲ってくれて、ますます見づらくなりましたよ、っと。相変わらずボストンからの便はガラ空き・・エコノミークラス18人の乗客数。4席全部独り占めなのは有り難いけれど、これ、実際に寝てみるとやはりビジネスクラスのような寝心地ではなくって、結構シートがボコボコしていたり、4つ分のシートベルトの金具の部分があちこちに触ったりして。。でもそんな贅沢言っちゃ駄目よね。横になって寝られるって事は本当に有り難いことなので。実際、一度目の機内食を食べて映画見て、横になって寝て起きたら「あと3時間で到着」になってました。行きも帰りも、何回も見てしまうマツコさん。喋り方が大好きです。成田に着陸したのは、夜の7時7:20にはもう機内から出て7:50には書類の色々やPCR検査が終わって(例の、梅干しとレモンが貼ってあるブースで唾液を3センチぐらい試験管に入れる検査でした)あとは結果を待つのみ事前にスマホで入力していた情報のQRコードを、検疫所を通る時におじさんがピッとやるだけなので早いです。8:20には検査の結果出て(相変わらず早い)その後、入国審査を通過ここで、アメリカの医者から出してもらった陰性検査の結果の紙を「やっと」集めてくれました。それまではただ見せるだけだったので、えっ??もしかしてこれ、ただ見せるだけなわけ?とちょっと思っちゃってたんですが・・8:45にはタクシーのおじさんに連絡取れて「5分ぐらいで行けますよ〜」と言ってもらえて10:30にはもうホテルのエレベーターの中でSelfie撮ってました。ちょっと嬉しかったのは、タクシーの料金が4万円だったのだからあら?4万5千円じゃないんですか?前回はそうだったんですよ、って言ったら八王子と立川じゃちょっと違うので、って事だそうです。(八王子の歌で歌われそうですね。タクシー代が5000円も違うよって。)ホテルから実家に帰る時に、立川からだとタクシー代が余分にかかってしまうので、その時にこの5000円の差額を有り難く利用しました。そもそもなんで今回は八王子じゃなくて立川になってしまったかと言うと・・原因はわからないのですが(多分受験?八王子は大学が多いので)八王子のホテルはどこも満室の日があって、2週間続けての予約が取れなくって・・・・そしたら同じ系列のホテルで、2020年12月25日にオープンしたばかり!!なのが立川にあるのを発見して。天皇誕生日の後の二日間だけは一泊の値段がすごく高くなってしまってたので、それが平均値を釣り上げはしたけれど、それでも14泊で73500円と言うのは助かる〜〜今度の部屋は7階!!(前回は1階=なので安かった)部屋に入ると〜〜、おおっ!!!窓が!景色が!1階のすりガラスの窓で、2週間外が見られなかったのは本当に辛かったので、これはほんと涙が出そうなぐらい嬉しかったです。このホテル(リブマックス)はとにかく「電子レンジが部屋にある」ってのがポイント高い!冷蔵庫はどこのホテルでも付いているけど、電子レンジってほとんどついてないので。3〜4日に一度、食料を買いに外に出ました。一度、駅の前の歩道橋にまでものすごい数の人が並んでいたのに出くわしました。この列は一体・・・・若い男の子が多かったので、色々と想像してみたのですが何とそれは開店時間寸前の「パチンコ店」の列だったんです。色々な意味で本当にびっくりしました。ホテルに14泊したら無事に実家に戻り、母と妹に会い、その後約4週間を実家で過ごして3月の終わりにはまたボストンに戻りました。本当はもっと長く日本に居たいのですが、こればっかりはもう本当にどうしようもないです。早く以前のように、2週間だけ日本にさっと行ける状態に戻って欲しいです。それはいつになるのやら・・・成田からボストンに戻る日:飛行機は夕方発なのに、実家を出たのは朝の5時半・・・リムジンバスもないので、唯一動いている成田エクスプレスに頼るしかありません。朝早い成田エクスプレスに乗って(もちろんガラ空きです。自分以外の人間は「切符を拝見」のお兄さんのみです)今回はPCR検査をしなくてはいけないので、それが済むまでチェックインも出来ないです=荷物が大変。成田にあるPCR検査。一応予約を入れたのですが(10時で)もちろん電車が遅れるなどという事は起こらずに随分早く着いてしまったのですぐにそこに出向き、そこで待つことにしました。受付のお姉さんの日本語がちょっと分かりづらいです・・・・(私の理解力が足りないせいなのですが)「9時からのご案内になります」その時点で8:20ぐらいだったのですが、そこの通常の営業時間(?)は午前9時〜午後5時だそうで(検査自体は24時間やってくれるそうですが、余分にお金がかかる)なので9時になってから検査を受ければ、1万4千円を余分に払う必要はありませんよ、と言う事らしいです。この「ご案内になります」の意味が分かりづらかったのですが、とにかく9時頃になったら何かが変わるのだろうと思って待っていました。飛行機は夕方なのでこちらとしても慌てる必要も全くないわけですし。でもさすが日本!もう8:45ぐらいから、体調確認票などを書き込むように言われて・・・私の前にも何人か居たのですが、9:10にはすでに検査が終わっていました。検査と陰性証明書で32,500円でした。悲しい事に成田には全然人がいませんし、大きなカートをガラガラ押していても誰の邪魔にもなりません。カートのまま入れるトイレもあるし。。。スタバが開いていたので、何か買おうかな?と一瞬思いましたが、このあと飲むビールを楽しみに、って事で我慢ガマン。途中、母とAlexaで喋ったりして・・・話がずれますが、Alexa本当に良いです!!!今まではipadやiphoneのFacetimeを利用していましたが、しょっちゅうAppleIDがどうの、とか出てきてしまうのでそうなるともうお手上げ・・しかし、アレクサには「こちらから勝手に呼べる機能」があります!!!(正式名称は”呼びかけ”)これがほんと優秀。母はそこに座ったままで、立ち上がる必要さえなく、弱々しい声で「アレクサ、電話に出て」とさえ言わなくて良いんです。充電の心配も必要もありません。このEchoShowで会話する事に慣れてしまうと、スマホでのビデオ通話の悪い点が見えてきてしまうんです・・・やっぱ画面が小さい。会話の途中に、自分のスマホに連絡して来た人への返事が大変。Etc..Etc..自分1人の力で歩くことさえ大変な高齢者にとって、何処にでも持ち運びの出来る携帯電話の利点はあまりないです。もうすぐ充電しなくてはいけない、といつも気を使わなくてはいけない物も駄目です。停電でもない限り、常に電源が入っていて、いつもそこにあって、そして音がなっても自分でよっこらしょっと立ち上がっていちいちでないといけない電話と違って(せっかく出てもオレオレ詐欺かもしれない恐れもありますし)気がつくと画面から「お母さん〜」と娘の声がする。凄いですよね!私はアマゾンの回し者ではありませんが、今後、アレクサが高齢者や障害者の助けになりますよう、心から期待しています。と、アレクサの話に力が入ってしまいました。成田でのPCR検査の結果は、「12:30に出ますので、その時間にここに戻ってきて下さい」と言われていたので3時間ちょっと、掛かりましたね。さて、32,500円もかかったわりに、出来上がった陰性証明書は、私の名前やパスポート番号、生年月日などは「手書き」でした・・・大変きれいな達筆で書かれてはいますが、、、、うーん・・手書き???と思ってしまいました。(陰性のスタンプが小さいとか、証明書が手書きとか、いちいちうるさくてすみません)日本だと、何より大切なのは印鑑だから、この角印と割り印の方が重要なので、文字はタイプでも手書きでも大差ないのかな、と思いましたが・・・・手書きって事はどうやってデータを残す事になるんだろう、と少し考えてしまいました。しかしそんな考えはビールと共に流し込んで。この後、チェックインして出発までの時間をラウンジで過ごしました。ほぼ半日成田に居たので、ラウンジが開いていて本当に助かります。空港のこの静けさは本当に悲しいです。ボストンに到着後は、熱もはからず、32500円かけて手に入れた証明書は誰にも見てももらえずでした。(誰かに集められるかと思ったので、成田のセブンイレブンで何枚かコピーを取ったのですが)どちらにしてもこの陰性証明がないと飛行機に乗る事が出来ないので、飛行機に乗っている人は全員陰性、なのでいちいちそれを確認する必要もなし、と言う合理的なアメリカっぽい感じですね。前回(2020年8月)は一応、ボストン到着前にトラベラーFormみたいな物をネットで書き込んで、マサチューセッツ州からMA Traveler: Without a negative test, MA law requires a 14 day quarantine.Failure to comply may result in $500/day fine.mass.gov/matravelerと言うTextが到着からきっちり2週間の間、毎日送られてきたのですが、今回は14日が10日に減ったそうで、かつ入力が必要なフォームも何もありませんでした。みんなワクチンで気が緩んでいるんでしょうかね〜さて、次回はいつ日本に行ける事になるやら・・・とにかく日本は(政府は)オリンピックの事しか頭にないようなので、まずはそれが過ぎるまで待ってみます。考えても回答が出ない事を考えたくはないのですが、つい考え込んでしまいます。
さて、「3年間有効」の在留カードを手にした私は、あぁ〜今後の3年間は、在留カードの申請手続きの事を考えずに、日本へ行き来するスケジュールが組めるな〜嬉しいな〜と考えていましたがコロナで世界全体がとんでもない状態になってしまいました。入国管理局(正式名は 出入国在留管理庁)が、何故、私に3年間有効のカードを出してくれたのか、理由ははっきりわかりませんが・・在留カードなしの私の立場は「ただの観光客」になってしまいますのでこれは本当に有り難い事でした。コロナ禍で、観光客では日本に入国出来ません(例外はあるんだと思いますが)2020年は、3月〜4月にかけて (キャンセル) 8月〜9月にかけて 年末〜年始 (キャンセル)2021年、 2月〜3月にかけてと、とりあえず4つの予約が入っていたのですが、そのうちの2つはキャンセルになり2つは何とか飛べました。私は出来ればJALを使いたいのですが(JALしかNon-Stopの便がないので)有り難い事に8月1日から週に2便、ボストン成田の便を飛ばす事になり私としても「怖いのはコロナではなくて、大統領選の終わった後のアメリカ」と思っていたのでこの時に飛べたのはほんと、良かったです。ボストン発は8月23日だったのですが、とてもラッキーな事に。もし日本に入国するのが9月1日以降の場合は、ボストンの領事館まで出向いて書類を書いてもらう&出発の72時間以内にPCR検査をして、医者の署名付きの「この人は陰性です」と言う証明をもらう事が入国の条件になっていたのでこの時はぎりぎりで「特に何もせずに、何も持たずに飛べた」私のフライトは「本日はエコノミークラス19名、ビジネスクラス4名のお客様のご搭乗を頂いております」状態でした・・・対するJAL側は機長2名、副操縦士2名、客室乗務員8人。成田に到着する頃に、客室乗務員さんが全員並んで「お礼」とご挨拶、をしてくれたんだけどこちらこそ、絶対に赤字なのに飛ばしてくれてありがとう!と言いそうになりました。以下、日本に入国してからの記録です夜の9時ぐらいに無事、成田に着陸して、わりとすぐに機内から出られて。何せ乗ってる人数が少ないわけだし。その後の記録を見てみると、9:45pm 機内で書いた書類を渡して、日本での滞在先とかを詳しく聞かれて テストを受ける方に進み、、、 1人1人のプライバシーが守られるように、選挙のようなブースになってて、 しかも壁に梅干しとレモンの写真が貼ってあったのには笑った。 多分3センチ分ぐらい?の唾液を試験管に入れてそれでおしまい。私はダンボールのベッドみたいな物がある場所に案内されるのかな?と思ったら「まもなくおり口です、End Of Walk Is Ahead」って言ってる歩く歩道あるじゃない?あそこの脇に折りたたみ椅子がずらーっと並んでて、椅子に番号が貼られてて、自分の番号の所に座って待つ、だったの。菓子パンとかスナック菓子、バナナ、飲み物とかがたくさん用意されてて、おじさんに「これ貰ってもいいんですか」って聞いたら「どう〜ぞどうぞ、好きなだけ持って行って下さい〜」だって。そして、これがもしアメリカだと「だいたい1〜2時間ぐらいかかりますね」と言われた場合は、「って事は4〜5時間は覚悟しといた方がいいかも」なんだけど、そこが日本の凄いとこ。やっぱり結果は、45分後にはもう出てた!絶対に「陰性」とは思っていたけど、少しは「もしかして!!」って気持ちもあったのでホッとした〜。その後、また長い通路を歩いて入国審査へ。ここで私は予想通り他の部屋に案内されちゃったので、あら。。時間がかかるのかしら、、と思ったら、おじさんが「はい、ここに押しましたからね」と入国のスタンプを見せてくれてそれでおしまいだったワ。下に降りたら荷物はもちろんすでにそこに置かれてて。税関をすすっと通過して、いよいよ外に!この時点で11時ちょっと前。すぐに母に電話して、無事に着いたよ、と。私はタクシーの予約を夜中の1時で取ってあったので変更したかったのだけど、母がベラベラと「今じゃなくてもいい話」を始めちゃったので、私いまからタクシー会社に電話しなきゃいけないからさ、と再度言って切って。前もってメールで知らされてた運ちゃんの携帯にかけてみたら「大丈夫ですよ〜、11:20には行けますよ」って言ってくれて。助かる〜。私1人で乗るにはもったいないすごい立派なタクシーだった。ワゴン車って言うの?で、運ちゃん、結構スピード出てるよね、とも思ったけど道もガラすきだし。。。八王子のホテルに到着したのが夜中の12:40、早い〜〜〜。代金は高速料金込みで4万5千円でした。この会社以外にも、政府認定のタクシー会社がたくさんあったんだけど、こういう状況の時に少しでも儲かって、そして私としても大感謝で、ほんと助かりました。もしかして、レンタカーとかして自分で運転しなきゃいけないのか。。ってちょっと思ってたの。コロナも怖いけど、もう32年も日本で運転してないのに(その前の日本での運転歴だって2年しかないわけだし)そんな人が日本の高速を運転するなんて!交通事故になっちゃうこの後、ホテルに全部で15泊して そしてついに!母と妹に会って3週間を過ごし、9月の終わりに無事アメリカに戻り、3日後にPCR検査の予約が取れてNegativeの確認をして、やっとほっとしました。しかし、この6ヶ月後再度、ホテルで2週間自粛・・・になりました。
日本に長期滞在できるビザ(在留カード)について詳しく書いています。①②③④さて、前回2019年に、入国管理局のお兄さんに色々と悲しい事を言われつつもらった1年間有効「2020年3月27日まで有効」の在留カードの申請をする前に。私が何故、日本とアメリカを行き来して長い間滞在する必要があるのかを、法務省に証明するに当たって母と妹のそれぞれの医師から「診断書」を出してもらうのが1番良いだろうと考えました。母は高齢者で要介護2、リウマチがあって、動脈硬化が進んでいるけれど(脳)高齢のため手術は出来ない状態。歩行も厳しくなってきていて、家の中の移動は何とか出来ているものの、外出は車椅子。妹は10年前に悪性脳腫瘍の手術をして(グリオーマ、ステージ4)長くても2〜3年の命です、と言われましたが、その後ゆっくりとゆっくりと色々な事が出来なくなり、左手足は完全に動かなくなり、車椅子の生活になりました。現在は障害認定を受けていて疾病による上肢機能障害(左上肢機能全廃)疾病による下肢機能障害(左下肢機能全廃)と身体障害者手帳には書かれています。11月に日本に行った際に、それぞれの医師にこれらの診断書の作成をお願いして。私はクリスマスをアメリカで家族と過ごし、その後バタバタと年末年始に日本に向かいました。いつもは年末年始のみの2週間ほどを日本で過ごしたら、すぐにアメリカに戻ってまた2〜3月に日本に戻る、と言う事を繰り返していましたが、今回はちょっと考えて・・滞在を少し長くする事によって、在留カードの出来上がりを日本で待って、出来上がったらすぐにもらいに行ってそしてアメリカに戻る、と言う事が可能かな?と思いました。 ↑ の①②③④に書いた物を読んでもわかる通り、毎回1月の頭、お正月が明けてすぐに更新の手続きに行って、通知のお知らせのハガキが送られてくるのが、1月の終わりの方。と言うわけで、今回は滞在を少し長くして、、、、アメリカに帰る日は2月1日(土)に設定しました。かなりギリギリです・・・あぁ・・・もしお知らせの通知のハガキが1月中に来なくて、2月の3日とかに来たらどうしよう、、、ドキドキしました。もしくは、例えばお知らせのハガキが来たは良いけど、「いついつ、面接に来て下さい」みたいな内容だったらどうするか!!と思案しました・・・申請のために立川に行ったのが1月6日1月の20日を過ぎたあたりから、毎日のように郵便受けに張り付いて・・ついに1月23日に通知のハガキが届きました!!嬉しい!!いつもと変わらずのピンクのハイライトの物なので(4000円の収入印紙を持って来い、と書かれているので)おそらくVISAが貰えるんだろうと一安心して翌日24日に立川に出かけました。さて、ここで驚く事が!!何と「3年間有効」の在留カードが貰えたんです!!!「2023年3月27日まで有効」もう何だか泣きそうになりました〜もしVISAを出して貰えなかったりした場合は、流行りの言葉で「日本終わった」とか言おうと思っていましたが一気に「さすが日本〜」ってなりました。もちろん診断書の効果が大きかったと思います。と言うか、毎年きちんと診断書を提出するべきだった、と反省しました。さて、この3年間有効のカードが貰えた事が、単に「有効期限」だけの恩恵ではなかった、と言う事がわかったのはこの後しばらくしてからの事でした。この時は2020年の2月。世界ではまだ「新型コロナウィルス」と言う言葉さえ広がっていない状態でしたね
前回の 日本に長期滞在できるビザを取得 その③ からの続きの話です。2019年3月27日に切れる「在留カード」の更新の話になります。いつもと同じように、年末年始に日本に行った際に、更新期間手続きを行うために立川の入国管理局に出向いたのが1月8日。お姉さんがぱぱぱっと受付してくれて、いつもと全く同じ通り在留カードの裏には、「ただいま、期間更新中です」のハンコを押してくれます。パスポートには、受け付けましたよ、と言う受付票を四つ折りにしてホチキスで止めてくれて。私はその後すぐ(1月12日)アメリカに戻り、母から「何かが届いたよ」と電話来たのが1月の終わり。Facetimeで見せてもらってほっとします。このハガキが届いたと言う事は、今回もまたVISAがもらえる、と言う事かな、と一応安心出来ますので。(この写真はFacetimeのScreenshotなので、とても見づらいと思いますので、改めてもうちょっとましな写真を載せますね。)そして私は、2月の終わりに再度日本に行き、到着の翌日に立川に新しい在留カードをもらいに行きました。まとめると:申請を出しに立川に行った日が、1月8日通知書のお知らせが実家に送られてきて、母とFacetimeした日が、1月28日通知書にかかれている「一応この日までに取りに来て下さい」と言う日は、2月8日実際に立川に取りに行った日が、2月28日となります。取りに行った日に撮った「通知書」=ハガキの写真です。住所は申請をする時に自分で手書きで書きます。こんな大切な物なのに、普通の郵便でしかもハガキで来ると言うのに驚きますが、日本の郵便事情が良いって事ですよね。さて、この日は何故かとても混んでいて・・・(それまでは少しは混んではいるけれどそんなには文句言えないよね、と言うレベルだったのに)理由はわかりませんが、とにかくとても混雑していました。そしていざ、新しいカードを貰えたのは良いのですが・・・とても嫌なことが起こったのです。またまた「一年間有効」の在留カードを貰ったのは今までと一緒なんですが、窓口のお兄さんにそのカードを受け取った際に「次回はもうビザが出せません」みたいな事を言われてしまいました。つまり私は「日本に住んで親と妹の介護をしています」と言うStatusで在留カードがもらえているわけだけど、実際には日本に来ても2週間ぐらいですぐアメリカに戻ってしまう。これは移住するのが前提のビザなので、そうでない人には出せませんよ、と言うことらしい。「今後は観光ビザで入って下さい」みたいな事を言われたので、でもそれって90日しか滞在できませんよね、私の場合はだいたい1年間で100日ちょっと日本に居るんですけど。とか色々言ってみたけど、とにかくこの窓口の若いお兄さんも必死で働いていて、ただその紙に書かれている事を私に伝えているだけ、みたいな雰囲気なので役に立たないと言うか・・・私がこの人に何かを言っても、何も変わらないかな?みたいな。なので私はすぐに引いて、わかりました、じゃあそこに「伝えたけど、本人は全く納得していませんでした」と書いておいて下さいと言ったら、いやそれは出来ません!だそうです。(随分正直なのね・・・)とにかくむっとはしたけど、冷静に考えてみれば私、今まで「期間更新申請」をしていた時に、1番最初にビザをリクエストした時(2016年)と全く同じ「妹は病気、母は交通事故」と言う理由をずーっと使っていて、全然それで文句を言われなかったからそれで通し続けてたわけだけど・・もう何年も経ってるのに同じ理由?ってお役所が思ったのかしら。そしてただ私の手書きで小さいマスにそう書き込んでいるだけで、特に診断書を添付したりはしてなかったので(1番最初の時を除いては)そうか!!新しい診断書を医者に出してもらってそれを提出すればまた大丈夫なんじゃない?と思ったら少しだけ気がラクになった。でも。。。。そもそも、私は日本に住みたいわけじゃなくて、日本に90日以上滞在できるビザが欲しいだけなんですけど・・だけど、そういう物が存在しないので、「それに近い物」を出してもらっているだけ。「就労制限なし」健康保険もあげますよ、と言われても、介護で日本に来ているのに外に働きに行けるわけがないし、健康保険だって1回耳鼻科とか歯医者に行ったぐらいで使う分より払ってる分の方がうんと高い。私は1年の三分の一ぐらいの期間を日本で(母と妹と共に)過ごしたいだけなんですが。そういう事を色々考えていると「そもそも日本で生まれて、日本に家族が居る人の国籍をわざわざ剥奪しなくても良いのに」と言いたくなります。(振り出しに戻る)色々な物を読んでいると、今では国連加盟国(Siriが言うには現在193ヶ国)の75%が、外国籍を取得しても自国の国籍を失わない国、だそうです。そして今の私のような立場の人を苦しめているこの「国籍法11条1項」=「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」が作られたのは明治時代。明治って・・・・150年前ぐらいよね。250年以上も鎖国とかしてた事を考えると・・・・あと100年ぐらいすれば、この国籍法も変わるとか?まさかね。私は自分が生きている間に変わって欲しいと思うけど、何といっても例えばノーベル賞取っても変わらないわけだし一般人のワタシには逆立ちしても無理って事なんでしょうかねぇ・・・そういうわけで私はこの時に立川の入管の若いお兄さんにそう言われたので、その後の1年を悶々と過ごしました。このお兄さんとて、なにゆえこの仕事に就いたのかはわからないけど、今どき「紙」の書類や印鑑がメインの仕事で「若いのに可哀想!」そしてこの日はとても混雑していたせいで、もう1つの発見がありました!今まで一度も使った事なかったんだけど、あまりに待たされたので途中でトイレに行ったんだけど。何と、座った途端に「超〜冷たい!!!」日本のトイレにしてはめずらしい、何もついてない普通の古臭いトイレでした。日本中、どこに行っても温かい便座ってな状況に慣れていたのでほんと驚きました。きっと、品川にある入国管理局は立派なのかな、一度も行った事がないのでわかりませんが。さて、この若いお兄さんと古臭い施設に同情したせいではないと思いますが・・・次回は「急展開」に!
箇条書きで、とても読みづらいと思いますが。。申し訳ない。(今はすでに2021年なので、過去の記録を元にこれを書いています)日本に長期滞在できるビザを取得 ①日本に長期滞在できるビザを取得 その②2018年3月27日に切れる「在留カード」の更新の話です。前回と同じように、「在留期間更新許可申請」の手続きのため立川の入国管理局に出向いたのが年明けてすぐの1月9日。申請を受付ました、と言う証拠として、在留カードの裏には「在留期間更新許可申請中」と言うハンコを押してくれて、パスポートには「申請受付票」を四つ折りにしてホチキスで止めてくれます。その申請受付票に記載されている文章をそのまま写すと:(お知らせ)在留資格変更:在留期間更新申請をした方が、その申請に対する処分が在留期間の満了日までに行われないときは、在留期間の満了日から2ヶ月を経過する日又は処分の日のいずれか早い方の日までの間、引き続き従前の在留資格をもって本邦に在留することができます。処分が行われないまま在留期間の満了日から2ヶ月を経過したときは、本邦に滞在することができなくなりますので、申請の結果に関する「通知書」が届いた時は、速やかに当所にお越しいただくようお願いします。なお、在留期間の満了日から2ヶ月を経過する日の10日前までに「通知書」が届かない場合は、お手数ですが当所までお問い合わせください。(注)住居地等連絡先を変更した場合は、必ず連絡願います。(連絡先) 東京入国管理局 立川出張所 〒186−0001 東京都国立市北3−31−2 電話 042−528−7179何が言いたいのかさっぱりわからない文章!!でも、受付のおじさんが「在留カードの期限が切れる日から2ヶ月間後までに、ここに戻ってくれば良いんですよ」「あなたの場合は、3月27日で切れるわけだから、5月27日までに来てくださいって事です」と説明してくれて、とても安心できます。私自身も2度目の事なので、そのままアメリカに戻りました。いつもの通り、申請をしてから2週間ほどで実家に「通知書」のはがきが届きます。あなたの(番号がかかれています)結果をお知らせしますので(いついつまでに)おいでください。[必要な物]①旅券(または旅券に代わる証明書) Passport or Document in lieu of Passport②在留カード Residence Card③収入印紙(4000円) Revenue Stamp④申請受付書 Application Receipt⑤この通知書 This Notice⑥その他 Others私の場合は、①、②、③、④、⑤の部分にピンクのハイライトがされていました。上記の(いついつまでに)の日にちですが、私の場合はこの通知書の日付が Jan24th,2018でこのカッコの中は(FEB 7 , 2018)となっていました。そして3月に日本に入国した翌日、3月15日に上記①〜⑤と共に立川の入管に出向き無事に新しい在留カードをもらいました。(古いカードは穴を開けて返してくれます)さて、新しいカードの有効期限ですが、残念。また1年しか有効ではありません。仕方ないんでしょうかね。。。何しろ日本には5往復して、それでも全体の滞在期間が90日間でしたので。次回、「2019年3月27日まで有効の在留カード」の話に続きます。