
なかんずく繰り返し思い起こされるのは、僕がいつも座っていた
ソファーに乗り休んでいたり、一度も来たことがない机の横にある
棚にジャンプし登り、心地よいとは思えない、箱が重なった上で
休んでいたことである。
ソファーは段ボールの上に敷いた布よりも十分に柔らかいので
いつもそこに座り休んでいれば良かったと思うけれども
それをすることはなかった。登って遊びはするが、決して
ながいをすることはなかった。
そのような言ってみれば少し不思議な、突飛にも映る行動の
あり方はいつもの、変化を求める好奇心の表れではあったと
思う。自らの最後を感じ取り、自分の存在を永くとどめておくため
彼女がとった思いで作りであったというのは、いくらなんでも
そんなことはないだろう。
彼女が持ち合わせている多様な関心や楽しむ気持ちが起こさせた
(例えばあるじ(主)がいつも長い時間いる環境への興味とか)たまたまの変化であったと思う。
そのような好奇心がもたらした変化を、何かの暗示であるなどと思うのは
どうだろうか、小説好きな人間が思いつくただの空想であると思われる。
だが今となっては、そのストーリーはなかなかに魅力的で
チャーミングであり、素敵な物語であったと思うのである。
それは「魂は帰ってきたい時に帰って来るのだ」という
言葉がもつ響きと同様に、強く一人歩きする出来事だったのだ。